第38話 有人月往還ロケット、ヤタガラス参型
「さて。全部説明してもらおうか」
「ごめんなさい、それは無理です」
覚悟を決めた南原社長に申し訳なさそうに銀河そらが言う。
「だってこの資料、さっき渡されたばかりなんですよ……」
「そ、そうか」
銀河そらはモコスに言われてやってきただけの使いっ走りで、しかもただの一般人である。一般人にしては宇宙やロケットに詳しいが、あくまで素人にしてはというレベル。ガチのロケットの資料を説明しろと言われてできるわけもない。
「モコス様は上から見ていけと言ってましたので。あ、ダメです。まずは注意事項からです」
紙の束に手を伸ばしそうになった南原社長を銀河そらが止める。
「今回の件、モコス様は関わっていないことにしてくれとのことです」
「本物の宇宙人だってばれると大事になるからか? あれ? しかし普通に配信でやってるぞ? それは自称だからいいのか??? そもそも信じてもらったほうがいいんじゃないのか?」
「何を証拠にですか? ナノマシンはもうありませんし、このジャイロセンサーは地球の技術ですよね。このヤタガラス参型の設計も弐型にちょとした改良を加えただけで、モコス様はただの天才少女なのかもしれませんよ?」
「俺は財閥とかの超大金持ちのお嬢さんだと想像してたわ」
「それも人気のある説ですね。巨大なバッグがあって何か怪しげな陰謀が絡んでいるんだって」
「宇宙怪獣で地球が滅ぶってよりなんぼかマシだな……」
「それはともかく、モコス様の関与がまずいのは未開文明への技術供与が極めて危険な行為だからです。未開文明が先進的な技術に触れて崩壊する、みたいなケースが過去にいくつもあって、銀河連盟ではかなり厳格に規制されてるようですよ?」
「原始人に核兵器を渡すようなもんか」
「いまの地球に物質合成機を持ち込んだら、文明崩壊まではさすがにしないでしょうけど、社会は恐ろしいダメージを食らうでしょうね」
「本当になんでも作れるならあらゆる製造業が破綻するだろうな」
「今回は地球の技術レベルに留めて、しかもただの改良ということですけど、それでもかなり危険視されるだろうとのことです」
「それは大丈夫なのか」
「あんまり大丈夫じゃないですけど、これも地球防衛計画の一環なのでリスクを冒すだけの価値はあると」
「さっき言ってた銀河連盟に救援を求めるって話になるわけか」
もう少し詳しい話をすると、と銀河そらは話し始める。地球の文明レベルは0.3程度。 しかしそれは昔の調査結果で現在の文明レベルは0.7から0.8程度とモコスは見ている。銀河系は広く、未開文明、知的生命体のいる惑星は多い。しかも地球は銀河連盟でも僻地にある。宇宙怪獣は文明をいくつも滅ぼした危険な生体兵器だ。縁もゆかりも無い僻地にある惑星に、リスクを冒してまで救援を出す理由も価値もない。だがそれが銀河連盟に加入可能に近い文明レベルなら、誰かが助ける価値があると考えてくれるかもしれないのだと。
「今回の支援は地球が助かる可能性を少しでもあげておこうという話なんです」
一応筋は通っている話だと南原社長は考えた。だがやはり大金持ちのお遊びに巻き込まれたという説を捨てきれず、それでリスクはあるのかというと、無駄になるのはこの時間くらいだと結論づけ、深くは突っ込まず話を進めることとした。
そうしてモコスから渡された有人ロケット、ヤタガラス参型の設計図を前に南原社長はいきなり困惑していた。
まずは目の前に現物のある素材だ。モコスから提供されたのはグラフェン強化アルミリチウム合金と名付けられた金属である。ヤタガラスでも現在の機体の素材に使われているアルミリチウム合金にグラファイト、つまり炭素系素材を加えたものだ。
引張強度や曲げ剛性、低温環境下での強度、疲労寿命など、想定されるスペックは約二割増とモコスの作った資料には記されている。ロケットに実際に使われた際、強度があがる分、一割程度の機体全体の軽量化が見込まれる。つまりその分燃料や打ち上げる物資を増やせるということだ。
記された製造方法も南原宇宙技研で可能な範囲内だし、これだけでも利益は計り知れない。
「これがちょっとした改良?」
「私にはなんとも」
「確かに改良なんだが、全然ちょっとしてないぞ……」
ロケット全体の重量が一割減るのだ。機体重量が四〇トンだとすれば四トン軽くなる。ロケット全体から見れば四トンの差にすぎない。だが二段式ロケットでは、この四トンは単純な四トンでは終わらない。
