40 馬車までの距離
引き続き話があるという父とリーディアを客間に残して、シャーロットは帰宅するエリアスを見送るため廊下に出た。
「エリアス様、いろいろ助けていただいて本当にありがとうございました」
「いや、いいんだ…それよりシャーロット。さっき君が話していたことだけど、当時、君はまだ幼い少女だったんだ。何もできなかった自分を責める必要なんてない。だから……今からでも…」
エリアスの言葉はそこで途切れてしまったが、シャーロットは彼の言いたいことがなんとなくわかった。
おそらく優しいエリアスは“後妻が嫌なら今からでもまだ撤回できるのでは”とシャーロットに伝えようとしたのだ。
「…ありがとうございます。でも家のために役に立てるならこれでいいんです。それにエリアス様のおかげで父にも本当のことを信じてもらうことができましたし、姉にもずっと言えなかったことが言えました。それだけで充分です」
「そうか…」
「そういえばエリアス様はどうして姉が私に変装しているとわかったんですか」
姉リーディアの変装は完璧で、どこからどう見てもシャーロットに見えた。
「第二王子の舞踏会でリーディア嬢のダンスを初めて見た時、なぜか既視感があったんだ。それでいろいろ考えて。どうしても君が社交界で噂の“シャーロット”だとは思えなくなって。パン屋をしている伯爵家元使用人の女性にも話を聞いたりしたんだ」
「まあ、ミリーにも……本当にありがとうございます。エリアス様には助けてもらってばかりです。どうして私にここまでしてくださるんですか?ご迷惑ばかりかけたのに…」
「それは………い、一時的だとしても仮の恋人だったんだ。助ける理由には充分だろう」
フイッと視線を逸らしエリアスは答えた。
「エリアス様は本当に優しすぎます。エリアス様の――……」
「…ん?」
「い、いえなんでもありません」
“エリアス様の本当の恋人になれる方は幸せですね”
頭に浮かんだ言葉は喉に詰まって出てこなかった。
玄関を出ると、空の高いところに月がぽっかり浮かんでいた。
ちらりと隣を歩くエリアスを見る。
彼とこうやってふたりきりで会うのも今日で最後だ。次に会う機会があるとすれば、シャーロットが子爵夫人になった後だろう。
もし夜会で会うことがあったとしても、その時エリアスの隣には違うパートナーがいる。
ツキンと胸が痛んだ。この気持ちももうきっぱり諦めなければいけないのに。ずっと彼の隣にいたいと到底不可能なことを思ってしまう。
(でもこれで本当に最後なら…)
「あ、あの…最後にひとつお願いしてもいいですか」
「ああ。なんだ?」
「て、手を繋いでもらえませんか?」
「手…?」
「はい。…ずっと憧れてたんです。恋人同士で手を繋いで歩くこと」
「………」
驚いたように無言になったエリアスを見て、シャーロットは自分がずいぶんはしたないことを言ってしまったと自覚した。
(いくら最後だからって、私ったらなんて恥ずかしいことを…)
「も、申し訳ありません!もう仮恋人の期間も終わっているのに、非常識でした。気持ち悪いこと言ってごめんなさい!忘れてください!」
涙目になりながらシャーロットは謝罪した。
最後なのにやっぱり軽薄な女だと思われただろうか。
「いや…それくらい構わないよ」
「へ?」
「じゃあ、今からあの馬車に僕が乗るまで僕たちは恋人同士だ」
そう言ってエリアスが指差した先、門のところには侯爵家の馬車が止まっている。
「シャーロット、手を」
「はははい」
シャーロットの返事を聞くと、エリアスはフッと笑って優しく彼女の手を握った。
エリアスの手はシャーロットの手を包み込んでしまうくらい大きくて、暖かくて。
自分で言い出したことなのに、シャーロットはこれ以上ないくらいドキドキして頬がカアッと熱くなった。
