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頂に立つ者-08

 アルハット・ヴ・ロ・レアルタの自室兼執務室には、来客が三人いる。


兄であるシドニア、来賓として招いたリンナと、その弟子であるクアンタだ。


彼女たちはソファに腰かけながら、頭を抱えるアルハットの事を見据えているが、反応はそれぞれ異なっていた。


クアンタはただ静かに沈黙しているが、リンナから見ると少し「怒っている」と目せる。表情はほとんど変わらぬが、しかし口元と眉毛が僅かに何時もと位置が違う様に思えた。


リンナは正直な所、事態の把握が出来ていないというのが現状である。会談中にアルハットの行った「リンナ刀工鍛冶場のアルハット領への移転」に関する事も、その意味を理解していない。彼女に分かるのは、そのリンナ刀工鍛冶場の移転を推進したのが彼女では無く、鉱業省と呼ばれる玉鋼の精製などに関わる省庁や、彼女の部下であり、このアルハット領の運営を実質指揮しているドラファルドという政治家だったという事程度である。


シドニアは――ずっとクスクスと笑っていた。それも微笑むようなものではなく、腹を抱えて、少しでも気を抜くと高笑いをしてしまうから気を付けているようにも思える程だ。



「ドラファルドめ、考えたな。確かにリンナ刀工鍛冶場がアルハット領に移されるとそれなりに困る。さらにリンナ刀工鍛冶場が移されなくてアルハットの支持率が急落してもそれなりに困る。ククク、さてどうしようか」


「……にしては、なんかシドニアさん、余裕そうに見えますけど?」



 リンナの問いにシドニアは「いやいや」と首を横に振る。



「どちらにしてもドラファルドからしたら都合がいいし、私やアルハットからすれば都合が悪い。もしリンナ刀工鍛冶場がアルハット領に移れば、今後刀の製造に関する諸問題は解決しても、他領土への刀輸出が非常に面倒になる。リエルティック商会を介せば輸送体系は何とかなるが、問題は貿易収支の方だね。アルハット領は増えるがシドニア領は減る上に、今後の外交カードとして使われたら、刀による税収だけじゃなく、別の税収も減りかねない。確かに厄介だ」


「ならば移転しなければいい。……あの男は、刀の事を人切り包丁と呼び、侮辱した。私にはそれが許せない」



 今、クアンタが怒っている理由も分かり、リンナが僅かに苦笑しつつ、彼女の頭を撫でる。



「……ま、そういう考え方もあってしゃーないって。今時、刀なんて流行るもんでもないしね。そう怒るな怒るな」



確かにリンナとしても気分はよくないが、その場にいなかった者が今更怒り狂っても仕方ないし、弟子であるクアンタがこれほど分かりやすく怒ってくれているのだから、それで十分だろうとしたのだ。



「だが、そうしてクアンタやリンナが怒り、移転を拒否する事も奴の狙いだよ。クアンタ、もし君達リンナ刀工鍛冶場がアルハット領へ移転しなければ、どうなると思う?」


「アルハットの支持率が低下する、という事だが」


「それだけで済めばまだいい。恐らくドラファルドはその後、民衆への印象操作を始めるぞ。


 そうだな……『リンナ刀工鍛冶場をアルハット領に移せなかったのはアルハット様の力不足ではなく、アルハット領を実質統治するシドニアの策略だ』……とでも流布する気かな?」


「? それだと、アルハット様の支持率低下をせき止めません? ドラファルドって人はアルハット様をトップから引きずり降ろしたいんすよね?」


「違うよ。引きずり降ろす事が目的ではなく、象徴としての役割だけ果たして貰いたいんだ。つまり奴は、アルハットをシドニアという男の傀儡から、ドラファルドという男の傀儡にしたいんだ。まぁ私は傀儡にしていたつもりはないが。


 その為にはアルハットの支持率がゼロになっても困るから、アルハットの顔をある程度立てつつ、民衆へ私の評価を下落させる事が目的だ。そうすれば民衆からも自治独立の声が上がりやすくなるだろう」



シドニア領の実質的な属領、というアルハット領の印象は、有識者からアルハット領内にも伝わっている。食糧輸入をシドニア領に頼り、現状多くの食料を依存する立場であるからこそシドニア領には逆らえぬ、という情報が、領民へ知れ渡っているのだ。


その上、レアルタ皇国全土は教育統制が敷かれた地であり、一部例外や思考能力に優れた者を除き、そうした印象操作や情報操作による影響を受けやすい。領民を扇動する事など、ドラファルド程の人物であれば容易だろう。



