3 発端
バシッ
「なんてことをしてくれたんだ!!」
久しぶりに領地から王都の屋敷へやってきたシャーロットの父、ベルナルドは怒りで顔を赤くしていた。
父親に平手打ちされてシャーロットは痛む頬に手を当てる。好かれていないのはわかっていたが、さすがに父に打たれたのは初めてだった。
「も、申し訳ありません」
「お前のろくでもない噂は領地まで流れてきていたが、今まで黙認していた。母親を亡くしてお前にも寂しい思いをさせたのだろうと大目にみていたのだ」
事の発端は、シャーロットに変装した遊び人の姉、リーディアが今度は婚約者のいる男性を唆して恋仲になったことだった。それが婚約者の耳に入り、その婚約者というのが運の悪いことに由緒ある侯爵家のご令嬢だった。当然、婚約破棄となり、怒った侯爵家が抗議をしてきたのだ。
「だが、今回ばかりは見て見ぬふりはできない。お前のせいで婚約破棄となった侯爵家から多額の慰謝料の請求が来ている。我が家では到底払いおおせない金額のな!支援先を必死に探した結果、ガルガモット子爵家が一部を肩代わりしてくれることになった。そこがお前の嫁ぎ先だ。子爵の後妻になれ」
「えっ!?」
「これは決定事項だ。修道院に入れられないだけありがたく思え!」
「お父様、お待ちくださいっ」
「半年後には嫁いでもらうからそのつもりでいろ!」
「そんなっ、待って――」
「お前もリーディアのようだったらどんなによかったかっ」
「っっ……」
吐き捨てるように言う父ベルナルド。愚かな娘シャーロットの言葉に耳を傾ける気は一切ないらしい。
すがるシャーロットを振り払うと、そのまま領地の屋敷へと帰ってしまった。
「あら、シャーロット。嫁ぎ先決まったんですってね」
父が屋敷を去った後、放心状態のシャーロットの前に姉リーディアが現れた。まるで他人事のようなものの言い方にさすがのシャーロットも怒りを覚える。
「お姉様!お父様に全部お話しください。全部お姉様がしてしまったことですよ。私は…私は嫁ぎたくありません!!」
「いやよ」
意地の悪そうな笑みを浮かべてリーディアが言った。
「代わってあげたいけど無理よね。だってみんな知ってるわよ。全部シャーロットがしたことだって」
「そんな…」
「例えあなたが誰かに告げ口しても信じる人はいないと思うわ。だって私は完璧な淑女の姉、あなたは不出来な妹だもの。諦めることね」
◇
シャーロットは青白い顔のまま自室のベッドに呆然と座り込んでいた。
使用人が使っているのとほぼ同じ大きさのシャーロットの部屋はベッドに机とイスくらいの家具しかない。
屋敷にある本来のシャーロットの部屋は、リーディアに追い出され、もうずっと前から姉の物置部屋となっていた。
シャーロットが嫁ぐように言われた子爵とは親子ほども年が離れていると、先ほどご丁寧に姉リーディアが楽しそうに教えてくれた。
子爵は事業の投資で利益を出し、経済的に恵まれていた。愛人もいるらしく、前妻との仲は冷えきっていたらしい。その前妻が亡くなり、子爵としての立場上、貴族の新しい妻が必要だったのだ。
(もうどうしようもない…)
頻繁にシャーロットに変装して夜会に遊びにでる姉。いつか取り返しがつかないことが起きるのではないかとシャーロットも危惧していた。姉の行動を止めきれなかった自分にも多少責任はあるのだろう。
今さら父ベルナルドに真実を話しても、姉の言う通りきっと信じてはもらえない。父の中では優秀な姉と、出来の悪い妹なのだ。誰も優秀で完璧な淑女のはずのリーディアが実は妹に扮して遊んでいるなどと思いもしないだろう。
シャーロットは半年後に多額の援助金の代わりに父親よりも年上の子爵の後妻になるしか道はないのだ。
この状況をひっくり返えせるような良い案は平凡なシャーロットには思い浮かばなかった。
深いため息を吐いたシャーロットは机の引き出しから一冊の本を取り出した。
騎士と令嬢の恋を描いた恋愛小説だった。大好きで何度も読み返した本だ。
シャーロットもいつかこの小説の令嬢のようにキラキラした恋をしてみたいとひそかに憧れていた。
シャーロットに恋人がいたことは1度もない。社交の場、特に夜会にはほとんど姉がシャーロットに成り代わって出席してしまうし、自分はといえば使用人と共に家のことをするように命じられていた。
この屋敷の使用人たちは当主のベルナルドがずっと不在のため長女であるリーディアの指示に従っている。過去、心優しい使用人がシャーロットの扱いが酷すぎると意見したこともあったが、その使用人はその後すぐに解雇されてしまった。屋敷の人事権を父が信頼しているリーディアに任せているためだ。
そういうことが何度かあって、屋敷の使用人はリーディアを恐れ、彼女に意見できる者はいなくなってしまった。シャーロットにどんどん仕事をまわすように指示してあるのだろう、忙しいときは食事さえ食べられないこともあった。
子爵の後妻になれば使用人のように扱われることはないだけ、ここよりはマシなのかもしれない。
でも―――
シャーロットだって年頃の女の子らしく漠然といつか恋がしたいと思っていた。
しかしこのままではそれも叶わない。子爵は三十も歳が離れているし、なにより愛人がいる。
このまま、恋愛も何も知らないまま後妻になんてなりたくなかった。
涙が出てきそうでシャーロットはキツく目を閉じた。
その時唐突に、シャーロットの頭にある人物の顔が思い浮かんだ。