第5話 飛べない竜の涙
書庫に三日間通い詰めた。
魔族の文字は読めないが、人間語で書かれた文献も少なからずある。
かつて人間と魔族の間に学術交流があった時代の遺物だろう。
黄ばんだ頁を一枚ずつ繰りながら、探していた言葉を見つけた。
——再生術。
文献は薄い革綴じの冊子だった。
表紙に「禁忌目録・第七項」と書かれている。
内容を読み進める。
「再生術。失われた器官を再び生成する秘術。回復魔法の極致にして禁忌。通常の回復魔法が"傷を塞ぐ"行為であるのに対し、再生術は"無から有を創る"行為に相当する。その代償として、術者の寿命から相応の命を差し引く——」
頁を繰る手が止まった。
寿命。
代償が術者の寿命。
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だが具体的な数値は書かれていなかった。
「相応の命」という曖昧な記述のみ。
翼一枚を再生するのに、どれだけの寿命が削られるのか。
一年か。五年か。それとも——
分からない。
分からないが、方法自体は存在する。
俺は冊子を鞄に入れ、書庫を出た。
◇
北棟。セリカの部屋。
扉を叩くと、今回は返事があった。
「……入れば」
部屋に入ると、セリカは窓辺にいた。
前と同じ椅子に座り、外を見ている。
窓の向こうには空が広がっている。雲が風に流されていく。
飛べない翼持ちが空を見る。
その背中が何を思っているか——推測することしかできないが、穏やかな時間には見えなかった。
「何の用。また診察?」
「報告だ。再生術という魔法が存在する。書庫の文献で見つけた」
セリカの肩が僅かに動いた。
振り向かない。だが、聴いている。
「失われた器官を再生する禁忌の術だ。翼にも適用できる可能性がある」
「……代償は」
鋭い。
この少女は聡い。禁忌と聞いて、即座に代償を問う。
「術者の寿命を削る」
沈黙。
セリカがゆっくり振り向いた。
紅い瞳は凪いでいるように見えたが——唇が、ほんの少し強く結ばれていた。
「馬鹿じゃないの」
「何が」
「自分の命を削って、他人の翼を生やすって? 正気?」
「正気かどうかは分からない。ただ、方法があると伝えに来た」
「伝えなくていい。やらなくていい。私は——」
言葉が途切れた。
セリカは窓の外に視線を戻した。
左の翼が、微かに震えている。
「……私は、もう慣れたから」
その声は、三日前より小さかった。
俺は黙って椅子を引き、セリカの斜め後ろに座った。
「セリカ。翼を斬られたのは、いつだ」
「……三年前。人間の英雄に斬られた。それだけ」
「痛かったか」
「当たり前でしょ。翼だよ。——体の一部を切り落とされる痛みが分かる?」
「分からない。だから聞いてる」
セリカが俺を見た。
怒りがあるかと思ったが——違った。
戸惑い。
こんなことを聞く人間がいるのか、という顔。
「……痛いなんてもんじゃなかった。斬られた瞬間は覚えてない。気がついたら地面に落ちてて、右半身が血だらけで、空が遠かった」
淡々とした口調だが、左手が椅子の肘掛けを掴んでいる。
指先が白い。
「それから、飛べなくなった。片翼じゃバランスが取れないの。当たり前だけど」
「三年間、ずっとか」
「ずっと。——もういい? 同情なら要らないから」
「同情じゃない」
俺は立ち上がった。
「俺は回復術師だ。目の前に治せるかもしれない傷がある。それを放っておく方が、俺にとっては不自然なんだよ」
セリカが目を見開いた。
数秒。
長い数秒だった。
セリカは、ふいに窓の外を向いた。
「……変な人間」
小さな声。
だが、棘がなかった。
「勝手にすれば。期待なんかしないけど——調べるだけなら、止めない」
それは三日前の言葉とほとんど同じだった。
でも、声の温度が違う。
微かに——ほんの微かに、柔らかかった。
俺は部屋を出た。
扉を閉める直前、セリカの声が聞こえた。
「——エイル」
振り向いた。
セリカは窓の外を向いたまま、左翼を小さく畳んだ。
「……あんまり、無茶しないで」
それだけだった。
廊下に出て、扉が閉まった後で、気づいた。
あれはたぶん——セリカなりの「ありがとう」だ。
◇
部屋に戻り、文献を広げた。
再生術の手順。魔力の流し方。構成式。
禁忌とされるだけあって情報は断片的だが、理論は理解できる。
代償は寿命。
正確な量は分からない。
だが——少し減る程度なら、やる価値はある。
セリカの震える翼を思い出す。
空を見上げる紅い瞳を思い出す。
飛べない翼持ちに、空を返してやりたい。
そう思うのは、傲慢だろうか。
分からない。
でも、俺の手は傷を見ると光るのだ。
生まれつきそうなんだから、仕方ない。
頁を繰る。
赤い月が窓の外で、静かに傾いていた。