軽くなった構造材は、それ自体を持ち上げるための推進剤を不要にする。積み重なった利得は、最終的に低軌道への投入能力を八トンから一二・四トンへ押し上げることになる。打ち上げる衛星が大型なら一個、小型なら二、三個は増やせるということだ。
「これの権利は?」
「モコス様はこの件には関わっていません」
「好きにしろってことか……」
「納得しがたい部分もあると思いますが、これも地球のため。利益が出るならその分、宇宙開発に投入しましょう!」
これ一つとっても財閥令嬢のお遊びのレベルを超えている。あらゆる産業で使える新素材。その利益は航空宇宙産業に限定しても数十億。もはやこれだけ作っていたほうが南原宇宙技研としては儲かるほどの技術である。しかもこれが辞書ほどの厚さの資料の最初の一つ目なのである。
次に見たのはもう一つあった現物。ガラスでコーティングされた半導体チップらしき物体である。
「これですね。トポロジカル型半導体チップジャイロセンサー、TGG-1」
「トポロジカル……? ジャイロセンサーならもうすでにもらったが……」
「そのセンサーは他社の技術でしょう? 特許があって今日すぐに使えなかったから、完全に新規技術で作ってみたそうですよ。打ち上げには間に合わかったそうですが」
「間に合ったら勝手に取り付けて使うつもりだったのか? どうやってだ?」
「それはもう宇宙的な技術で」
「そ、そうか」
南原社長は深く突っ込まず、資料に目を落とす。ジャイロセンサーの半導体化は知っていた。無数の微小共振子をシリコン基板上に並べ、その振動結合に壊れにくい位相構造を持たせた次世代慣性素子だが、まだ研究レベルで実用化は遠かった。それはいいとしてトポロジー構造がわからなかった。トポロジー構造により微小共振子を相互結合させ、その中に欠陥や外乱で崩れにくい境界振動モードを形成する? 想定するスペックはセンサー精度が三桁は向上、チップ化によりサイズは二センチほどとなり重量は六グラム以下。
「これはうちや関係会社で扱うのは無理だな。頼むなら半導体メーカーか? 国内でできるのかこれ……」
これも主戦場は航空宇宙産業であるが、実用化すればあらゆる場所で活用できる。測定精度の向上が最大の利得であるが小型化、軽量化、省電力化と、量産できればあらゆる他社製品を駆逐しかねないスペックである。
「ほんとに大丈夫なのか、これ?」
文明を破壊するにはほど遠いが、いくつかの企業が倒産してしまいかねないくらいの技術だ。これも先に手渡されたジャイロセンサーと同じく一〇個、モコスから提供があったから、当面はそれを使えば製造はすぐには考えなくても良さそうだと、南原社長は安堵のため息を付いた。
「次は燃料か。KR-BG1、ホウ素系高エネルギー添加剤と擬似相変化ゲル制御を組み合わせた第三世代ケロシン燃料……」
KR-X2が高推力だが扱いが難しい燃料だったのに対し、Kerosene Reactive Boron Gel 1(反応制御型ホウ素ゲル化ケロシン燃料)は、高反応性を維持したまま、貯蔵安定性と燃焼安定性を大きく改善していると記述されていた。
KR-BG1は通常の高精製ケロシンを母材に、微量ホウ素系高エネルギー添加剤、擬似相変化ゲル制御材、燃焼触媒、熱分解抑制剤を加えた複合燃料である。
「高エネルギー化と安定運用を、同時に成立させる……」
KR-X2ゲル化燃料は燃料性能を上げるほど沈殿・凝集・燃焼振動が悪化した。KR-BG1では、ホウ素添加剤で燃焼後半のエネルギー密度を上げつつ、擬似相変化ゲル制御でタンク内安定性と流路内均質性を確保していた。
タンクの中では粒子を抱え込んで静かに安定し、ポンプが回れば液体のように流れ、燃焼室では燃焼遅延効果によりホウ素が推力を押し上げる。KR-X2比で推力は八パーセントの向上。
「とんでもない数字だぞ、こりゃあ……」
KR-X2は南原社長が長年心血を注ぎ開発に成功した燃料だ。反応制御型ホウ素ゲル化ケロシン燃料はその問題点を解消し、性能もはるかに凌駕していた。だが少なくともこれは南原社長の専門分野だし、社内で作れそうだといい面を見ることにした。
そして次はグラフェン強化アルミリチウム合金と反応制御型ホウ素ゲル化ケロシン燃料の使用による、エンジンの改修、大型化、それに伴う全体のデザイン変更と内部構造の再配置化である。
「これがちょっとした改良? まったく別モンじゃねーか……設計は確かにヤタガラスの系譜だと分かる。参型の名を冠せないこともない……のか?」
