第3章17話 信じる者と疑う者
今回の話ですが、だいぶ長くなってしまいましたので、予めご了承ください。
それと、若干の過去回想を含みますので、こちらについてもご了承をお願いします。
(私としても聖ちゃんの奪還に乗り出したい所なのですが、今のうちにどうしても描写して置きたい所があるのです……)
◆◆◆
(胡桃沢ラボの一室にて)
「あぁ……終わらない、書類が書き終わらないよぉ……」
悲しげな声を発しながら机に向かう、ピンクの髪をした白衣姿の研究者が居た。彼女の名は『胡桃沢 百花』、錬金学や魔法生物学を担当する非常勤講師だ。彼女は今、書類仕事に追われている最中だ。そんな胡桃沢博士は、部屋のドアをノックする音に顔を上げた。
「えーっと……お仕事中に失礼します、胡桃沢博士」
「…………しず君!?」
ラボに缶詰めにされ、辛くて地味な仕事をさせられていた彼女の元へ、蒼い天使が舞い降りたのだ!
「ちょっと待て、姉貴。流石にその姿……胡桃沢博士の身体で『しず君』呼びは止めてくれ」
「どして?」
「だって私にとって博士は、『春休みの治験バイトで出会った研究者』な訳で……何か若干の違和感があるんだよ。脳がまだ慣れてないんだよ」
「あーそう言う事か……ごめんね。博士、最近は色々と大変でさー」
胡桃沢博士が力無く微笑むと、実妹にして学園生徒の蒼蘭が不安気な表情を浮かべた。
「その書類の束は一体? それと、両手首に装着している機械は?」
「これはね……始末書。それと、GPS付きの監視装置」
「……は? え、一体何をやらかしたの?」
「あー……まぁ、大雑把に言えば『命令違反』かな? 実は一昨日のお財布を届けた時に、悪い魔女の団体を全員やっつけたのよ。あのお財布の持ち主が、実は魔法犯罪組織の一員だったって事」
「そうだったの!? いや、待って……『シスター服の女の子には出会してない』って言ってたじゃん!?」
「うん、会ってないよ。私が懲らしめたのは異世界人じゃなくて、地球原産の悪者達。それでもって下っ端を倒して、聞き出したアジトの場所を報告した時に本当は……私には待機命令が下されたのよね。後は他のチームに任せろって。でも、蒼蘭ちゃん達を危険な目に遭わせようとした輩だったから……お姉ちゃん、思わずやってしまいました」
「『やってしまいました』って、あのねぇ……」
姉が自分の知らない所で無茶をしていた事への心配と、それを黙秘された事への不満、そして『ちょっと出かけた先で犯罪組織を壊滅させた』と平然と話す姉への呆れ混じりの感嘆が入り混じり、蒼蘭は複雑な表情を浮かべた。
「まぁ、他にもこの装置を取り付けられた理由はあるんだけど……暫くお姉ちゃんは、胡桃沢博士の姿で居ないといけないのです……。無理矢理外すと警報鳴るし」
その『理由』と、人工魔女が暴れないように胡桃沢博士の姿でいるよう命じられた件については、沙織は口にしなかった。妹主催の誕生日パーティが羨ましいあまりに情緒が爆発した、なんて言える訳がないからだ。
「それで、何かご用? 蒼蘭ちゃんの表情、何だか固いけど……」
妹の表情や雰囲気を見れば、ただ遊びに来た訳でない事ぐらい姉にはお見通しだ。
「……時間がないから手短に話すね。悪魔達のボスから、聖の事を助けに行くわ」
「なッ……!? シスター14が聖ちゃんを!?」
「うん、だから沙織お姉ちゃんからポーションやアイテムを貰えないかなって…………」
ここで蒼蘭は思わず言葉を止めた。姉の言葉に込められた意味に気づいたからだ。
「まさか……お姉ちゃんの調査でも、シスター14が黒幕だって判明したの?」
「ええ、喫茶店の椅子から採れた遺伝子と、お姉ちゃんがやっつけた組織が持ってたアイテムに付着していた遺伝子が合致したの。その聖女ちゃんは色々な裏組織に、悪魔を呼び出す魔術道具を配っているそうよ」
