第11話 すまない、エイル
夜中に目が覚めた。
理由は——気配だ。
部屋の中に、誰かがいる。
寝台から身を起こした。
月明かりが窓から差し込んでいる。
部屋の隅。扉の横。
大きな影が立っていた。
大きい。
俺より頭二つ分は高い。肩幅も広い。
その体格を、俺は知っている。
「——カイン?」
影が動いた。
「……起こしたか。すまない」
聞き間違えるはずがない。
低く、穏やかで、少しだけ不器用な声。
カイン・バレットだ。
「お前——どうやってここに」
「裏手の岩壁から登った。門は無理だったから」
魔王城の岩壁を登った。素手で。
この男ならやりかねない。
「灯りをつけていいか」
「ああ」
蝋燭に火を灯した。
オレンジ色の光が、カインの姿を照らす。
変わっていなかった。
大きな体。短い茶髪。四角い顔に、穏やかな目。
ただ——痩せたように見えた。
頬がこけている。目の下に隈がある。
「カイン。何があった」
カインは——壁に背を預け、ゆっくりと膝を折った。
座り込んだ。
大きな体が、小さく見えた。
「すまない、エイル」
最初に出た言葉が、それだった。
「あの時——お前が追放された時。俺は何も言えなかった」
「知ってる。お前が何か言おうとしたのは見えた」
「言えなかった理由がある。——レクスに、妹を押さえられていた」
息が止まった。
「妹——リーナか」
「ああ。レクスが教会の連中を使って、リーナを『保護』という名目で神殿に軟禁した。俺が従わなければ——」
カインの拳が震えていた。
「——だから、黙った。お前を見捨てた」
沈黙が落ちた。
蝋燭の炎が揺れている。
俺は——怒りが込み上げるかと思った。
だが、来なかった。
代わりに来たのは、納得だった。
あの日、カインの拳が白くなるほど握られていたこと。
口を開きかけて、閉じたこと。
——全部、繋がった。
「リーナは今、無事なのか」
「分からない。俺はレクスの元を離れた。だから、今は——」
カインの声が震えた。
「エイル。俺はお前に合わせる顔がない。だが——伝えたいことがあって来た」
「聞く」
「レクスが軍を編成している。教会と正規軍を合わせて、千名以上。魔王城への大規模進軍だ」
千名。
先日の討伐隊は二百名だった。その五倍以上。
「時期は?」
「早ければ二週間以内。レクスは本気だ。——いや、教会が本気なんだ。神殿紋章持ちの回復術師が魔族についた。それが教会にとってどれだけの恥かは、お前も分かるだろう」
分かる。
神殿は人間側の精神的支柱だ。
その紋章を持つ者が魔族に与した——信仰の根幹に関わる問題。
「カイン。お前はこの後どうする」
「……人間側に戻る。リーナを探さなきゃならない」
「一人で?」
「一人でだ。——レクスの軍には戻らない。もうあの男にはついていけない」
カインが立ち上がった。
「エイル。最後に一つ。——フィオナは、お前の追放に反対だった。声には出さなかったが、あの後レクスと言い合いになった」
「フィオナが——」
「あいつなりに、お前のことを気にかけていたんだと思う。今もレクスの側にいるが——何を考えているかは、俺にも分からない」
フィオナの銀髪が脳裏を過ぎった。
あの日、視線を逸らした横顔。
唇が動いたように見えた——あれは何を言おうとしていたのか。
「カイン」
「ああ」
「許すとか許さないとか、そういう話じゃない。お前は——妹を守ろうとした。それだけだ。俺がお前の立場だったら、同じことをしたかもしれない」
カインの目が潤んだ。
「……ありがとう」
「礼を言うのは俺の方だ。わざわざ来てくれて」
カインは窓に歩み寄った。
来た時と同じ方法で帰るのだろう。
「エイル。——生きろ」
「お前もな」
カインが窓枠に手をかけ——振り返った。
「お前、いい顔になったな。前より」
それだけ言って、闇の中に消えた。
◇
窓を閉め、寝台に座った。
千名の軍勢。二週間以内。
城にいる魔族兵は全て合わせても五百名ほどだ。
数で劣る。
だが——逃げる気はない。
明日、ルシェラに報告する。
カインから得た情報を全て伝える。
そして——俺にできることを、全てやる。
蝋燭を吹き消した。
赤い月が、窓の外で静かに光っていた。




