四十
「暴動だ! 撃て! 撃ち殺せ!」
部下に命令するコナーズ中尉の顔には嬉々とした笑みが浮かんでいる。兵士達は、武器もなくただ逃げ惑うだけの人々にライフルを発砲していく。
その中で一人、一番若い兵士がこの状況に驚愕して目を見開き、顔を強張らせたまま引き金を引けずにいた。その兵士に気付いたコナーズ中尉がつかつかと歩み寄る。
「撃て! 撃てと言うのが分からんか!」
若い兵士は、撃たれて次々と倒れていくインディアンから目を逸らせずに答えた。
「し、しかし……彼らは逃げているだけです……」
コナーズ中尉の眉が吊り上った。
「何を言うか! 奴らは獰猛なアパッチだ! 撃ち殺せ! 命令が聞けないか!」
血塗れで倒れている女の身体を、傍らで泣き叫びながら一生懸命揺すっている小さな子供の姿を見て兵士は震えていた。
「で、出来ません……」
確かに無抵抗の者達を虐殺したとなれば、国際的にも人権団体なる生ぬるい輩からも軍は非難を浴びせられる。しかし奴らが暴動などを起こした場合は、もちろんその限りではない。コナーズ中尉はグローバー大佐の、そして連邦政府の意図を正しく理解している。『インディアンは死に絶えるべきなのだ』と。それがこの国の繁栄のためなのだと。
目に涙を溜めて自分の命令を拒絶した若い兵士の額を、コナーズ中尉は何の躊躇いもなく撃ち抜いた。
ティピィーの中に居る凛は、外から轟く銃声と悲鳴に怯え、身動きも出来ないでいた。皆が気になるが、恐ろしくてどうしても外を見ることが出来ない。
その時ティピィーの入り口が乱暴に開けられ、コナーズ中尉が入ってきた。その目は先程と同じに陰湿な輝きを放っている。
「見つけたぞ……」
凛の背筋が凍りついた。コナーズ中尉は口元を歪ませながら、後退る凛に近づいてくる。腰に提げたサーベルから耳を不快にくすぐるような金属音が鳴り、凛の恐怖心を煽り立てる。
「ずっとお前を見てた。まだ男なんて知らないんだろう? 殺す前にお前に本当の男を教えてやろう」
凛は恐怖に脚が震え、四つん這いで逃げようとした。しかしコナーズ中尉に髪を摑まれ、そのまま仰向けに引き倒された。
「嫌! やめて!」
コナーズ中尉に圧し掛かられた凛は叫びながら滅茶苦茶に暴れた。しかし凛の力では軍人の巨体を押しのけることなど出来はしない。しかも凛が暴れれば暴れるほど、コナーズ中尉は息を荒げて獣のような歓喜の唸り声を上げてくる。
「この売女め!」
コナーズ中尉は唾を撒き散らしながら叫ぶと、顔を凛の胸にすりつけた。蹴り上げようともがく凛の脚を力ずくで押し広げ、スカートを捲り上げようとする。
「もうダメだ……」と、絶望的になった凛が激しく頭を振った時、赤い革の鞘に入ったナイフが、畳まれた毛布に半分隠れるようにして落ちているのが目に入った。サンから貰ったナイフだ。凛は無意識に震える腕を伸ばした。指先にナイフの柄があたると凛は力を振り絞り、必死で膝を蹴り上げて暴れ出した。凛の膝はコナーズ中尉の腹に当たった。
「何しやがるんだ! 大人しくしろ!」
蹴られた痛みでコナーズ中尉が凛の胸から顔を上げた。その顎に手を当てて腕を伸ばした凛は、もう片方の手に持ったサンのナイフを剝き出しになったコナーズ中尉の喉に当て横に引いた。もう無我夢中だった。
ぱっくりと開いたコナーズ中尉の喉から夥しい量の血が凛に降り注いだ。顔を背けた凛の身体の上に、目を見開いたままのコナーズ中尉ががっくりと倒れ込む。凛は必死でそこから這い出ようともがいたが、コナーズ中尉の身体は重く全く動かない。凛の犯した罪の重さを知らしめるように己の身体を石に変え、絶対に逃すまいとしている怨念のようなものを感じた。
そこへ、再びティピィーの入り口が開いて誰かが駆け込んできた。凛は死に物狂いで逃げようともがいた。
「リン! いるのか?」
聞き慣れた声、カイだった。
「カイ! た、助けて……」
凛は叫んだつもりだったが、胸が押しつぶされて弱々しい声しか出ない。カイはうつ伏せになっているコナーズ中尉の軍服を摑むと凛から引き離した。血塗れで上体を起こした凛を見てカイは肝を潰した。
「リン! 大丈夫か? 怪我してるのか?」
