幕間 「選択」
「召集がかけられない?」
はやる気持ちを落ち着かせ、私は冷静に問いを続けた。
「どういうこと?」
城西地区の住宅街の一画にある小さな公園、植えられた常緑樹がさわさわと夜風に揺れる中、二人の監察神官が私の前に跪いている。
『申し上げた通りの事』
一人が下を向いたまま言った。
『大聖堂監察は現在、都の全地区にて不正術士の取締りを実施中。監察神官のほぼ全員が出払い、動ける人間は我ら二人のみです』
もう一人が先刻と変わらない言葉を口にする。
肌にまとわりつく湿った風が夜の公園を吹き抜けて、常緑樹をさわさわと揺らした。
それは私の――私達の不審が満ちる胸中を象徴しているかのようだった。
アヤが不安げにビートを見上げ、ビートは訝しげに首を傾げている。
「ケイン・ルースらフラガラックの手によって、リディアの大結界が不正接続を受けた疑いがあります。これは非常事態です」
どうしても、声に刺が混じってしまう。
「神官長として命じます。今すぐ総員に招集をかけなさい」
『『……』』
石畳に片膝をついた二人は、僅かに頭を低くしただけで何も口にはしなかった。
この二人は、私が城西地区に配備した監察班を指揮するリーダー格で、共に二十人前後の班員を従えている。
魔物出現の事態を受け、緊急時の対策要項に則ってこの公園で落ち合ったのだ。
「貴方達――」
私は目を細めて二人の部下を見下ろした。
感情が波立って、抑えようにも抑えきれない魔力が体から溢れ出てしまう。
『……神官長、どうか気をお鎮め下さい』
一人が絞り出すような声で言った。
体が震えているのは、私の魔力に威圧されてのことじゃない。
彼の体からも、荒ぶる感情を堪えに堪えた魔力が立ち上っていた。
『大聖堂の、諸教父からのお達しなのです』
もう一人が言葉を継ぐ。
「……」
私はその言葉に視線を隅に落とした。
教父達のお達し――?
「諸教父が、大聖堂監察に一体どんな命を下したと言うの?」
レヴィを追い込んでケインの元に送り込もうとした私の行動は、「フラガラックに手は出すな」と言う教の上層部の警告に悖る。
でも、彼の「潜入捜査計画」はラブリッサと協力し私が単独で推し進めてきたことだ。
教の上層部が何か感づくには早すぎる。
『結界の動作不慮、不貞の輩による結界の不正接続の疑いがある上は、大聖堂監察は総力を上げて不正術士を捕縛し、治安の回復に務めるように、と』
『大事に目を奪われて小事をおろそかにすることなかれ――とも』
二人がそれぞれにそう言う。
「馬鹿おっしゃい」
私は二人が口にした「諸教父からのお達し」をバッサリ斬って捨てた。
「木にとらわれて森を見ぬ教の視野の狭さが、今この現状を招いているのではなくて?」
結界改築の小事に囚われ、結界の歪みから目を逸らし続けた結果がこれじゃないか――
「監察の人間を今すぐ集めなさい。これは厳命です」
『『……』』
やはり二人は動かなかった。
「私は厳命だと言ったのよ」
さらに語調を強め、私は浴びせるように言った。
部下二人は顔を見合わせ、うち一人が私を見上げる。
『お畏れながら申し上げます』
「なにかしら」
『瘴気の魔物変換が起った場合にも、諸教父から申し渡されていることがございます』
私は腰に手を当てて、小首を傾げて部下の言葉を促した。
『民の安全を第一に行動するように、とのこと』
『有事の際には、聖ライアリス教の聖職者として付近の住民の避難誘導を最優先実施するよう、厳命を受けました』
「避難誘導ですって……?」
私は部下の言葉を繰り返した。
『我々大聖堂監察の役目は、戒律に則った諜報と監視にこそあります。事案に直接手を出すのはその本義から外れる――』
「『総力を上げて不正術士を捕縛しろ』という命は? その本義とやらに矛盾するのではなくて」
『……』
部下が黙る。
「……」
言ってしまってから、私も口をつぐんだ。
彼らに当たったって仕方がない――
監察神官は教の戒律を遵守する道徳の番人、教で絶対の上位にある教父の言葉に背くことは出来ない。
私こそ、小事にとらわれて視野が狭まっている――
問題は「諸教父のお達し」が余りにもタイミングが悪すぎることにある。
これはどういうこと――?
必要な時に大聖堂監察が動かせない。
ばかりか、私の手を塞ぐかのように、魔物が出現した場合の行動制限までなされている。
諸教父のお達しは、まるで結界の不正接続が起こることを予見していたかのようだ。
予見――
私は目を横に流して、拳を口元に構えた。
「有事の際に、大聖堂観察はリディアの民の避難誘導をするだけでいいの……?」
独り言のように言う。
部下二人が目配せし、一人が言いづらそうに顔を俯かせた。
『民の避難が完了した後は、可能な限り広範囲で現場の保存に務めるようと……騎士団魔導家区別なく、応援勢力を速やかに現場へ誘導せよととのことです』
――ギリィッ……
拳で隠した私の口元で、歯ぎしりの音が鳴った。
「キナ臭い話ですなあ」
ビートが気の抜けた声でのんびりと言った。
「どういうこと?」
アヤが首を捻る。
「義理人情の板挟みだお」
ビートがそんな事を言う。
「……」
私は胸に湧き上がった感情に呑まれ、全身を震わせた。
驚き、失望、怒り、悲しみ、様々なものが入り混じって一言に説明することが出来ない。
「これが上層部の狙いだと言うの?」
いいえ、この言葉は正しくない――
煮えたぎる火山口のようになってしまった腹の底から、押し殺した溜息をついた。
必死に頭の血を下げて、私は情報を整理する。
そっと弾く、思考のコイン。
事件はマンフレッド・レナード卿の邸宅で起こっている、
魔導家にもたらされた「逆賊ケインが押し入った」という情報、
対応しようにも、全く動かすことの出来ない大聖堂監察と言う組織、
大聖堂上層部と議会参議レナード卿の間には、ホットラインが存在する、
確証はない――
教の中でも高僧賢者と名高い諸教父の意図など、読み切れるものじゃない。
それでも、目の前の現実が意味するものは変わらない。
「リディアの都を真に危惧する、フラガラックの猪を見殺しにしろと言うの?」
自分でもびっくりするほど、おどろおどろしい声が出た。
『『……』』
部下二人は渋面になってまた俯いた。
目の前の二人を責める気なんて毛頭ない。
この二人だって、自分たちの置かれた立場を理解している。
歯噛みしている――
「誠実なる教の兄弟弟子を、逆賊にでっち上げる舞台の警備を、しろと言うの……?」
ケイン――
私は胸の中で、修行時代同期にあった、笑顔の素敵な聖職者の名を呟いた。
置かれた状況を打破する一手が浮かばない。
こと人命を救うに置いて、力量身分など関係ない。
本当なら、今すぐにだって、叫んで飛び出してしまいたい。
だけど――
私は今ある重責を放り出すわけには行かない。
監察神官長の立場を投げ出すけには行かない。
どうあっても、私は私を捨てる事が出来ない。
レヴィ――
私は選ばなければならない。
どちらかを助ける為に、どちらかを選ばなければならない。
どちらかを――
「……」
――私は居なくなるけれど、それでも期待してるんだ
ふと、先ほど戦線を共にした女性の、低い声が頭をよぎった。