「そう……だったんだ……」
蒼蘭の視線が、自然と下へと下がっていく。大魔女と姉、身近にいる優秀な魔女二人が揃って『聖女ショコラは"黒"である』と判断したのだ。それは即ち、喫茶店で見た光景が、皆で魔法を披露して子供達と笑顔を見せたあの時の聖女ショコラの姿が、偽りの物であった事を意味する。それは蒼蘭にとって、少なからず衝撃的な事実だ。
「……やっぱり、ショックだった?」
「ううん、分かってた事だから。元々マギナさんは、ショコラの事を疑ってたし。それに、ついさっきマギナさんが私の部屋に来て、聖に危険が迫っている事とショコラの正体を教えてくれたからさ」
「………………は?」
十数秒ほどの硬直後、胡桃沢博士……否、沙織は声を絞り出した。茫然とした表情で、だが手には握り潰さんばかりの力を込めて、彼女は妹の肩を掴んだ。
「どういう……事? あの妖精、しず君に何を吹き込んだの!?」
「待て待て、落ち着けって!? 何をそんな焦って……いや、怒ってるのか!? とにかく落ち着いて、肩が壊れるから!」
「あ、ごめん……だ、大丈夫?」
沙織は妹の肩を優しく摩って様子を伺う。幸い、骨に異常はないようだ。
「痛て……これから悪魔討伐って時に、余計なダメージ喰らわすなっての……」
「本当にごめんなさい。それで、何て言われたの?」
姉からの質問を受けて、惺は事情を説明した。聖女ショコラがこれまで以上の強敵だと言う事、大魔女から受けた三つの助言、その内の一つに従って協力者を集めている事などを、出来るだけ細かく伝えるよう心がけて。
「と言う訳で、お姉ちゃんからポーションやら武器やらアイテムやらを譲って欲しくて、最後にここに来たって事。がめつい事は承知でお願いするけど……出来ればポーションだけでも分けてくれない? お姉ちゃん、ポーションの研究者でしょ? それに、確かこのラボには、ポーションの在庫が沢山ある筈でしょ?」
妹の言葉に、姉は答えなかった。代わりに聞き取れない音量と速度で、何かをブツブツと呟いている。
「おーい、聞いてる!?」
「あ、ごめん! 勿論、ポーションなら山ほどあるよ」
「良かった……。回復は今まで聖頼りだったからね。これで、皆が怪我しても治せる。本当に感謝するわ、お姉ちゃん!」
「うん……どういたしまして……」
普段の沙織なら、妹(弟)からのお礼には大喜びで応えるものだ。だが、今回は勝手が違う。今、沙織は己の脳細胞をフル稼働させて考えている。自分が今、何をすべきか。今の自分に、何が出来るのか。最愛の実妹と、その友達である義妹達に、姉として何をしてあげられるのか。
(どうする……? 今、伝えた方が良い? いや、しず君がこれから戦いに行く以上、今打ち明けるのはマズいか……?)
治療用ポーションと魔力回復用ポーション、10本入りの箱をそれぞれ3箱、隣の部屋から小さめの台車に載せて運んで来た。
「分かっているとは思うけど……一度に何本も飲み過ぎると身体に悪いから、気をつけてね」
「うん、勿論気をつけるわ。あと、それと……」
蒼蘭は言い掛けた言葉を止め、首を振った。
「ごめん、やっぱり大丈夫」
「え……? どうしたの、遠慮なんてしなくて良いんだよ?」
「ううん、遠慮なんかしてないよ。それに……今は遺伝子操作、『普段のお姉ちゃんの魔法』は制限されているんだよね。だったら……仕方ないよ」
蒼蘭は微笑みながらそう言ったが、沙織は妹の残念そうな感情を見逃さなかった。
(本当は、お姉ちゃんにも力を借りたかったけどな……。いや、ここは『姉貴まで危険な戦いに巻き込まずに済んだ』と考えるべきなのかな……?)