肩を揺すられた凛は力なく首を振り、ほっとした顔のカイから目を逸らした。そして転がされて仰向けになったコナーズ中尉が目を開いたまま息絶えているのが見えると激しく身体を震わせた。
「わ、私殺しちゃった……人を。私……な、何てことを……」
凛は血の滴るナイフを握り締めて激しく取り乱した。
「リン」
カイが肩を摑んだまま呼び掛けたが、凛は泣きながら首を振り完全に自分を失っている様子だ。外では依然として銃声と悲鳴が響いている。カイは平手で凛の頬を張った。
「しっかりしろよ! 殺らなきゃ殺られてたんだ! こいつはお前を殺すつもりだったんだぞ! お前だって……サンに訓練された戦士だろう!」
凛は痛む頬を押さえてカイに目を向けた。わなわなと震えながらも、やっと自分を取り戻した凛は小刻みに頷いた。
「凛! カイ!」
入り口が開き、蒼ざめた顔の千代丸が飛び込んできた。喉を切り裂かれているコナーズ中尉の死体を見て一瞬ギョッとした千代丸だったが、すぐにカイと凛に向かって声を張り上げた。
「あいつら皆殺しにするつもりだ! 早く逃げないと!」
凛とカイは弾かれたように立ち上がった。
ティピィーの外に出て凛が目にしたものは、まさに地獄絵図だった。舞い上がっているのは砂か硝煙か。銃火の中を逃げ惑う人々。そして、そこかしこで積み重なるように横たわる砂と血に塗れた幾つもの死体。青い服の軍人は、ライフルを手に自分に課せられた使命を忠実に全うしていく。赤ん坊を抱いて逃げる女を背中から撃ち殺し、倒れて呻いている老人に止めを刺す。彼らの言う、血に飢えたケダモノをこの地から絶滅させるために。
凛は瞬きも忘れてその悪夢を見ていた。脚はがくがくと激しく震えている。これが現実だとは思いたくない。
「い、嫌。 やめて。 やめて……」
凛の呟きは銃声と泣き叫ぶ声、そして風の音に掻き消された。
「俺はミア達を捜してくる! 凛もカイと一緒に逃げて!」
「分かった! リン、こっちだ!」
千代丸の言葉に頷いたカイはティピィーの後ろを回り込むように駆け出した。
凛がカイの後を追おうとした時、砂埃の中を背中にウナを背負い、ふらつきながら歩いているミアの姿が目に入った。
「千代、あそこにミアが!」
凛が指差した方を千代丸が見た瞬間だった。ミアとウナの背後から兵士が近付き発砲した。ミアはウナを背負ったまま前に倒れた。千代丸はまるで自分自身が撃たれたかのように身体を弾かせて叫んだ。
「ミアー!」
背中を撃たれてぴくりとも動かないウナの下からミアが這い出してきた。上半身が出たところで身体の向きを変えて起き上がったミアだったが、目の前には兵士が構えるライフルの銃口があった。
ミアとウナの姿が見えてから一瞬の出来事だった。死んだウナの身体の下に脚を挟まれたまま、胸を撃たれてミアは地面に叩きつけられた。
「ミアー! あ、あ……」
絶叫する凛の胸にミアとウナと共に過ごした日々の断片が去来した。素直なミアの明るい笑顔、妹のように思っていた。そしてウナの皺皺の手に触れた時感じた精神的な庇護の念。その手にしがみ付いて泣いたこと。
大切な家族だった。それなのに、目の前であっけなく命を奪われた。凛はこの悪夢に胸を掻き毟られるような痛みを感じると共に、激しい虚脱感に襲われた。あまりにも理不尽な行い。それに太刀打ち出来る術を持たない無力な自分。
「あの野郎……」
千代丸が喉の奥から唸るような声を上げ、ウナとミアを撃ち殺した兵士へ向かって走り出した。
「千代!」
凛が叫んだが、千代丸は止まらない。
疾風のように自分に向かってくる少年に気付いた兵士が慌ててライフルを構えた時には、千代丸の姿は目の前から消えていた。千代丸は脇にあった岩に飛び乗ると、しなやかな身体のバネを使い、そこから兵士に向かって宙に舞い上がった。手にはナイフを握り締めている。
「うわああ!」
叫びながら兵士に飛び掛った千代丸は、その首の根元にナイフを突き立てた。
凛は戦慄を憶えたまま身じろぎも出来なかった。こんなに激しく憎悪と敵意を剝き出しにした千代丸を見たのは初めてだった。
「凛、早く逃げて! すぐに追いつくから!」
千代丸は殺した兵士の襟を摑んで盾にしながら、凛が居るのとは反対側のティピィーの陰に隠れた。
