第3章13話 聖なる家に差し込む影①
第3章、後半部分のスタートです。
そして、察しの良い読者の皆様はサブタイトルでお気付きでしょうが、今回は鬱要素強めな話です。その点を踏まえて頂いた上で、見守って頂きたく存じます。
「はぁ……」
試験休み明けの教室で、私は今日何度目かのため息をつく。別に休み明けの登校が憂鬱だとか、今日返却される期末試験の結果が心配だとかではない。昨日の誕生日会で色々張り切ってしまったこと、流石に友人に『あーん』したり、慰めるためとはいえ抱きしめたり、といった行動はやりすぎだったかもしれない……という懺悔の念が1割。残り9割は昨日知った、聖を取り巻く家庭環境についてだ。
『一人前になるまで帰って来ないように』
母親に言われてから、聖は実家に帰ったことはなかったらしい。そのうえ、実家からは連絡もなく、誕生日に手紙もプレゼントも、贈られることはなかったのだという。精々、中等部時代に担任の先生から『視力が落ちたみたいなので、眼鏡を買ってあげてください』と直談判された事で、渋々眼鏡を購入した程度なのだとか。
『きっと私が落ちこぼれだから……お母さんは厳しくしているんだと思う。それだけの話だから、蒼蘭ちゃん達にはあまり重く受け止めないで欲しいな』
聖は、そう言っていた。
(……いや、それは違うだろ)
ハッキリ言って、聖の家族が娘にした対応は異常だと思う。
まず、そもそも『聖は言うほど落ちこぼれか?』という疑問がある。これまで彼女の治癒魔法に助けられたことなど、一度や二度ではない。何より課外授業での一件では聖が私に魔力を分けてくれたからこそ、『時間停止』という時魔法の真髄に触れ、結果的に異世界の刺客を討伐できたのだ。最早、聖は裏MVPと言って良い活躍をしている。そうでなくても、子供の生誕すら祝わないというのは、あんまりな話ではないか。
もしかしたら、聖の自己肯定感が異様に低いのは、こうした家庭環境が根本の原因ではないのか?
もしそうだとしたら……余りにも酷い話だと思う。誤解を恐れずに言えば、『自己肯定感の低さ』というのは一種の『深刻な病気』だ。無論、『異常』という意味ではなく、『身体と心を蝕む深刻な病』という意味合いだ。私も、自己肯定感が高いほうではないので分かる。自分の行動に自信が持てず、ふとした瞬間に悩んだり後悔したりする事など、これまでの人生で何度も経験した。だが私の場合、私自身の弱さゆえに引き起こされた症状でもある。確かに、類い稀な才能を持つ人間が『姉』という身近な立場にいたことで、望むと望まざるとの関わらず、周囲から比較されてきた。だが、だからと言って、何も悪くないお姉ちゃんに当たるのは、絶対にしてはいけない事だった。結局のところ、自分の卑屈さや姉へのコンプレックスが、自分自身の症状を引き起こしたのだ。
だが、聖は違うだろ?
聖の自己肯定感の低さが彼女自身に起因せず、周囲の環境のみによって植え付けられたものだとしたら……?我が友人は、どれだけつらい思いをしてきたのだろうか。本当は才能があるのに、それを発揮できない環境に身を置いているのだとしたら……いや、才能の有無にかかわらず、自分に自信が持てない状態で、心に暗い淀みを抱えたまま生活するなんて、惨い話ではないか。
それに何だか……聖も聖で、今日は元気がないように見える。何か元気づける話題が有れば良いのだが、今は思い浮かばないし、気分が沈んでいる人間にそんな芸当が出来るわけもないので、私は口を閉ざし、思考に耽るしかなかった。
◆
悶々とした気持ちを抱えながらも、何とか3時限目まで乗り切ることができた。返却された期末テストは何れも平均点を超えており、『魔女学園はじめての定期試験』の結果としては、まずまずの成果と言って良いと思う。特に、歴史の試験は自信が無かったが、マギナさんが手取り足取り教えてくれたおかげで正答率は8割越えだ。仮に、今なお生きる歴史上の人物に教わりながらも赤点など取ってしまえば、アゲハの大魔女に恩を仇で返すことになる。それを回避できたのは本来喜ぶべきことなのだが……昨日の今日では、歓喜に浸る気分にはなれなかった。
「瑠璃海さん、瑠璃海さん」
ふと気が付くと、担任の早苗先生が私に声をかけていた。
「あ、はい。何でしょうか、早苗先生」
「次は講堂での特別授業ですよ?朝のホームルーム、ちゃんと聞いていなかったのですか?」
「特別授業……」
いっけねえ、完全に忘れていた……。集中力がだいぶ落ちている、少し危機感持ったほうが良いな。
「あ、このパンフレットの授業ですよね?すみません、ちょっとボーっとしてて、先生のお話、聞いていなかった訳ではないんです」
言葉にした瞬間、『しまった』と思った。これじゃ、明らかな言い訳だ。
「覚えていたのなら、問題ありません。さあ、授業が始まる前に講堂へ行きましょう」
早苗先生は叱るわけでもなく、普段通りの穏やかな声色で移動を促した。朝のホームルームで案内されたことを、パンフレットと脳の奥に引っかかっていた記憶、それと早苗先生のお陰で思い出すことができた。とはいえ、我ながら注意力散漫だった。反省しなくては……。
足早に講堂へ赴き、教室の席順に並んで着席する。この手のイベントは学年集会と同じく全クラス合同で行われるため、A組の生徒は勿論の事、普段絡みのないB組やC組の生徒も一堂に会している。だが、生徒達の雰囲気は、学年集会の時とはまるで違う。どうにもピリピリしており、加えてB組やC組の生徒からはトゲのある視線を感じた。
(え……?私、何かしたか……?)