蒼蘭は、心の何処かでホッとした部分がある事を感じ、そして友人達を巻き込んでいる自分の立場を自覚して、何度目かの自己嫌悪に陥った。
(これ以上は、考えないようにしよう。それより、もう時間がない!)
「重ね重ねだけど、ポーションを分けてくれて、ありがとうございます。私、校門で皆を待たせているからもう行くね!」
「待って、しず君!」
「え? どうしたの、お姉ちゃん?」
「えっとね……蒼蘭ちゃん」
姉は、今の自分が妹にするべき事、してあげられる事を模索し、解を導き出した。沙織は惺に顔を近づけ、こう打ち明けた。
「悪魔討伐用の秘密兵器があるんだけど、使ってみない?」
◆◆◆
沙織は『秘密兵器』を身につけ、台車でポーションを持ち出す蒼蘭を笑顔で見送り、誰も居なくなった部屋の中で独り、頭を抱えていた。少しでも心の平静を取り戻せるよう椅子に座ったが、それでも心臓の音が静まる事はなかった。焦燥感が汗となり、沙織の顔や背から湧き水が如く流れ落ちる。
(マズい、マズい、マズい! この状況は、しず君があの妖精を信じきっている状況が、非常にマズい!)
沙織は彼の妖精、『アゲハの大魔女マギナ』の事を、完全には信用していなかった。寧ろ、恨みや疑念すら向けている。
理由は大きく分けて二つ。ひとつ目は、彼女が『魔女っ子スーツ』の完全に携わっていたからだ。とはいえ、別に沙織がマギナから魔女っ子スーツの作り方を教わった訳ではなく、設計図を渡された訳でもない。ほんの少しだけアドバイスと、『妖精の鱗粉』を貰った程度だ。
◆◆◆
(約半年前)
沙織は魔女っ子スーツ完成の為に、色々な魔法の文献や遺伝子関係の論文を読み漁っていた。スーツの完成度とはしては95%程度、だがまだ『最後のピース』が足りていなかった。
(形にはなっているけど、まだスーツの魔力伝導率が心許ないわ。何か、研究に使えそうな物は無いの……?)
沙織は、日々様々な方面から試行錯誤を繰り返していた。そんな時、息抜きに入った魔女達の交流の場である喫茶店で、彼女は出会ったのだ。朝陽を連想させるブロンドの髪をした女性、『ツバメ』と名乗る魔女の店員に。
「お客様、随分とお疲れの様ですが……大丈夫ですか?」
「あ、いえ……お気になさらず。ちょっと研究で行き詰まっているだけなので」
「まぁ、それは大変ですね。でしたら、ちょっとしたウェルカムドリンクとして、こちらの紅茶をサービスさせてくださいな」
そう言いながら、ツバメは運んでいたキッチンワゴンから、お湯の入ったポットと茶葉の缶、茶こし、ティーカップとソーサー、最後にティーポットをテーブルに並べた。ツバメは滑らかな手際でティーポットやコップを湯で温め、飲用ではなくティーセットを温めるのに使ったお湯はワームホールでキッチンへ捨て、最後に茶葉を蒸らしてから茶こしでカップに注いだ。
(ほぅ……この店員さん、中々の手際じゃないの。お客さんの前で淹れるのは、一種のパフォーマンス的な演出かな?)