すばしこい千代丸の姿が見えなくなると、凛は慌ててカイが逃げたのと同じ方向へティピィーを回り込んだ。気ばかりが焦っているが、震える足はなかなか前へ進んでくれない。銃声が鳴るたび、興奮した兵士の怒鳴り声が聞こえるたびに肩はすくむし足は止まってしまう。
「カイ、どこにいるの……」
不規則に並んだティピィーとティピィーの間、岩と潅木の間に隠れるようにしながらカイを捜した。
もしかしたら、兵士に見つかって殺されてしまったかも知れない。そんな絶望的な思いに囚われ、大きく傾いたサボテンの陰にしゃがみ込んだ。
こんな場所に隠れていてもすぐに見つかってしまうだろう。目に滲む涙を拭いて立ち上がろうとした時、横から出てきた馬に行く手を塞がれた。兵士が乗ってきた軍馬だ。誰も乗っていないように見えたが、次の瞬間それまで馬の横腹にしがみ付いていたカイが軽やかに鞍に跨り凛に左手を差し出した。
「リン! 早く乗れ!」
凛は夢中で立ち上がり、カイの腕に自分の左腕を絡めて後ろに飛び乗った。カイが掛け声を上げ手綱を馬の肩に当てると、健脚な軍馬は勢い良く走り出した。
「チヨは?」
カイの身体にしっかりと腕を回し、周りの轟音に負けじと叫んだ。カイは顔を少しだけ凛の方に傾けて叫び返す。
「後ろにいる! 大丈夫!」
凛が振り向くと、カイと同じように馬の横腹にしがみ付いてティピィーの間を駆け抜ける千代丸が見えた。
舞い上がる砂煙の向こうに目を凝らすと、立っているアパッチはもういないように見えた。しかし油断は出来ない。隠れているインディアンを探し出すのは至難の業だ。しかも奴らは悪名高いアパッチだ。奇襲をかけて来ることも有り得る。
兵士は転がる死体を避けながら緊張して辺りを窺う。さっきからコナーズ中尉の姿が見当たらない。きっとどこかのテントの中で女を犯しているんだろう。
「まったく、物好きめ……」
以前にもこういうことがあった。その後は女を楽しそうにいたぶって殺すのだ。この部族の酋長の娘への仕打ちを目にした時は、さすがに胸が悪くなりそうだった。自分の上官ながら呆れる。コナーズ中尉はアパッチのことを『ケダモノ』と呼ぶが、それを力ずくで犯す自分は何なのだ。
兵士が顔をしかめて足元に唾を吐いた時、一つのテントの前で部下が叫んだ。
「コ、コナーズ中尉が!」
そのテントの中では、コナーズ中尉が喉を切り裂かれて死んでいた。ズボンのボタンが外れかけていることから、犯そうと思っていた女に殺されたのだろう。コナーズ中尉に同情の念は感じないが、やはりアパッチは油断ならない。恐るべき国家の敵なのだ。
ライフルを構え辺りに目を遣ると、自分達が乗ってきた馬が走っていることに気が付いた。誰も騎乗していない。きっと、きちんと手綱を繋いでおかなかったのだろう。馬は段々速度を上げて離れていく。銃声に怯えているのだ。
「おい! 誰か馬を……」
コナーズ亡き今、指揮官であることを自覚した兵士が指示しようとした時だった。駆けていく馬の激しく揺れる尻尾の隙間から白っぽいい物が見え隠れしていた。柔らかい革で出来た不恰好な袋のようなブーツ。モカシンだ。
「アパッチだ! 馬を盗んで逃げたぞ!」
しかもよく見てみると、その先にも二人乗りの馬が疾走している。後ろを走る馬のインディアンも鞍に飛び乗った。四人の兵士はライフルを構え、逃げていく二頭の馬に乗った三人のインディアンに向かって発砲を始めた。しかし二頭の馬は、複雑な起伏の隙間と入り組んで乱立している岩や潅木の茂みを縫うように走っていく。見失ってしまうのは時間の問題だろう。
「逃がすな! 追え!」
二人の兵士が弾かれたように走り出し、残っている馬の元へ駆け寄った。しかしいつまで経っても馬を出さない。
「何をしている! 早く追うんだ!」
「し、しかし……手綱が濡れていて……」
横木にきつく結わいつけられた革の手綱は濡れていた、解こうと引っ張れば引っ張るほど、結び目が食い込み固くなっていく。
「何なんだ、畜生!」
兵士が毒づき地団太を踏むと、鞍に積んでいたはずの水筒が地面に転がっているのが目に入った。
「くそっ! あいつらの仕業だ! イカれたインディアンめ!」