課外授業で同じ屋根の下の工場見学をしたA組なら兎も角、それ以外のクラスの子とは全く絡みが無い。故に、恨みを買う事など有り得ない訳で……多分、これは私の気のせいだろう。巷が物騒な所為で、皆ピリ付いているだけだ。私は張り詰めた空気感に耐えきれず、パンフレットに視線を落としながら、ホームルームの内容を思い返す。
(えーっと……確か、いつ悪魔に出会っても良いように、対処法を教えてくれるんだよな。最も、本格的な討伐方法ってよりは、防犯教室の『対悪魔バージョン』的な感じらしいけど。とは言え、知識を身につけるに越した事はないよな。結局、私は悪魔達と直接戦ってない訳だし)
ここ連日のデータから、かつて研究されていた悪魔退治の方法が、異世界の悪魔にもある程度通用する事が判明したらしい。だからこそ、『悪魔への対処法』を教えてくれる人がこの世界にも存在するのだとか。
(って事は、その人は有名な魔法使いなのかな?えーっと、特別講師の名前は……)
次の瞬間、私の心に暗い感情が渦巻くのを自覚した。講師の名前は『白百合 癒香』。先祖代々、治癒魔法を修めて来た魔法の名家-白百合家-の現当主であり……聖の、お母さんだ。
◆
(特別授業後の昼休みにて)
私は今、中等部との渡り廊下にある自動販売機前にいる。学園内の自販機で売っている飲み物は一律ではなく、この自販機でしか買えない商品もある。コーラを安く買うなら、ここの自販機が一番なのだ。
……と言うのは、建前だ。次の特別授業は、中等部で行われると聞いた。だから、まぁ……『もしかしたら会えるかもしれない』と思ってしまったのだ。別に何が何でも、しらみ潰しに探そうと思ったわけではない。だが、仮に出会えたならなら、一言言ってやらないと気が済まなかった。
そして、出会えてしまったのだ。特別講師にして、白百合家の当主様に。自動販売機前に備え付けられた、椅子とテーブルの休憩席に、彼女は座っていた。照明を反射するかの様な透き通った白髪と、切れ長の瞳にやや神経質そうな眼差し。治癒系の魔法にそうした効果があるのかは分からないが、20代後半と言われても信じてしまいそうな肌質。何より、髪色こそ違うものの、我が友人の面影を感じさせる整った顔立ち。私の目の前にいるのは間違いなく、聖の母親だった。
「……私に何か用でしょうか?」
向こうも私の視線に反応した。今気がついた訳ではなく、最初から気づいていた様だ。私は1秒半の逡巡を経て、最初の言葉を紡ぐ。
「初めまして、白百合 癒香さん。私は1年D組の、瑠璃海 蒼蘭と申します。一度、癒香さんへご挨拶に伺いたかったのです」
私はあくまで『友人の母親』への挨拶としての言葉を意識し、軽く一礼する。
「『挨拶』……貴女が先程口にした通り、私と貴女は初対面ですよね?勿論、先程の授業は"対面"と言うほどのものではないので、除外して考えますが」
癒香さんの素っ気ない物言いには一瞬ムッとしたが、ここは流すべき故にその感情を飲み込んだ。こんなものは本題ではないからだ。
「確かに、直接お会いするのは初めてですが……私にはその理由があるのです」
私は目の前の魔女を見据え、次なる言葉を紡いだ。
「私は聖の……貴女の娘さんの同級生で友達です。娘さんには、いつもお世話になっています。良い機会ですので、是非ご挨拶をと伺ったのです」
そう、私は彼女の友達だ。貴女程じゃないが、聖の人となりは知っているつもりだ。聖は間違いなく良い子で、決して誕生日にすら冷遇される様な言われは無い。だから、一言この母親に言ってやらねばならないと思っていた。とは言え、その"一言"に何を言うべきか、どんな気持ちを込めるべきか、完全には固まっていなかった。
だが、そんな考えは魔女の一言で蒸発してしまった。
「この学園の高等部に……私の娘なんて居ませんよ」
………………は?