「お待たせ致しました。こちら、リラックス効果のある紅茶、『アールグレイ』でございます。ミルクとお砂糖もありますので、お好みでどうぞ。ごゆっくり、お紅茶をお召し上がりくださいな」
「ではお言葉に甘えて、ご馳走になります」
沙織はストレートの紅茶より、ミルクも砂糖も入れる派だ。そしてツバメが用意したウェルカムドリンクを一口飲んだ時、沙織はこの店員が『只者』ではないと理解した。今までの人生で飲んだ中で、これは最高の紅茶だ。味も良いが香りもまた一級品、一杯飲み干した頃には日々の疲れも吹き飛んでしまった。何より沙織が感心したのは、魔法薬の類を使わずにここまでの味とリラックス効果を引き出した事だ。天才研究者の舌にかかれば、事前に茶葉やポットに薬を仕込んでいない事はお見通しだ。
「お味の程は……お聞きする必要はないみたいですわね♪」
「ええ、美味しかったです」
「それは何より。さて……と」
喫茶店の店員は、徐に向かいの席へ腰をおろした。
「ここは喫茶店であると同時に、魔女達の交流の場でございます。もしも魔法の勉学や研究でお悩みの事があれば、何なりとご相談くださいませ」
「あー……そう言ってくれるのは有り難いんですけど、一応企業秘密と言いますか……あまり大勢の人には研究内容を知られたくないんですよ」
「なるほど。確かに、人目が多い場所では中々相談し辛いもの。ですが、『魔女の家』にはこういったサービスも御座いますよ」
ツバメは懐から小さな杖を取り出すと、『えいっ♪』という掛け声と共に、天井へ円を描く様に杖を回した。すると沙織達のいるテーブルの周りを、淡い虹色のオーラが包み込んだ。
「この魔法は……?」
「ちょっとした認識阻害の魔法です。これで私達の会話や仕草は、店内の人間には感知されません。その証拠に、例えばここに取り出した目覚まし時計を鳴らしてみても……」
ワームホールから取り出された目覚まし時計が、けたたましいベルの音を響かせた。だが、突然鳴り響く騒音に、周囲の客は何の反応も示さなかった。
「どうですか、私の魔法。驚いたでしょう?」
「ええ、二重の意味で」
「うふふ、お褒めに預かり光栄で御座います。因みに、このオーラの範囲でしか効果は有りませんので、店外に電話をすれば普通に会話が出来ます。もしも私がお客様の信用を損なう事がありましたら……どうぞご遠慮なく」
「それはどうも……確かに行き届いたサービスですこと。このお店、少しだけ気に入りましたよ」
イタズラ好きな子供の様に振る舞いながら、此方の考えを先読みするかの様な鋭さをツバメは持っていた。『信用』とまでは行かないが、少なくともこの相手は並の魔法使いでない。そう考えた沙織は、自分の研究について相談する事にした。
(ま、ダメで元々よ)
着るだけで魔法が使える様になる、少女の姿を模した皮の研究。字面だけでは荒唐無稽に思える研究内容だが、魔法を用いた人造人間-ホムンクルス-の製造技術や知識を応用し、更に沙織の魔法『遺伝子操作』を駆使すれば理論上は可能である。既に試作品は完成しており、自分が身につける事で違う系統の魔法が扱う事ができた。だが、『魔法が使えない人間』が魔法を使える様になってこそ、沙織の研究テーマ的には意味があるのだ。
そして沙織の眼前に座する謎のウェイトレスは、客の研究テーマに興味津々だった。
「なるほど、中々面白そうな研究内容ですね。そのスーツが完成すれば、より多くの人が『魔法』という概念・力を身近に感じることが出来る……それは、とっても素敵な事だと思いますわ」
「そう言って貰えるのは嬉しいですけど、最後の仕上げで難航しているのが実情ですね……。もう少しスーツの魔力伝導率を高める事が出来れば、『魔女っ子スーツ』は晴れて完成となります。その為にも、スーツに使える丁度良い『遺伝子』が見つかれば、話は早いんですけどね……」