「…短い期間でしたが、エリアス様の仮恋人になれて本当に良かったです。楽しい思い出がたくさんできました」
「…それならよかった。何が一番楽しかった?」
「一番ですか?…どれも楽しくて大切で…選ぶのは難しいですね。あっ、でも、星夜祭で一緒にあげたスカイランタンはとても綺麗で幻想的でいい思い出になりました」
「…僕はカップルスペシャルペイントも印象に残ってるな」
「ふふ」
シャーロットの頭の中に、エリアスと過ごした日々が次々と浮かぶ。
初めてのデートはとても緊張したし、人気の植物園に行ったり、ピクニックでは羊の群れに揉みくちゃにされるハプニングがあった。舞踏会で星空の下、一緒にダンスもした。
近くにいなければ見れないようなエリアスの柔らかい優しい笑顔も何度も見れた。
(寂しいな…)
いろいろ思い返してしまいシャーロットは泣きそうな気分になった。でも最後なのだから笑顔で別れたい。月を見るふりをして上を向き、涙を堪えた。
伯爵家の敷地はエリアスの侯爵家のような広さはないため、ゆっくり歩いてもあっという間に玄関から門までたどり着いてしまう。
これで本当の本当にお別れだ。
「シャーロット、元気で」
エリアスが繋いでいた手を離した。
「エリアス様も――」
エリアスの離された手がそっとシャーロットの頬に触れ、驚いているうちに今度は彼の唇が反対側の頬に軽く触れた。
「―――へっ?」
「言ったろう?馬車に乗るまで恋人同士だって」
真っ赤になったシャーロットを見て、少しいたずらっぽい笑みを浮かべエリアスは言った。
「さよならシャーロット」
「っさようなら、エリアス様」
エリアスが乗った馬車が通りの角を曲がり見えなくなるまでシャーロットは見送った。ポロポロと零れ落ちる涙を止められなかった。
◇
それからあっという間に日が過ぎて、シャーロットが子爵家へ嫁ぐ日がきた。
すでに荷造りしてあった鞄を持ちシャーロットは玄関にむかう。
見送る者は誰もいないはずだったが、玄関にはリーディアがひとりぽつんと立っていた。
あの晩以降、姉に使用人のように扱われることはなくなったが、かといって姉妹関係がよくなったわけではなく同じ屋敷に住んでいてもほとんど顔を合わせなかった。
「お姉様?」
「見送りにきたわけじゃないのよ。これ返し忘れたから」
リーディアに渡された袋の中にはストールと若草色のワンピースが入っていた。エリアスが贈ってくれたものだった。
「じゃあね。元気で」
そう言うとくるりと背をむけリーディアは行ってしまう。
その背にシャーロットも声をかける。
「お姉様もお元気で」
リーディアも数ヶ月後、領地にて父が決めた男性との婚約が決まっている。婚約と同時にリーディアも領地に移り住む。将来的にはその男性が婿に入り爵位を継ぐ予定だ。
さらに現在、伯爵家の財政状況が厳しいことからこの王都の屋敷は手放すことになった。
あまりいい思い出はなかったが、ずっと住んでいた家がなくなるというのは寂しい気もした。
シャーロットは馬車に乗り込んだ。行き先はガルガモット子爵の屋敷だ。
王都の屋敷に住む子爵に顔合わせの挨拶に行った後、後妻になったシャーロットのみ子爵の領地に移り住む予定だ。子爵は基本、愛人と王都で生活しているらしい。
その話を聞いても悲しいとかそういう感情は湧いてこなかった。
馬車の中、シャーロットはスカートのポケットから葉の形をした髪飾りを取り出す。髪飾りに付いている緑の石を親指の腹でそっと撫でた。
忘れようと思ってもしばらくは忘れられそうにない。
「着きました」
御者に声をかけられたシャーロットは慌てて馬車から降りた。物思いに耽ってしまい、窓の外を眺める余裕もなかった。
目の前に建つ立派な屋敷に、シャーロットは目を見開く。




