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File:015 【考察】 ”正義”とは何か?

人であれば、誰しもが(多分)通るであろう”正義とは何か?”という

疑問に対し、ちょっとばかし真剣になって考えてみました。


冒頭では【逆転裁判】というゲームのことが多少語られますが、

その作品を知らない人であっても、全然だいじょうぶ。

どうか気軽に読んで、少しでも何か感じて頂ければ、幸いです。






 ①二人の『立場』と、二つの『信念』


 【逆転裁判】というゲームがある。

 ゲームの内容や感想については、【File:009】にて

詳しく語っているので、ここではそれは省きます。


 この作品の主人公である弁護士の成歩堂龍一は、

”依頼人を信じること”を弁護士としての絶対的な

信念として、常に掲げています。

 そして、その好敵手である検事の御剣怜侍は、

反対に”被告人を犯人として扱う”ことを徹底している。


 この二人の、一見すると相対するようにも思える『信念』は、

それぞれの過去に起こった出来事が要因となって

生まれたものでした。

 そして、それらに共通しているのは、”自分が絶対的に

『正しい』と感じているものを否定された”

経験であるということです。


 成歩堂の場合は、”もしも自分以外にも、こんな思いを

している人がいるなら…”という考えから、そういった人を

守る立場になれる『弁護士』という職業を目指しました。

 そして御剣の場合は、”自分にこんな思いをさせるような

人間は、断じて許せない”という考えから、そういった人を

追い詰める『検事』という職業を選択します。


 互いに相対する『立場』を選んだ二人ですが、彼らの

考え方は、実は根っこの部分では同じなのです。

 ”自分が体験した、こんな辛い思いを味わってほしくない。”

 ”そういった人の力になりたい。”

 ”そういった人を、少しでも減らしたい。”


 これが例えば、火災を経験し、その恐ろしさを知った人が

消防士になる――といった、シンプルな『要因』と『結果』

であれば、同じような考え方した場合、それぞれがまるで

違ったようにも見える『道』を選択することは少ないでしょう。

 しかし、『信頼』という人の内面にあるものが発端となると、

そうとは限りません。




 ②『先入観』から逃れるためには…?


 地位や名誉、お金などと並び、人が失いたくないものの

一つが、『信頼』かと思われます。

 客観的に見れば、明らかに五分五分の疑いをかけるのが

妥当――という事件であっても、”どちらを信用するか”は、

見る人によって大きく異なってくるものです。

 そして人は、多くの場合、その明らかな『主観』である

判断基準に、疑問を持とうとしません。


 こういった『先入観』や『思い込み』をなくすためには、

主に次の二つのことが重要となってきます。


 一つは、”人は先入観に過剰に影響されやすい”

ものであり、自分もそれに当てはまるということを、

常日頃から心がけておくこと。


 そしてもう一つは、”自分が未熟である”という意識を

常日頃から持っておくこと。

 どれだけ確かな『判断材料』が揃ったところで、そこから

最適な判断を下せる力が無ければ、元も子もありません。

 …が、基本的に人は、そういった力――”今の自分に

備わっている判断力”に過剰な自信を持ってしまいがちです。


 これによって起こる『間違い』を避けたいのであれば、

その対策は実に簡単。

 それが、どれだけ『疑う必要のないもの』に感じたとしても、

 ”自分の考え方が、自分の判断が、もし間違っていたら?”

という視点での発想を、『できるだけ早い時点』で、

理想としては『まず最初に』してみることです。


 遅れれば遅れるほど、人はこの発想を『したがらなく』なります。

 何故なら、もともと人は”自分が間違っていた”という

『結果』を、『事実』として認めたくない生き物であり――

”自分が正しい”という『前提』があることが、さも当然のこと

のように感じているからです。


 この『前提』が崩れることは、その人にとって多大なストレス

となってしまうため、時には”事実がどうであれ”、

『そうではない』方向に話を進めてしまうことも少なくありません。

 そして厄介なことに、そのことにまず『気付ける』人間が

そう多くなく――更にそれを『受け入れる』ことができる人間

となると、かなり限られたものになってくるでしょう。


 どういった人間が『それ』に気付きやすいかと言えば、

まず挙げられるのが、『弱気』な人――自分に自信を

持っていない人です。

 逆に言えば、『強気』な人は、それになかなか気付けません。


 もしも”私何か、間違ったことを言っていますか?”なんてことを

強い語気で言うような人がいれば、要注意。

 これは勿論、自分自身に当てはまる場合もあるでしょう。


 私はそういった人のことを、『正義の上に立っている』という

表現をしており、客観的に物事を捉えること――そして、

前述した”自分が未熟である”という意識を極めて持ちにくい

状態の人であることが予想されます。




 ③私が思う、”こうあって欲しい”正義


 人は常に、『正義』の下にいるべきだと、私は考えています。

 そして、『弱者』の力になることこそが、正義の本質だと思います。

 『強者』の欲、優越感や承認欲求などを満たすためのものは、

例え『正論』であっても、振りかざすべきではありません。


 どれだけ筋が通っていようとも――”仕方ない”が頭の中を

埋め尽くしていたとしても、『弱者が虐げられている』と感じた

場面に遭遇したのであれば、それを”間違いなのでは?”

と問い掛ける心を忘れないでほしい。


 歴史を遡れば、『生贄』や『奴隷』などといった慣習が、

人間社会に当然のように”馴染んでいた”時代もあります。

 そんな『当たり前』を覆すことができるのが、きっと前述した、

”そういった発想”ができる人なのだと思います。






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