「話はこれで終わりです。私は午後の授業がありますので、貴女とはお別れで」
「聖は!!貴女の娘だろうがッ!!」
最低限の礼儀は守るつもりだったが、目の前の魔女にはそんな物は不要だった。
「貴女に冷たく扱われる謂れなんか無いんだよ、聖はッ!何で貴女は、聖の誕生を、この世に生まれた事を祝わなかった!?何で、『一人前になるまで家の門は潜らせない』なんて抜かしやがった!?さっきの授業で白百合先生、貴女は問題に正解した生徒の事、褒めてたよな?神経質そうな表情してるけど、誰かに優しくする事は出来るんだよな!?
だったら、その優しさを聖に向けてやれよ!!」
一言どころではなくなったが、これは誰が言わなきゃいけない事の筈だ。私は、決して間違った事をしている訳じゃない。
だと言うのに、返ってきた言葉は冷たい物だった。
「貴女の様な何も知らない若輩者に、家庭の事情をとやかく言われる筋合いなど有りません。そもそも、何の権利があって、貴女は『白百合家』の内情に土足で踏み入っているのですか?」
「間違った事を『間違っている』って言うのに、何の権利が要るって言うんだよ?」
「無名の出自の者が、代々治癒魔術を次世代に受け継いできた私達に、何故意見が出来るのか、と聞いているのですよ。尤も、単に貴女が勘違いをしているというだけでしょうけれど」
「『勘違い』……?何を言って……」
「貴女が『アゲハの大魔女』に目をかけられている、たったそれだけの理由で、貴女は『自分まで優れた存在である』と勘違いしているのでしょう?だから貴女は態々、休憩中の私に難癖をつけに来た。『アゲハの大魔女』の庇護があるから、何を言っても大丈夫なのだと」
口元が震えた。
様々な感情が、考えが、脳内で混沌とした渦を巻く。
『マギナさんは今、無関係だろ!』
『お前の当てずっぽうな憶測で、俺を量った気になるな!』
『娘の事を大切にしない癖に、一丁前に家柄の事を口にするのかよ?』
マギナさんを引き合いに出された事への怒り、中身の伴わない薄っぺらな勘繰りに対しての苛立ち、時代錯誤が抜け出せない言い分への嘲笑、他にも様々なモノが脳と心臓で渦を巻く。だが、中々言葉に出せなかった。
「お母さん、そろそろ私達の授業だよ?」
ふと気がつくと、いつの間にか白髪の中学生が側に来ていた。『お母さん』って事は……この子は聖の妹か!?
「大丈夫よ、直。すぐに行くわ」
母親の言葉に、直ちゃんは安堵した表情を浮かべた。が、すぐさま顔をしかめた。私の方を見て、だ。
「……この人、誰?」
「ううん、何でもないわ。休憩をしていたら、絡まれちゃって」
何だよ、それ…………?
まるで、『自分には一切の非が無い』みたいな言い方じゃないか…………?
『非が無い』だと、ふざけんな。お前は、あの時の、聖の涙を見てないだろうが!!
