第一話 あなた、今日から聖女ね(詐欺)
「ミラ、誕生日おめでとう」
そう言って神父が差し出したのは、少し焼きすぎた、では済まされないケーキだった。
表面は見事に焦げ、片側だけ妙に膨らみ、中央はしっかり沈んでいる。
けれどミラは、笑わずにいられなかった。
「今年も攻めましたね」
「去年と同じ配合だ」
神父はなぜか自信満々そうだ。
「去年も攻めてました」
ミラの笑顔がこぼれ落ちる。
小さな村の、小さな教会。
古びた食堂の窓から光が差し込み、木の机の上の皿たちを照らす。
10歳でここへ来てから8年。
誕生日になるたび、神父ノアはこうして手作りの何かを用意してくれた。
成功率は低い。
継続率だけは高い。
「……ありがとうございます、神父さま」
皿を受け取りながら言えば、神父は素っ気なく肩をすくめた。
「祝われるうちが花だぞ」
「十八歳に言う台詞です?」
「人生は短い」
「うっ……朝から重いですよ」
ミラは笑いながら席につく。
この村で、彼女は“普通の娘”として育った。
本を読むのが好きな、愛想の良い娘。
神父の手伝いをしながら、子どもたちに読み書きを教え、赤子をあやし、病人を見舞い、お年寄りの荷物を持つ。
少なくとも、村人たちはそう思っている。
優しくて。
少しお人好しで。
誰かが困っていると、放っておけない娘だと。
本当のことを知るのは、神父ノアとミラだけだった。
そう。彼女には、誰にも知られてはいけない力があった。
けがをした子どもに触れた時。
老人の腰をさすった時。
力を込めると、その人の痛みや苦しみが、するりと自分へ流れ込んでくる。
子どものけがは治り、
老人の腰痛は軽くなる。
消えるのではない。
ただ、ミラへ苦しみが移るだけだ。
ミラも苦しくなる。
けれど、笑えば少し楽になる。
だから彼女は笑う癖がついた。
この力は何なのか、神父も答えはくれなかった。
ただ、
「まだ秘密にしろ」
とだけ。
「ほら、願い事でもしろ」
蝋燭へ火を灯しながら、神父が言う。
ミラは少しだけ目を伏せた。
願いなら、昔から変わらない。
普通に生きたい。
誰かと笑って。
穏やかな人生を、自分で選びたい。
息を吹きかける。
小さな火が消え、ぱち、と音がした。
その直後だった。
「で、お前、魔女だからな」
「…………はい?」
世界が止まった。
ミラはゆっくり顔を上げる。
「すみません、確認なんですが」
「ああ」
「今、なんて?」
「魔女」
「誰が?」
「お前」
「違うな。正確には、魔女の娘だ」
「情報量が多いんですよ!!」
椅子が勢いよく鳴った。
「ちょっと待ってください! 今日、誕生日ですよね!? そういう重大発表って普通もっと段階踏んで、とか前置きとかありません!?」
「ケーキ出しただろ」
「前菜みたいに言わないでください!」
頭が追いつかない。
魔女。
この国で、知らない者はいない。
聖女は人を救い、
魔女は人を滅ぼす。
この国では、
それが常識だった。
伝承にも物語にも、
必ず悪役として語られる。
魔女の森へ近づくな。
魔物を操り、襲ってくる。
子どもは皆、
そう教えられて育つ。
……いや、待って。
その血が、私に流れている?
あの不思議な力は魔女由来だったって事?
「お母さんが……?」
生きてる……?
