風呂に入らない偉人!
武蔵くんに助けられた私と香子、源内くんは、私を狙っている人間がいるのだからサムライ学部にこれ以上いるのは危険だと判断し、武蔵くんの案内で芸術学部に逃げこむことにした。芸術学部は、サムライ学部よりも南東に徒歩三十分歩いた場所にある。
「まさか私が狙われるとわねぇ。やっぱり、サムライ学部は恐いわ~。あはは……」
「笑いごとじゃないよ。家康くんはある人物に頼まれたと言っていたから、きっと黒幕がいるんだわ。もうサムライ学部には近づかないほうがいいよ。命あっての物種っていうでしょ」
走り疲れて肩で息をしている私と香子がそう話し合っていると、源内くんが腕組みをしながらこう言った。
「家康は信長の弟分だから、信長が黒幕かもしれないですぜ」
「それはないと思う。あいつの性格を考えたら、やっつけたい相手がいたら手下を使わずに自分が出てくるはずだから。それに、あいつは……」
私のことを好き……と言いかけて、慌てて口をつぐんだ。あんまりにも自意識過剰な発言だったし、それに……。あいつ、私を彼女にするとかだいたんなことを言っておきながら、私との約束を忘れて合戦ごっこに明け暮れているみたいだから……。あれはただの冗談だったのかもと思いかけていたのだ。
「とにかく、もう先輩たち二人だけで学園内を歩くのはやめておいたほうがいいっすよ。なぁに、おいらと武蔵が先輩たちを守るから安心してください。なぁ、剣豪」
源内くんがそう言うと、武蔵くんは「はい」と答え、意外と礼儀正しいあいさつをした。
「あらためて自己紹介します。オレは芸術学部初等科四年生、宮本武蔵です。源内先輩、さっきはひとつ年上だと知らずにタメ口をきいてすみません。オレ、清少納言先輩と紫式部先輩が授業の改善を求める署名活動をしているというウワサを聞いて、先輩たちの手伝いがしたいと思って今朝からお二人をあちこちの学部をまわってさがしていたんです」
「え? 私たちの署名活動、ウワサになっているの?」
「はい。ジャーナリズム学部が、今朝、緊急で出した偉人学園新聞の特別号を読んだんです」
武蔵くんはそう言うと、学生服のズボンのポケットにくちゃくちゃにしてつっこんでいた紙きれをひらけて私に手渡した。ちなみに、私の横にいる香子はものすごく不機嫌そうな顔をして携帯していたアルコールティッシュで自分の両手を几帳面にふいている。生まれて一度もお風呂に入ったことがない(⁉)という武蔵くんに手をにぎられてから、ずっとこうなのだ。入浴中、丸裸の時に敵がおそってきたらひとたまりもないから絶対に風呂には入らないと心に決めているらしい。芸術学部の生徒なのにものすごくサバイバルを意識した考えかただ。さすがは剣豪のDNAといったところかしら。
「こんな新聞が出ていたなんて。午前中は医学部でケガ人の手当てにおおいそがしだったから気がつかなかったわ。ええと、なになに? 『みんなの力で子どもたちに勉強の自由を! 文学部最強コンビが署名活動中!』。うおお……。私と香子の顔写真がでかでかとのっている! これ、すごい宣伝になるんじゃない? ねえ、香子」
「は、恥ずかしいよ。新聞にこんなに大きく顔がのっていたら。いったい、だれがこのネタをジャーナリズム学部に持ちこんだの?」
香子は、人間関係ドロドロの恋愛小説『ピカリ王子とお姫様たち』を堂々と学園の新聞で連載しているくせに、自分が目立つのは死ぬほど嫌がる。香子と直接会ったことがない他の学部の生徒たちに「紫式部さんは、本人がドロドロな恋愛を経験したから、あんなお話が書けるんだ」とウワサされていることを香子が知ったら発狂するかもしれない。
「きっと和泉式部ちゃんがやってくれたのよ。だって、昨日の時点で署名活動を知っていたのは文学部の仲間たちと、サムライ学部の信長くんたちだけでしょ? 和泉式部ちゃんは、ジャーナリズム学部にも彼氏が一人いたはずだから、その彼氏に署名活動の宣伝をしてくれって頼んでくれたんだと思うわ」
