番外編 エレンのそばかす その四
翌日、二人がイレーヌの家を訪れると、テーブルの上にはすでに準備が整っていた。
すり鉢、乳鉢と乳棒、小さな鍋、布で作った濾し袋、麺棒が二本。
その隣にエレンが、茶色い液体が波々と入った小瓶を置いた。
「白樺の樹皮の煎じ液、これでいいか? 弱火でじっくり煮出したぞ」
「ええ、充分だと思うわ」
ミーヤも鞄から小瓶を取り出す。
「ちょっとしか、みつろう、出てこなかったの」
ミーヤが少し眉根を下げて言った。
小瓶の中には、そら豆くらいの薄黄色の固まりが二つだけだ。
「それだけあれば問題ないわ」
「カタツムリの殻は?」
「ヨシュアが煮沸して、夜のうちに干して置いてくれたの。朝からは天日干しもしたから完全に乾燥しているわ。さて、はじめましょうか!」
✱ ✱ ✱
「よし、まずはカタツムリの殻からだな!」
エレンが腕まくりしながら言った。
「布上で潰しましょう」
イレーヌが布の上に並べた殻の上で、麺棒を転がしていく。クッキーの種を延ばす時の要領だ。パリパリと軽い音がして殻が砕けていく。
「ちょっとゾワゾワするわね」
「そうか? 代わろうか?」
おそらくイレーヌは中身の想像をしてしまい、カタツムリを大量殺害している気分になったのだろう。そんな繊細さとは無縁のエレンは、鼻歌を口ずさみながら軽快に作業を進めた。
「それじゃあ、私は百合根を蒸して練る作業をするわね。ミーヤは砕いた殻をすり鉢で細かい粉状にしてね」
ミーヤも作業に入る。まずはすり鉢の中で殻を、すりこぎでトントン叩いて更に細かい破片にする。その後、ゴリゴリとすり潰していく。薄い殻はあっという間に粉状になった。
「イレーヌ、粉になったよ!」
イレーヌは蒸し上がった百合根を持って、パタパタと戻って来た。そしてすり鉢の粉を手に取り、親指と人差し指を擦り合わせる。
「うん、いいわね。そのまま全部の殻を粉にしちゃいましょう。エレンは手が空いたら、この粉を乳鉢で摺ってね。更に細かくして滑らかにするの」
イレーヌは百合根を潰して練る作業に入り、三人共が無言でそれぞれの作業に没頭した。洗濯下女の仕事は辛抱強くなくては続かない。まるでタイプの違う三人だが、その部分だけは似た者同士だと言える。
やがて全ての下拵えが終わり、あとは混ぜるだけだ。
粉雪のように滑らかになったカタツムリの殻は、陽の光にかざすと真珠のような光沢がある。そこに百合根と白樺の煎じ液を入れて練っていく。
「エレンは塗り込むのと、刷り込むの、どっちが好み?」
「どう違うんだ?」
「柔らかさ、かしらね? さらっとした肌触りなら白樺の煎じ液を多めで、しっとりなら百合根を多め」
「あたしはしっとりかな」
「あとは蜜蝋の量ね。多めにすると、化粧崩れしにくくなると思うの」
けっきょく、色々作って試してみることになった。
仕上げに、ローズマリーの香油と白樺の皮の表面の粉を混ぜて出来上がりだ。ローズマリーには酸化防止と防腐の効果がある。
「完成!」
机の上には、配合を少しずつ変えた、いくつかの小皿が並んだ。
三人は顔を見合わせ、満足げに、けれど少し緊張した面持ちでそれを見つめた。
「……よし、試してみる」
エレンが、一番「しっとり」と「蜜蝋」を多めにした皿を手に取った。
人差し指で掬い取ったそれは、驚くほど滑らかで、それでいて密度の高い、真っ白なクリームだ。エレンは鏡も見ずに、自分の鼻の頭と、日に焼けてカサついている頬に、それを無造作に塗り広げた。
「――沁みないし、よく伸びる……。でも何も塗ってないみたいだ。いつも白粉を塗ると、肌に蓋をしたみたいに重苦しくなるのに……」
「エレン、それは『軽い塗り心地』ってことよ。高級白粉の売り文句だわ」
「あ……肌がしっとりしてる。ミーヤのほっぺたみたいだ」
「子供の頬みたいな、もちもち肌……! 最高の褒め言葉ね。それに、ほら見てみて」
イレーヌが小さな手鏡をエレンに渡した。
「えっ、肌の赤みが消えてる。それに磨き上げた大理石みたいだ」
「肌理が細かく、滑らか。貴婦人の肌ね。それに、薄づきだから自然な色合いで、肌が一段階明るく見えるわよ。そして、何より……」
「「そばかす、が……目立たない……!」」
エレンとイレーヌの声が重なった。
「大成功よ! 素晴らしいわ!」
カタツムリの殻の真珠光沢が、エレンの肌のくすみを光で飛ばし、百合根の粘り気がしなやかな膜を作っている。
エレンは自分の顔を手で包み込み、信じられないというように鏡を見つめている。
イレーヌも違う皿からクリーム液を指で掬い、自分の頬に塗る。
「あら、本当ね。肌が突っ張らないわ。さっぱりしてるのにしっとりて、粉っぽさもないし……頑張った甲斐があったわね」
ミーヤがふんふんと匂いを嗅いで言った。
「へへ、いい匂い。エレンもイレーヌも、お姫さまみたいに、きれい」
「あたしが、お姫さま……」
エレンは幼い頃からガサツなお転婆娘だった。そんな褒め言葉は、家族にすらもらったことがない。ある程度の年齢になってからは、意識してそう振る舞っていた。『どうせ女らしくしても似合わない』。そんな想いがあったのだ。
「ふふ、エレン姫、こちらの口紅もお試し下さい」
「クランベリージャムじゃねーか!」
「いいじゃない、けっこう色がいいのよ?」
「へぇ、どれどれ……。へへっ、甘いな。ほら、ミーヤも塗ってみろよ。あっ、舐めちゃだめだってば!」
少女たちの華やかな笑い声は窓からこぼれ出て、夕焼けのはじまった空に溶けていった。
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これにて『番外編 エレンのそばかす』はおしまいです。
また、次の番外編でお会いしましょう! ブクマと☆評価、どーぞよろしく!