「……そのへんは追々話す」
ノアの声が、ほんの一瞬だけ低く、静かになった。
珍しく踏み込ませない響きだった。
ミラは問い返す言葉を飲み込んだ。
「……じゃあ、どうして今なんですか」
「区切りがいい」
「十八歳だから?」
「そうだな。あと、そろそろ使える頃合いだ」
「何をです?」
嫌な予感がした。
神父は、にやりと笑う。
「お前、明日から聖女な」
「は?????」
本日二度目の世界停止である。
「ちょっと待ってください!」
ミラは机を叩いた。
「さっき魔女って言われましたよね!?」
「言ったな」
「なのに聖女!?」
「いい案だろ。お前の力ならいける」
「意味不明の最悪の案です!!」
神父は人差し指を立てる。
「いいか。聖女ってのはな」
妙に得意げな顔だった。
「信じさせたもん勝ちだ」
「詐欺じゃないですか!!!!」
教会いっぱいに声が響く。
神様、ごめんなさい。
「言葉が悪い。ビジネスだ」
「もっと悪い!!」
神父は平然と続けた。
「うちは最近、少々懐事情が厳しい」
「急に現実」
「そこへ聖女誕生の吉報だ」
ぱちん、と指を鳴らす。
「寄付が増える」
「最低!!」
「王都から支援も来るかもしれん」
「最低の夢が広がってる!!」
ミラは頭を抱えた。
そのとき、窓から陽が差し込んだ。
黒髪が光を受けて艶めき、深紅の瞳が静かに揺れる。
思わず目を引かれるような、清らかな華をまとっていた。
着飾っているわけでもない。
高価な服を着ているわけでもない。
それなのに。
ぼろい教会の食堂にいることが場違いに見えた。
神父は腕を組む。
「うん」
「何ですか」
「やっぱりお前は顔がいい」
ノアは腕を組んだまま、うなずいた。
「評価基準そこですか」
……ちょっと嬉しいけれど。
「黙って立ってりゃ癒しの雰囲気がある」
「喋るとだめみたいに言わないでください」
神父は笑った。
けれど次の瞬間、その眼差しが静かに変わる。
「何より、お前は誰よりもいい顔で笑う」
ミラは瞬きをした。
「……え?」
「誰かを安心させる笑い方だ」
まっすぐな声だった。
「力があるやつが聖女だとは限らん」
「人を安心させ、信じられるやつが、そう呼ばれる」
その言葉は、不思議なほど静かに胸へ落ちた。
この人は普段ふざけているくせに、時々こういう顔をする。
冗談に紛れて、本気だけ置いていく顔だ。
「お前はずっと、選ばれる側だったろ」
ミラは一瞬だけ目を伏せた。
この教会へ来る前のことは、
今でもあまり思い出したくない。
「今度は、お前から誰かを救う側に立て」
ずるい言い方だと思った。
そんなふうに言われたら、断れない。
「……魔女の娘だって知られたら」
ミラは小さく眉を寄せた。
「この力が魔女の力だってバレたら……どうなるんです?」
ノアは肩をすくめた。
「今どき討伐なんて流行らん」
少しだけ肩の力が抜ける。
だが。
「まぁ、石は投げられるだろうな」
「え」
「家も燃やされるかもしれん」
「え」
「全然安心できないんですけど!?」
「だから秘密なんだよ」
笑っていたノアが、
一瞬だけ目を細めた。
「知られたら、お前は普通に生きられなくなる」
けれど次の瞬間。
「まぁ、その前に聖女で一儲けだな」
「最低!」
ミラは深く息を吐く。
まったく、どうしようもない。
でも。
「……わかりました」
気づけば、そう口にしていた。
「やりますよ、聖女」
「ちゃんとできるかは分かりませんけど」
人の役に立ちたい。
誰かを救えたらと思う気持ちだけは、嘘ではなかった。
神父の目が、わずかに細められる。
「……ああ」
その返事だけが、不思議なほど優しかった。
「ただし」
ミラは指を一本立てた。
「普通に生きます」
「もしかしたら、恋とかもします」
「欲張るな」
「人生設計です」
「……無理はするなよ」
神父は笑っていた。
けれど、
ミラが視線を落とした瞬間。
その表情から、
すべての軽薄さが消えた。
「……今度こそ」
神父は小さく呟いた。
「で、明日から特訓だ」
「あの不思議な力で人を癒す訓練ですね」
「聖女らしい微笑み方と、寄付金への自然な誘導」
「やっぱり詐欺じゃないですか!!」
古い教会いっぱいに、ミラの声が響く。
その日。
私の普通の人生は終わった。
気づけば私は、
魔女の娘で。
しかも神父公認の詐欺師見習いになることに。
「絶対おかしいでしょう、この人生!」
「まだ始まったばかりだぞ」
神父が笑う。
けれど、私は、まだ知らなかった。
今日から始まるのは、
誰かを救うための嘘だった。