「いやはや困ったね。ここまで手の込んだ事をやっている所を見ると、恐らく食糧自給の方法を確立しにかかってるな?」


「……ええ。元々食糧自給については、議題に上がっていますし、土地の買い付け等も、既にドラファルド主体で動いていますから」



 錬金術……というより錬成技術が高いアルハット領からすれば、そうした農作物用の機材等の製造も容易であるし、仮にシドニア領、アルハット領、カルファス領の三領土における経済同盟を破棄し、一時は高い輸入品に頼ったとしても、長期的に見れば黒字に転ずることも出来るだろう。



「それにそうした事態になったらカルファスがアルハットの為と言い、二領土間の経済同盟締結に動くだろう。それも見越してドラファルドは動いたと見るべきだ」



 カルファス領はある程度、食料の自給及び他領土への食料輸出を行っている。輸出先は一応アメリア領ではあるが、アメリア領は殆どの食糧品を自前で賄っているので、その分をアルハット領に回しても問題はあるまい。



「いやはや、ドラファルドは警戒が必要だとは認識していたが、しかしここまでやるとはな」


「本当に楽しそうだな、シドニア」


「ああ。確かに余裕はないけれど、だがこうも派手に動く者は最近とんと見ないし、手際も実に鮮やかだ。恐らくアメリアがこの事を知ったら、ドラファルドをアメリア領に何とか引き入れる事が出来ぬか考え、飼い慣らす方法を探るだろうよ」



 シドニアやアメリアが好きな人物は、良くも悪くも『優秀な人材』だ。そしてドラファルドという男は実務経験も、こうした政治手腕も申し分ない。自分の手を可能な限り汚さず、手広く暗躍できる政治家は何時の世も重宝されるものだ。



「……シドニア兄さま、私、どうしたら」


「それは君が自分で考えろ」



 バッサリと、そう言い切ったシドニアが、そこでようやく笑みを消した。



「シドニア兄さまも、困るでしょう……?」


「ああ、困る。しかし大打撃という程でもない。もし仮にリンナ刀工鍛冶場をアルハット領に持っていかれても、元々支払う予定だった玉鋼関税分の金額を今後の刀購入資金に充てるだけだ。被害は少なくする事が出来るし、差額分は、そうだね。その分食料品の関税でも上げて差し引きをゼロにするか、リエルティック商会をアルハット領から手を引かせ、刀以外の兵器経済に制裁をしてドラファルドを屈服させるという手もある」



 サラサラと、仮説を積み重ねていくシドニアに、アルハットは瞳に涙を溜めながら、彼の隣に座り、頭を下げる。



「お願いです、助けて下さい」


「アルハット。そもそもこの事態を引き起こしたのは、誰だ?」


「……私です」


「私はお前に期待していた。お前は自頭だけ言えば私よりも優れているし、何よりアルハット領という工業特化経済を統治するには、天才的な錬金術師である君が最適だと踏んだのだ。


 いいか、アルハット。私は君に完璧であれと言ったつもりはない。可愛い妹である君が苦しまぬ為に補助もしてきた。そして有能な部下も私とカルファスで選定した。その上でまだ私に何かをしろと言うのならば、本当に君は無能という事になる」


「……私は、仰る通り、無能です」


「そうか。ならばドラファルドの傀儡になればいい。――私はお前を傀儡にしたつもりはなく、ただ兄として最愛の妹であるお前を支えてきただけだ。


 だが、皇族としてのプライドも無く、一番ではない自分は無能なのだと勝手に決めつけ、ただ他者に泣き入れる事しか出来ぬ者を、私は二度と妹などとは思わん」



シドニアは立ち上がってアルハットの自室から出ると、割り当てていた来客用の部屋へと向かっていく。


クアンタとリンナにも部屋が割り当てられているので、二人もそちらへ移動する事も検討したが、しかしリンナはクアンタに「ちょっとここで待ってて」とだけ残し、シドニアを追うようにして、彼の部屋に。


ノックをして『どうぞ』と声が上がった事を確認してから、そっとドアを開ける。



「あの、シドニアさん、ちょっといいですか?」


「リンナか」



 シドニアは上着を脱ぎ、ネクタイを緩めた上で椅子に腰かけて、机に束ねてある資料を見ながら、リンナへと僅かに視線を寄越す。



「すまない、仕事をしながらで構わないかな」


「あ、はいっ! そう、大した事じゃないんです」


「まぁ、そこの椅子にでもかけたまえ」



 シドニアが座る椅子の近くにあるもう一つの椅子に腰かけ、リンナはしばしどう言葉を切り出すか考えていたようだが、いい考えが浮かばなかったのか、頭を掻きながら、思った事を口にする。



「シドニアさん、最後怒ったように見えて、実はアルハット様に喝入れませんでした?」


「……何故、そう思ったのかな?」



 微笑みながら、シドニアは今目を通していた資料を置き、リンナへと向き直る。



――資料よりも、リンナの言葉の方が重要だと認識した、という事だ。

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