「私は!『白百合 聖の友達』として、貴女の前に居るんだ!今はマギナさんの事は無関係だ!友達が不当な扱いを受けて、それを友達が抱え込んでいて、見なかった事にしろって言うのか!?それが『白百合家』とやらが代々受け継いできた教育方針なのかよ!?いや、それ以前に、聖の事を『大切な娘』として扱えよ!」
癒香さんも、直ちゃんも、何も言わなかった。直ちゃんは私を睨み、癒香さんは私に憐れみ混じりの視線を向けた。静まり返ったこの空間に、背後から慌ただしく迫る足音が響く。
「瑠璃海さん、これは一体……?」
「セイラ、貴女一体何をやっているのよ!?」
私に駆け寄ったのは、A組のアディラと菊梨花だった。
「二人とも……どうしてここに?」
「それは私のセリフよ、愛玩動物!白百合先生と言い争いをしていたって、本当の事なの!?」
「私達は、B組の生徒から知らせを受けて来たのですよ。瑠璃海さんが、白百合先生と口論になっていると聞いて来たのです」
二人の言葉に振り返ると、野次馬と思しき生徒達が……結構な数、こちらを見ていた。かなり、騒ぎが大きくなってしまったようだ……。
「午後の授業があるので、私はもう行きますね」
「あ……」
聖のお母さんが立ち去ってしまう。まずい、引き止めなきゃ!話はまだ終わってないんだからな!
言葉が纏まらない中でも、私は彼女らに向かって手を伸ばす。だがその手は、震えを帯びた別の手に遮られた。
「大丈夫……だから、もうやめて、蒼蘭ちゃん……」
今にも泣き出しそうな表情をした、私の親友に止められてしまった。この時、自分が置かれた状況を漸く理解できた。四方八方から視線が突き刺さり、周囲のヒソヒソ話が聞こえてくる。
(あの子、D組の転校生でしょ?)
(何で特別講師の先生と揉め事起こしてるのよ?)
(大魔女様に目をかけられているからって、D組の転校生はとんだ勘違い女ね)
(最悪……もう特別授業とかのイベントが開かれなくなったら、どうしてくれんのよ……)
この時、私は自分の行動の愚かさに、今頃気がついた。私は、聖を想って行動したつもりだった。だが、私の所為で騒ぎが大きくなってしまった。膝から力が抜け、その場に身体が崩れ落ちる。
「セイラ、これは一体どう言うことなの!?貴女は何を思って、こんな騒ぎを起こしたの!?」
アディラが責めるのも当然だ。編入したての小娘が名の知れた先生と揉め事を起こしたのだ。もし相手の不興を買えば、今後の学業行事に支障が出る。
けど……そうだとしても……私は親友の涙を見なかった事にはしたくなかった。だが、アディラの問いにはどう答えるべき……?
「あー、ちょっとごめんね、通してね!」
炎華が生徒達をかき分けて、私と聖の元へ駆け寄った。
「えっとね……すずみーとラトナっちの言ってる事は凄くごもっともなんだけどさ……」
炎華は私と聖を横目で見ながら言葉を紡ぐ。
「……少なくとも、セーラは理由もなしに、誰かに喧嘩を吹っ掛ける子じゃない。それは、二人も分かってるっしょ?」
「ええ、葡萄染さんの言い分は理解できます。だからこそ、私達は知らなくてはいけないのです。瑠璃海さんの行動の理由を」
副会長は一歩前に進み、私に視線を合わせた。
「……私は、貴女のことをよく知りません。ですが、この短い付き合いで、少しは理解できたつもりです。瑠璃海さん、貴女は葡萄染さんの言う通り、理由なく他者を害する人ではないと信じています。ナヴァラトナさんも、きっとそうです。……だから、貴女を信じさせてください。そして、そのためにも、貴女の動機を聞かせてください」
菊梨花の生真面目な一言一言が、私の胸を締め付ける。ここで何も明かさなければ、菊梨花や、彼女の言葉を否定せずにいるアディラに対しても失礼だ。だが、全てを正直に話せば、聖が傷付くことになる。どっちを選べば良いんだ…………?
「ごめん、菊梨花……。私は、貴女の信頼を裏切る事になる。全部、さっきのは全部、私が勝手にやった事」
こうなったら、この場は全部私が泥を被ってやり過ごすしかない。これは悪手かもしれないが、迂闊な行動をした私にだって責任が無いわけじゃないんだ。
「待って、違うの!菊梨花ちゃん、アディラちゃん!」
今にも泣きそうな表情で、聖が私の前に、庇う様に立った。
「蒼蘭ちゃんは、私の為に怒ってくれたの。私が、お母さんとの仲が良くないのを知って、蒼蘭ちゃんは『私が悪くない』って信じてくれて……だから、お母さんに意見してくれた、それが蒼蘭ちゃんの本当の動機なの!」
周囲からの視線が、少し和らいだ。そう、自分が庇おうとした、親友のおかげで。
「ごめんね……蒼蘭ちゃん……」
謝罪の言葉を口にした聖に対して、私は、何も言えなかった。自分自身への情けなさでいっぱいで、何を話せば良いのか分からなかったからだ。
次回は明日、投稿予定です。




