最終話 嫁いだ先は
馬車を降りて、屋敷を見たシャーロットは慌てて御者に声をかけた。
「御者さん、行き先を間違えてます!今日はここではないんです」
馬車がついたのはなんとエリアスの住む侯爵邸だったのだ。仮恋人の期間中、姉の機嫌が良いときなどたまにだが馬車を使ってこの屋敷まで来たこともある。御者もなにか勘違いしてしまったのだろう。
しかし、よりにもよって別の家に嫁ぐ日に彼と鉢合わせてしまうのは気まずいし、避けたかった。シャーロットは慌てて御者に出発するように言うと馬車に再び乗り込もうとした。
「シャーロット、行き先はここで間違いないよ」
「エリアス様?」
「よく来たね」
シャーロットが振り返るとエリアスはシャーロットを出迎えるように、にこりと眩しい笑みを浮かべ立っていた。
「――あっ!私、何か忘れ物をしてしまったんですか?すみません」
以前侯爵邸を訪れたときにうっかり何か忘れ物をしてしまったのだろう。取りに来るように御者に知らせがあったのかもしれない。
「違うよ」
「え…?では…」
「シャーロット。君の嫁ぎ先はここになった。僕の妻になってほしい」
「………え?エリアス様の妻??」
「うん」
「えっと………これは夢、ですね…」
こんな都合の良いことが起きるはずがない。きっとシャーロットの願望を夢にみているのだろう。しかし今日はガルガモット子爵に嫁ぐ日だ、寝てる場合ではないのだ。遅刻して子爵の不興を買い、金を返せなどと言われては困る。とにかく早く目を覚まさなければ。焦ったシャーロットは強く自分の頬をつねった。
「いっ痛い……あれ?」
「シャーロット、そんなに強くつねったら頬が赤くなってしまうよ」
(夢じゃない?)
思いっきりつねった頬がジンジン痛む。
目の前には心配そうに顔を近づけてシャーロットを覗きこむエリアスがいる。今日も本当にかっこよくて、シャーロットは反射的に頬を染めた。
「あの、でも、うちの家はガルガモット子爵家にお金を支援していただいていて…」
支援金の交換条件がシャーロットが子爵の後妻に入ることだったのだ。
「子爵とは話がついている。支援金はこちらですべて肩代わりした」
なんでもないことのようにエリアスが淡々と言った。
あの日、スチュアートに背中を押されたエリアスはガルガモット子爵に会いに行った。すぐに面会できたのはスチュアートが手配してくれていたからだ。
いくつかの提案をしたところ子爵は思っていたよりもすんなりと応じてくれた。シャーロットには話すつもりはないが、子爵が支払った支援金の金額に多少上乗せしたし、資産家の子爵が興味をもちそうな取引先をいくつか紹介すると約束もした。
もちろんシャーロットの父ハノホープ伯爵にも了承を得ている。
時間がなかったので領地にいるエリアスの両親には手紙で知らせただけだった。驚かせてしまうだろうし、反対されるかもしれないと思っていたが今朝早馬で「お前が決めたことなら反対しない」という内容の手紙が領地から届いた。
「肩代わり?!なぜ、そんな………エリアス様はそれでいいのですか?」
「もちろんだ」
「一体どうして………?あっ、わかりました!契約結婚ということですね!」
エリアスがシャーロットと普通に結婚を望む理由がない。きっとエリアスには結ばれることが叶わない想い人がいるのだろう……もしくは縁談が次々来るのが煩わしく、今度は仮初の結婚相手が必要になったのかもしれない。
「なるほど」とひとり勝手に納得し始めたシャーロットの両手をエリアスはぎゅっと握った。
「シャーロット、聞いてくれ。これは契約結婚ではない。僕は君を誰にも渡したくなかったんだ。好きなんだ、シャーロット。僕の妻になってほしい」
「…………え?あっあの、本当の妻ですか?」
エリアスの言葉に驚いたシャーロットは目をいっぱいに見開いて聞き返す。
(今、空耳じゃなければエリアス様に好きと言われた気がする?!)
「ああ、もちろんだ」
「で、でも、エリアス様。本当の私はお姉様と違って優秀でもない、平凡でつまらない人間です。もちろんお酒を飲んでも賢くはなりません。エリアス様とはとても釣り合いません」
「君はつまらない人間なんかじゃない。素直で優しくて魅力的な女性だ。シャーロット、僕と結婚するのは嫌か?」
「い、嫌なんて思うわけありません。だって私は…ずっと最初からエリアス様のことが好きでしたから…」
期せずして告白したようになってしまいシャーロットは恥ずかしさでカアッと頬が熱くなる。
「それなら――」
「でも、エリアス様はお優しいから私の境遇に同情してくださっただけではないですか?エリアス様にはもっとふさわしい名家のご令嬢がいるはずです…だから、同情なんかじゃなく本当に好きな方と結婚されたほうがいいです」
「僕が同情と恋愛感情をはき違えているというの?シャーロット、自分の気持ちは自分がよくわかってるつもりだ。別の誰かじゃなくて、僕は君がいいんだ。君が信じてくれるまで何度だって言う。僕は君のことが好きで好きで、誰にも渡したくない。大好きなんだ」
「っ………」
(エリアス様が私のこと好きで好きで、大好き??!)
