第30話 だいしゅきポイント
ヒューゴが森の木の下で夜通しミーヤを待っていた時、ミーヤもまた眠れぬ夜を過ごしていた。
* * *
洗濯下女の仕事は、日が翳る前には終わりになる。午前中が一番忙しく、アイロンがけを終えれば夕方前には家路につくことができる。
ミーヤはもらった日給で、今日はパンとチーズの他に、蝋燭とマッチを買った。ゴミ捨て場で拾ったチビた蝋燭はなくなってしまったし、しばらく留守にしていたから、マッチは湿気ってしまっているかも知れないからだ。
フンフンと鼻唄を歌いながら森への道をゆく。途中で城の兵士や侍従たちが、慌てて走り回っているのを見かけた。
(お城の人は、いつも忙しそうだなぁ)
その人たちが毛玉を探していることをミーヤは知らないし、毛玉を探す人々は、この洗濯下女が毛玉であることを知らない。
久しぶりの森の木々からは、すでに秋の匂いがしていた。色づいて乾いた葉の匂いと、甘みを宿しはじめた果実の匂いだ。
昼間はまだ少し暑いのに、日が落ちると急に風が冷たくなる。
木の葉は、風が吹くたびにカサリと音を立てて揺れた。
どこか遠くで、秋の虫が細く長く音を奏でる。夏の賑やかなそれとは違う、静かで、胸の奥に染み込んでくるような音だ。
ミーヤはそれを聞きながら、遺跡の住処で丸くなった。森の夜は、こんなにも静かだっただろうか。
帰りたくて、帰って来たのに。
ミーヤは宝箱の中から手回しオルゴールを出して、そっと回してみた。
チリン、チリリン、チロリラリン
ポーンと長い余韻が裾引いて、再び静寂が訪れる。
何故だかミーヤは、ゴロゴロと床を転がりたい衝動にかられた。毛玉がコロコロするのとは、全然違う気持ちだ。
ゴロゴロすると、ふわりと髪の毛から、ヒューゴの香油の匂いがした。昨夜、寝ているうちに毛玉の毛に匂いが移ったのだろう。
美弥だった頃、怖い夢を見た夜はお母さんの布団へと潜り込んだ。背中にしがみついて髪の毛の匂いを嗅ぐと、安心してすぐに眠ることができたのだ。
香油の匂いの先を探すように、鼻をスンスンと鳴らしていると、ミーヤはヒューゴのシャツの中にいるようで、少し安心した。
なのでゴロゴロと石の床を転がるのをやめた。冷たくて痛かった。
ミーヤにとってヒューゴのシャツの中は、居心地が良いのか悪いのかよくわからない場所だった。
硬い腹筋と、サラサラと触り心地の良い上等のシャツ。ミーヤがモゾモゾと動くと、くすぐったいせいか腹筋がピクリと動く。
何度もモゾモゾすると、ヒューゴは『こら』と言う。『こらこら』と二回言うこともある。
ミーヤはヒューゴの『こら』を聞きたくて、わざとモゾモゾを繰り返したりしていた。
『あっ、ピクピクって二回した!』『そろそろ、こらって言うかな?』
美貌の皇帝陛下の腹筋で遊ぶ毛玉……。中身が無邪気な幼女なのでギリギリセーフだろうか? 絵面的には完全にアウトである。
ミーヤがシャツの中にポスンと収まると、ヒューゴのオーラがほろりと緩み、フッと息を吐く。
それは歩き疲れた猛獣が、寝ぐらへとたどり着いた時のため息のようだった。
ヒューゴが大きな手でミーヤの毛並みを撫でる時、常に歯を食い縛るように引き結ばれた口元が、ほんの僅かに弧を描く。
それは迷子の子供が何時間も歩き、ようやく見知った風景を見つけた時の泣き笑いのようだった。
ミーヤは時々、ヒューゴを抱きしめてあげなければと思う時があった。……毛玉に腕はないのだけれど。
(へーかは、なんであんなに寂しそうなんだろう? たくさんの人にかこまれて、強くて頭も良くて、お金だっていっぱい持っているのに……)
毛玉の時には考えもしなかったことが、人間の姿になると気になった。本能で生きる野生動物は、本来どこまでも自分本位な存在だ。
(へーかは王さまだから……)
美弥の頃にニュースで見かけた政治家たちは、何だかとても大変そうだった。国家を背負う『責任』の意味は、ミーヤには難し過ぎてわからない。
ふとミーヤは、ヒューゴも毛玉だったら良かったのにと思った。
きっとヒューゴならば、立派な強い毛玉だろう。昼間は森の中を一緒にチョンチョンと跳ねて美味しい食べ物を探し、夜は寄り添ってひとつの大きな毛玉となって眠るのだ。
(すごく良い!)
ミーヤはその想像が、とても気に入った。毛玉用ツリーハウスを作る時には、ぜひヒューゴの分の寝床も作ってあげようと思った。
ヒューゴが毛玉になることなど、ある筈がないのに……。
ところが――。
翌朝、ミーヤは人間のままで目覚めた。
(あれ? 毛玉になってないよ! どうして?)
パンパカパーン!
寝ぼけまなこを擦っていると、もはやお馴染みになったファンファーレが鳴る。
《“だいしゅきポイント”の発生を確認。実装の為のアップデートを開始します》
いつも通りに無機質なお知らせのアナウンスだった。
(あっぷでーと……? なんだっけ? 聞いたことある気がする……!)