「そうですか……お客様の話を聞く限り、中々に苦戦しているご様子ですね。だからこそ、貴女の表情からは疲れの色が滲んでいます。ですが、お客様に細やかな幸せを届けてこその魔女の喫茶店、『魔女の家』でございます。なので、僭越ながら少しだけお手伝いをさせてくださいな」
そう言うと、ツバメは小さな瓶を取り出した。中身は虹色に光り輝く、摩訶不思議な粉であった。
「これは、何かの薬ですか?」
「いいえ。これは『妖精の鱗粉』、その名の通り、妖精の羽から採れる鱗粉ですよ」
「……はぁ、妖精ですか」
「あら、信じて頂けないご様子ですね。では、『論より証拠』といきましょうか」
次の瞬間、ツバメの身体が虹色の光に包まれた。その光の中に浮かび上がるシルエットは、人の身体から蝶の羽が生えたものだった。そして光が収まると、ツバメは白いスカートとパステルグリーンのブラウスに身を包み、極彩色に輝くアゲハ蝶の羽を携えた妖精となっていた。
「その羽は……本物ですか?」
「ええ、勿論。触ってみますか?」
ツバメの言葉に甘えて、沙織は羽に触れてみた。
(何だろう……触れていると温かい。羽の温度もそうだけど、何処か心が落ち着くようなオーラが漂っているわ。この羽は絶対、普通の蝶々じゃない)
再びツバメの身体が光に包まれ、次の瞬間にはウェイトレスの姿になっていた。
「これで信じて頂けましたね。それと、コチラの『妖精の鱗粉』は差し上げます。興味深い研究に対しての先行投資であり、そしてティータイムを通じて産まれたひと時の縁に対しての返礼であり、貴女へのプレゼントだと思ってくださいな。是非お客様の研究へ、有効に活用して頂ければ幸いです。
あ、この鱗粉は食用ではないので、調味料と間違えてはダメですからね。命の危険はありませんが、お腹を壊す恐れがあります。そもそも、あまり美味しい物ではありませんので。
それでは、私は他のお客様のお持てなしに戻りますわ」
席を覆っていたオーラが消え、ツバメは接客に戻って行った。沙織は手渡された小瓶と、自分の指に付着した鱗粉を交互に見つめながら、暫く思考に耽った。
◆◆◆
これが、沙織と『アゲハの大魔女』のと出会いだ。ツバメと名乗る妖精淑女から貰った鱗粉は、確かにスーツの魔力伝導率を上げてくれる、沙織が探し求めていた最後の仕上げに必要なピースだった。その結果、沙織の知恵と技術と好みと理想を凝縮させた魔女っ子スーツが完成した。それを沙織が愛してやまない最愛の弟が着た事で、水の魔女にして最高の美少女高校生が爆誕した訳である。
あの時、確かに沙織は妖精淑女に感謝の念を抱いた。お陰で弟は魔法を扱える様になり、世に蔓延る魔法犯罪者に対する自衛の力を手に入れたのだから。更に惺が時魔法に目覚め、容姿端麗な黒髪美少女になるという嬉しい誤算まで付いてきたのだから。
だがその結果、惺は危険な戦いに身を置くことになってしまった。故に、沙織がマギナに対して抱いていた感謝の気持ちは次第に弱まり、それに反比例する様に不満と不信感を強めていった。
(元々あの妖精は、私としず君を利用するつもりで近づいたんだ。そうでないと、私が悩んでいるタイミングで、スーツに都合よく適合する材料を渡した事の説明がつかないわ)
そしてもう一つ、マギナに対する悪感情の理由が存在する。それは、彼女が惺に語った、己の身の上話だ。
今から約700年前に起きた『赫の厄災』。それは勇者を奪われ、怒り狂った異世界の女神が起こした侵攻だった。欧州に存在した妖精の国だけでなく、世界各地に厄災の影響が及び、その恐怖は時を経て尚も魔女達の遺伝子に刻み込まれている程だ。アゲハの大魔女は当初、勇者の残した聖剣を手にして懸命に戦い、女神を撃退する事に成功した。しかし、その災禍は凄まじく、妖精の姫が愛した民も臣下も、国すらも滅んでしまい、マギナは絶望に打ちひしがれた……。
以上が、沙織が惺から聞いたマギナの身の上話の要約である。
だが、この話には、一つだけ不自然な点がある。
何故、妖精の姫であるマギナだけは助かったのか?