直球すぎるエリアスの言葉にシャーロットはもう何も言えなくなる。顔が茹だるように熱い。
「これでわかった?僕と結婚してくれる?」
シャーロットを窺うように顔を近づけ首を少し傾けるエリアスはキラキラしていて破壊力抜群だった。
シャーロットはコクコクと必死に頷き、口を開く。
「わかりまひっ、痛っ」
あまりに驚きすぎて舌が上手くまわらなかった。
(痛い!舌を噛んでしまったわ)
「シャ、シャーロット、大丈夫かい?見せてごらん」
「えっ?!だ、大丈夫です。大したことはありませんから」
「でも心配だから、ほらお願い」
上目遣いにキラキラしたエリアスに頼まれ、どうしてもシャーロットは断りきれない。
恥ずかしさで逃げ出してしまいたいのを我慢してシャーロットは舌の先をチロリと出して見せた。
「あー、舌から少し血が出てるよ」
エリアスがシャーロットの顎を指で固定すると心配そうにじっと眺めた。
エメラルドの美しい瞳が自分の舌先を見ていると思うとシャーロットはもう羞恥心でどうにかなりそうだった。痛みなどとうにふき飛んでいた。
(はやく終わって。恥ずかしい恥ずかしい恥ずか―――!?!?)
その時、シャーロットの舌先に柔らかく生暖かいものが触れた感触があった。
なんとエリアスがシャーロットの舌を自身の舌でペロリと舐めたのだ。
(いいい今、舌が…!?舐め…舐め…)
衝撃的すぎてシャーロットは言葉を発することができない。
「よし、これで大丈夫だね」
エリアスが満足そうに美しく微笑む。
何が大丈夫なのかよくわからなかったが、シャーロットはそれどころではない。
頭から蒸気が噴き出しそうで、ひたすら全身が熱い。火傷しそうだ。
コホン
少し離れた場所で二人を見守っていたスチュアートが咳払いする。
「エリアス様、いくらシャーロット様とのことが嬉しいからってやりすぎです!それくらいにしないとシャーロット様に引かれてしまいますよ。そろそろ屋敷の中に入って、お話しください」
「あーすまないシャーロット。確かに浮かれすぎだな」
スチュアートにたしなめられ、エリアスは少しばつが悪そうに後頭部に手をおいた。
「でも僕が君を好きなことは伝わったかな?」
「はははい」
「じゃあ屋敷の中に入ろう」
「………」
「シャーロットどうかした?」
「あ、足が……信じられないことばかり起きて、驚きすぎてうまく力が入りません」
シャーロットは今、立っているだけで精一杯だった。
「それは大変だ」と言ったエリアスはなぜか嬉しそうで。次の瞬間シャーロットは横抱きに抱き上げられた。
「ひゃっ、エリアス様おろしてください!」
「転んでしまったら大変だから僕が中まで運んでいくよ」
「いえ、でも、そんなっ」
「シャーロット」
エリアスの顔が近づき、コテンとおでこを合わされる。鼻先が触れ。今にもキスされてしまいそうな距離だ。
「もしまだ僕の気持ちが伝わってなかったら、さっきの続きしてもいいよ」
そう言ってエリアスはいたずらっぽく、ぺろっと舌を出した。
瞬時にりんごのように真っ赤になったシャーロットは慌てて言った。
「いえ!もう、十二分に伝わりましたから」
「……お二方、はやくお入りください」
先に玄関先についたスチュアートが呆れたように二人を呼ぶ。
これ以上断ったら何をされるかわからないと、シャーロットはエリアスに横抱きにされたまま大人しく運ばれることにした。
温かいエリアスの体温が伝わり、シャーロットはドキドキするのと同時になぜだか深い安心感を覚えた。
ずっと姉と比較され、残念だと言われ続けていた。実の両親さえ、自分には無関心で。だからシャーロットはこんな自分を好きになってくれる人など誰もいないと思っていた。
(でも違った。エリアス様は―――)
不意にゆるゆると視界が滲む。
「シャーロットどうした?大丈夫?」
涙ぐむシャーロットを見てエリアスが心配そうに尋ねる。
「はい、大丈夫です。なんだか幸せすぎて、胸がいっぱいで…」
「シャーロット。これからはずっと一緒だ。僕の隣にずっといてほしい。生涯幸せにすると誓う」
「っはい」
幸せそうに微笑みあい、二人は屋敷の中に入っていった。
最後までお読みくださりありがとうございました。
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本編はこれでおわりですが、その後のふたりの番外編をひとつ書こうかなと思っています。