ヤタガラス参型の機体主構造にはもちろんグラフェン強化アルミリチウム合金が全面的に採用され、従来材を大きく上回る比強度と剛性、軽量化を実現。推進剤に反応制御型ホウ素ゲル化ケロシン燃料を用いることで、従来のケロシン系燃料を超える高い体積エネルギー密度と燃焼制御性を達成。燃焼エンジンの設計も当然変更となり、燃焼室は大型化、噴射器も再設計され、機体は一回り太く、長くなった。旧型の細身な印象は消え、低く構えた猛禽のような力強いシルエットへ変わっていた。
内部ではさらに大きく手が加えられていた。特殊燃料を均質化するための調整セクションが新設され、誘導装置は重心近くの機器ベイへ移され、タンクと配管はまるで新しい生き物の血管のように引き直されていた。
その打ち上げ能力はヤタガラス弐型の八トンから三〇トンへと増強。第二段の全面改修により月への有人往復飛行をも可能だとそこには記述され、当然のようにその設計図も用意されていた。一部怪しげな技術もあるが、どれも地球の技術と知識レベルに収まり、南原宇宙技研で製造が十分可能なレベルである。
「月……これをうちの社でやれるのか……」
あり得ない話だ。そう思いつつも南原社長はモコスのもたらしたヤタガラスの設計案に完全に魅了されていた。
やれるのかじゃない。やるかどうかだ、そう南原社長は考える。
月へ行くことに地球の命運がかかっている。眼の前の少女は大真面目にそう言って、南原社長もそれを信じつつあった。有人用ロケット、ヤタガラス参型の設計は本物だ。
「結局これって本物の設計なんですよね?」
素人としては知識があるが、これらの設計が現実に通用するかどうかの判断ができない銀河そらが気楽な感じでそう尋ねる。銀河そらはモコスが宇宙人だと信じているが、その証拠が積み上がるに越したことはないからだ。
「これが全部でたらめだってなったら、そっちのほうが驚きだぜ。しかし……これはもう俺だけの手には負えんな」
「月ですものね。大騒ぎになりますよ!」
自分は宇宙旅行を確約してもらい、どうやらそれがいよいよ本当なのだという確信にウキウキしながら銀河そらは言う。
「しかしなあ。社員を呼ぶとしてなんて説明すりゃいいんだ?」
「そうですねえ……匿名からの提供か、いっそ秘密だ。一切聞くなで通すとか?」
「そうするか。おおい! 全員集まれ! 緊急の用件以外は全部中断だ!」
見なかったことにすることはもうできそうもないし、考えるだけ無駄だと、南原社長は即座に判断し、行動に移った。
何事かと集まった社員たちを見渡し、南原社長は言う。
「これから話すことは超機密事項だ。外部に話すことは絶対にまかりならん。情報の出処も秘密だ。情報の出処に関する一切の詮索も、社員同士で話題に出すことも禁止する」
「一体なんの話なんです、社長?」
機密や最先端技術に触れることの多い社員でも南原社長のこの物言いはずいぶんと物々しく思え、そう尋ねた。
「我が社はこれより有人月往還ロケット、ヤタガラス参型の製造に着手する。もう一度言う。これから話すことは超機密事項だ。外部に話すことは絶対にまかりならん。情報の出処も秘密だ。情報の出処に関する一切の詮索も、社員同士で話題に出すことも禁止する。これに同意した者だけがここに残れ」
「月!ついに月へ行くんですね!しかも有人で!?」
「いやいやいや。現状じゃ絶対に無理だろう?」
「社長、いま製造って言いました?」
騒然となる社員たちの中で一人の社員が手を上げ、南原社長に尋ねる。
「社長、勝算があるんですね?」
「ある」
「じゃあ乗らないわけがないでしょう。だって月ですよ、月! 民間企業が米帝以来、誰も成し遂げられなかった偉業を達成するんです!」
「社長が無茶なプロジェクトを組むのはいつものことだし」
「予算計画また組み直しかあ」
「衛星打ち上げのほうはどうするんです?」
「そっちは弐型の三〇回のリサイクル運用をしながら考える」
そう南原社長が答える。幸いにも次の機体は予算不足で未製造である。
「今回の安定感があれば衛星打ち上げのほうは手間も予算も最低限で、新規開発にリソースを向けられるのか……」
「今から月用ロケットの開発ってどれだけかかるやら」
「でもやる価値はある。そうだろ」
「残った者は秘密保持契約、NDAに同意したものとする! では見ろ! これがヤタガラス参型の完全なる設計図だ!」
こうしてロケットの打ち上げから始まる南原宇宙技研の長い長い一日が再び始まった。
そうしてもう帰ってもいいだろうかと、銀河そらはこそこそと隠れてその様子を見ながら考えていた。
前作、コミカライズ版『ニートだけどハロワにいったら異世界につれてかれた』
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