無論、命からがら逃げ出した妖精だって何人かは存在するだろう。だが、妖精郷を統べる姫、異世界側から見れば敵軍の首魁である。普通なら真っ先に討ち取られるべき存在の筈ではないか? 彼女の臣下が命懸けで守った、その可能性もゼロではない。だが、敵将以外の全てを殺しておいて、肝心の姫を討ち漏らすなどあり得るのだろうか? 『赫の厄災』が世界中に影響を及ぼした事を考えれば、『あと一人殺し損ねた』なんて都合の良い事が起こるとは考えにくい。
つまり、マギナが話した身の上話は全くの偽りか、或いは全部ではなくても『何らかの隠し事』をしているのは確実である。それは、沙織にとって許し難いことであった。
(自分一人じゃ異世界絡みの問題を解決出来ないから、惺に助けを求めたんじゃないの? なのに、しず君に隠し事をするなんて、余りにも不誠実じゃないかしら……!?)
沙織は大魔女に対して、次第に不信感を高めていた。だが、これから悪者退治に向かう惺に対して話すべきではない。今、余計な事を話しては、彼女の思考的リソースを不要に分散させる事になる。それは、妹の死を招く恐れが高い。
沙織は、手首の装置に手を掛ける。胡桃沢百花では戦闘能力が低く、かといって元の姿に戻ろうとすれば、装置から魔法機関に情報が発信される。そうなれば装置から強制麻酔薬が注入されるか、本当に最悪の場合は爆発する様に設計されている。流石に両手を失っては、惺を助けるどころではない。
(私が今、取れる方法といったら……)
逡巡の後、沙織は電話をかけた。自分では妹を手助け出来ない以上、他の人間に頼むしかないではないか。
◆◆◆
(聖奪還作戦、決行直前にて)
「炎華、具合はどう? 大丈夫?」
蒼蘭は、白百合邸の門の前で蹲る友人に、心配そうな表情でポーションを差し出した。心なしか、炎華の顔色が優れない。
「大丈夫、ちょっと酔っただけだから。だからポーションは温存しよ?」
当然ながら、彼女達は決して未成年飲酒をした訳ではない。ここで言う『酔う』とは乗り物酔い、厳密に言えば『ワームホール酔い』だ。東京都23区内の暁虹学園から、埼玉との県境にある白百合邸まではかなりの距離がある。公共交通機関は先程出現した悪魔達のせいで使えないし、何より時間がない。故に、マギナの空間魔法を駆使して、目的地まで短時間で来れたと言う訳だ。
だが、空間魔法の『ワームホール』には少々厄介な点がある。慣れていない人間や体質の合わない人間は、乗り物酔いの様な感覚に陥ってしまうのだ。
「そうだ、コーラ! 乗り物酔いには、コーラが効くって聞いた事あるよ! ほら、美雪から貰ったコーラ、開けないで取っておいて良かった!」
「でも、それはセーラがみゆみゆから貰ったヤツじゃん?」
「大丈夫! 私は何故か何ともないから。よくわからないけど、偶々体質があってたのかな? 兎に角、これ飲んで気分をスカッとさせちゃって!」
「うん。ごめんだけど、お言葉に甘えてゴチになるわ」
炎華は蒼蘭からコーラを受け取り、少しずつ喉に流し込んだ。彼女らに取って、ワームホールに入るのは初めての経験だ。確かに短時間での移動は便利であり、これが貴重な体験であるのは間違いない。だが、酔いのデメリットは無視できるものでは無かった。全く酔わなかったのはマギナ本人と、校門で合流したルーン魔術師のステラ、そして(当の本人は全く知らない事だが)『妖精の遺伝子』を持つ蒼蘭の三人だけだ。それ以外の生徒たちの中でも、アディラは『ちょっと目が回った程度』の軽微な症状で、菊梨花と炎華は『ガッツリ乗り物酔いした気分』と重めの症状が出てしまった。