ミーヤは美弥時代の記憶を手繰り寄せてみる。確かクラスのゲームの好きな男子に、教えてもらったことがあったはずだ。
アップデートとは、システムやデータを最新のものに置き換えることだ。その男の子は、『アプデしないと、ゲームが進まなくなっちゃったりするんだよ』と言っていた。
現状に当てはめて考えた場合、『だいしゅきポイント』という新要素が追加され、そのためにシステムを更新する必要があるのだろう。
ミーヤはアップデートについては、ほとんど思い出すことが出来なかった。実は聞いた当時もよくわかってはいなかった。
それよりも、ミーヤ的にはもっと気になることがある。
(『だいしゅきポイント』ってなんだろう……?)
ミーヤは毛玉に戻れなかったので、洗濯の仕事に行くことにした。街への道すがら、色々と考えごとをする。
(だいしゅき……。“大好き”のことだよね? 愛されポイントとは、別モノ……?)
ヒューゴは毛玉のミーヤをとても可愛がってくれている。それはミーヤも理解している。だから愛されポイントがもらえるのだ。
(わたしが、へーかを大好きなの……?)
思わず立ち止まってしまい、後ろから来た人とぶつかってしまった。ペコペコと頭を下げる。
好きか嫌いかで言ったら、もちろん好きだ。甘やかしてくれるし、美味しいものをくれるし、何より正式に契約が成立した『守護者』なのだ。嫌いなわけがない。
でもそれは毛玉の時の話だ。
人間のミーヤとヒューゴは、雇用主と従業員の関係でしかない。ミーヤは人間の姿でヒューゴに会ったことはないのだ。
考えごとをしているうちに、洗濯場へ着いてしまった。
「あれ? ミーヤ、連続出勤かい? 珍しいね」
控え室に下女の中でも早起きで、いつも一番乗りで出勤するエレンがいた。
「もうすぐ秋の刈り入れだからね。そしたらあたしはしばらくお休みするんだ」
エレンが、言いながらパタパタと白粉をはたいた。ミーヤはその匂いを嗅いで、ちょっと心配になった。
(なんか、それ……人間の身体に良くない気がする……。そんな感じの匂いがする)
うまく言葉にできないうちに、他の下女たちが出勤して、いつも通りに仕事がはじまってしまった。ミーヤの心配ごとは、頭の隅の方へ追いやられてしまった。
(くんくん……! あっ、コレ……へーかのシャツだ!)
下女全員で洗濯物の仕分けをしていると、ミーヤはヒューゴのシャツを見つけた。
人間の姿になると鼻の性能は少し落ちるのだが、ヒューゴの匂いはすぐにわかった。
ヒューゴにはいつも世話になるばかりなので、少しでも役に立てると思うと、ミーヤは少し嬉しくなった。
ちなみにシャツの汚れは、ミーヤがヒューゴのお腹の上でお菓子を食べたからなので、恩返しになっているかどうかは微妙なところだ。
「ミーヤどうしたんだい? ……臭いのかい? ソレ」
くんくんとシャツの匂いを嗅いでいるミーヤに、マルタがちょっと嫌そうな顔をして聞いた。
「いいにおい、だよ!」
ミーヤはヒューゴの名誉を守るために、ぶんぶんと首を振って言った。
「嫁入り前の娘が、男物のシャツのニオイを嗅いでニヤニヤするもんじゃないよ」
小言をもらってしまった。イレーヌも微妙な顔をしている。
(この世界の人は、洗濯前のシャツをくんかくんかしちゃダメなんだ!)
ソレは、この世界に限った話ではない。人前ではやめておけ。
「こ、これはへーかのシャツだから!」
ミーヤは慌てて弁解した。『臭いものを嗅ぐのが好きなわけではない』と言いたかったのだ。
「へぇ、ミーヤ。陛下のファンなんだ?」
恋バナが大好きなエレンが、がっぷりと食いついて来た。
「あ……ちがうの。へーかのシャツのにおいが……」
「陛下のシャツの匂いが好きなの?!」
ヒューゴのファンだと思われるのが、何だか恥ずかしくて誤魔化したら、より一層変態っぽい返事になってしまった。
『〇〇くんが好き』などと噂になったら、大変な騒ぎになる小学生女子の記憶の弊害である。
なぜかヒューゴの洗濯物は、これからミーヤの担当することが決まった。
ミーヤは自分の髪の匂いをくんくんと嗅いだ。
洗濯洗剤とシミ取り油と漂白剤の匂いがした。洗濯下女は、全員が仕事終わりはこの匂いになる。
ヒューゴの香油の匂いは少しも感じられない。昨夜の残り香はすっかり消えてしまっていた。
読んで下さりありがとうございます。
匂いというのは、五感の中で最も記憶と繋がりやすいそうです。
そうなると、人間の数百万倍と言われる犬なんかは、どうなっちゃうんでしょうね?
怒涛の更新ペースはまだまだ続きます。皆さまは、のんびり楽しんで下さいね。あっ、ブクマだけはお忘れなく!
《次回予告》
毛玉に戻れないミーヤ。
森の住処は、人間用には整えられていません。
次話『第31話 ただいま、メンテナンス中』
ああ……またまたタイトルでネタバレだよ……泣