「お待たせしました、蒼蘭さん、炎華さん。裏口に待機されているアディラさん、菊梨花さんの準備が整いました」
ステラが空中に発生したワームホールから、ふわりと降り立ち合流を果たす。今回は二手に分かれて片方が陽動に回り、もう片方が聖の奪還と大魔女が告げた『第二の助言』を実行する、と言うのが大まかな流れだ。
「いよいよですね、ステラさん」
「はい。都内各地に出没した悪魔達は、魔法機関の職員とA組生徒の皆様が対処してくださっています。これも、ある意味では『陽動作戦』と言えましょう」
そう言いながら、ステラは炎華の背中に指で文字を書く。聖が扱う『リラクゼーション・オーラ』の簡易版、それをルーン文字で記したのだ。先程喉に流し込んだコーラと合わせて、炎華の体調は完璧に戻った。
「あんがと、ステラさん」
だが、炎華の顔色は改善されても、まだ表情が晴れていない。
「まさか、ひじりんがずっと辛い目に遭ってたなんて、あーし全然知らなかったな……。ずっと、側に居たはずなのに、気付いてあげられなかった…………」
項垂れる炎華の頭に、蒼蘭の手が優しく置かれた。
「私は、炎華が責任を感じる必要はないと思うわ」
「そんな事……! だって、もっと早く気がついていたら……」
炎華の声が震えている。蒼蘭は、咄嗟に友人の手を取った。
「ごめん。炎華だって、悩んで、辛い筈なのに、ありきたりな事しか言えなくて……。でも、炎華は聖にとって素敵で大切な友達。それは、付き合いの浅い私からも断言できるわ。だって私から見ても、炎華は辛い時に励ましてくれる、頼れる友達なんだもの」
「セーラ……」
炎華は、ハンカチで目元を拭い、頬を叩いて気合いを入れる。
「うん、もう大丈夫。一緒に、ひじりんの事を助けに行こう!」
「うん!」
決意を固めた少女達を見て、ステラはタイミングを伺っていたかの様に、徐に話しかける。
「ところで……蒼蘭さんが身につけている黒いマントの様な物は一体……?」
「あー……これはですね……」
校門前に集合した時から、口にこそ出さないが皆からは気にしている様な視線を蒼蘭は実感していた。が、聞かれるまでは黙っていたかったので、蒼蘭は自分の服装については沈黙を貫いていたのだ。
「沙織お姉ちゃんからの差し入れと言いますか……『対悪魔用の秘密兵器』だそうです」
「そのマントがですか? でも、見たところ布地から魔力を感じませんし、魔術道具には見えませんが?」
「いえ、これはただのマントで、その下に私が着ている物が秘密兵器なんです」
「それはそれは、大変興味深い。是非、私達にも見せてくださいな」
言うが早いか、好奇心旺盛なステラはマントを指で摘み、中を見ようとする。
「ま、待ってください! どの道、すぐお披露目する事になりますので、それまで心の準備をさせてください!」
「確かに、戦いが始まれば、自ずと分かる事でしたね。失礼致しました」
ステラがマントから手を離し、蒼蘭はホッと息をついた。
(姉貴から貰ったこの秘密兵器……。正直な話、『見てくれ』だけで言ったら、全然信用ならないんだよな……)
だが、これは『悪魔騒動』の最中、実験用に一体だけ捕獲出来たコボルトを使い、確かな効果が証明された秘密兵器だ。何より、沙織はこのシリアス極まりない状況下で、流石に悪ふざけをする様な人間ではない。彼女なりに弟を案じて作り上げた、至高の一品の筈だ。
姉の人となりを知っている惺は、彼女の事を信じる事にした。今身につけている物が、友人を救う手助けをしてくれる、と。
次回いよいよ、聖奪還作戦の本格始動となります!
明日5/2(土)投稿予定です!