「へえ、そうか。……ふうん」
香子は、一瞬、とても複雑そうな顔をした。いらだち、おびえ、あせり。いろんな感情がおりまざったような表情だった。私は、私が和泉式部ちゃんのことをうれしそうに話したことがまずかったのだとすぐに気づいたけれど、香子のそういうやきもちはいつものことだったし、ほんの一、二秒の変化だったからあまり気にせずに話をつづけた。ただし、和泉式部ちゃんの名前はもう出さないように注意した。
「こ、これなら、署名活動に協力してくれる子が増えるかもね。げんに武蔵くんがこうして助っ人として来てくれたんだし。そういえば、武蔵くんはどうして剣豪・宮本武蔵のDNAを持っているのに芸術学部に入れられちゃったの?」
「サムライ学部は、歴史を動かした武士たちのDNAを持つ生徒がうじゃうじゃといて、学園でもっとも多い生徒数です。しかも、気の荒い連中ばかりで大人の言うことを聞かない。だから、サムライ出身の生徒でも戦い以外の他の分野で才能を発揮していた偉人のDNAを受けついでいる子どもは、サムライ学部とはちがう別の学部に入れられてしまうケースもあるんです。……たとえば、初代・宮本武蔵の場合は水墨画の作品をいくつか残しています。それを理由に、オレは芸術学部の生徒にされてしまったわけです。本当は、剣術の修行がしたかったのに……」
「なるほどね。それで、時間割が新しくなったら芸術学部の生徒でも体育や武術とか、体をきたえる授業ができるようになると思ったわけか」
「はい! ですから、なんでも協力するので同行させてください!」
「だったら、まずは名簿にサインしてよ。かおる……紫式部、お願い」
私がそう言うと、香子は私の背中ごしから武蔵くんに名簿の紙を渡した。いや、いくらくさいからってそこまで嫌がらなくても。武蔵くんがかわいそうじゃない。本人は嫌がられていることに気づいていない様子だけれど。
「あっ。そういえば、おいらもまだサインしていなかったぜ」
武蔵くんが名簿に名前を書いた後、源内くんもその横にサインしてくれた。
「紫式部。今、どれくらい署名集まった?」
「ええと……ちょっと待っていて? 数えるから。ひい、ふう、みい……」
文学部の仲間三十人。信長くんとその子分たち十九人。今川義元くんとその子分たち二十一人。医学部の玄白くん、鴎外くん、源内くんで三人。そして、武蔵くんの一人。電卓でピッポッパと計算すると……七十四人!
「おっ! けっこう集まったわね!」
「『けっこう集まったわね』じゃないよ! わたしたち、千八百人の署名が必要なんだよ⁉」
「あれ? 百八十じゃなかったっけ?」
「千八百です! 数字弱すぎ! ていうか、平家の人たちからサインもらうの忘れた……」
「こいつはもうちょっと効率的に署名集めしたほうがいいと思うぜ、清少納言先輩」
「効率的ってどういうこと? 源内くん」
「一人ひとりに署名お願いしまーすとか頼んでいたら、ダメだってことっすよ。たとえば、それぞれの学部には生徒を代表する委員長がいるでしょ? 生徒たちが暴走しているサムライ学部の委員長・平清盛先輩とちがって、他の学部の委員長たちなら説得したら自分の学部の生徒から署名を集めてくれるだけの力を持っているはずですよ」
「なるほど! だったら、早速、芸術学部委員長の葛飾北斎くんのところへ行こう! 武蔵くん、北斎くんが今どこにいるか分かり?」
わたしがそうたずねると、今まで元気だった武蔵くんのテンションが急にさがった。
「委員長の北斎先輩は……朝から晩まで学生寮の部屋で絵を描いています。実は、二日前にオレの部屋に転がりこんできたんです」
「あっ、そうなんだ。また追い出されたのね……」
葛飾北斎とは、江戸時代の浮世絵師で、富士山をいろんな場所から描いた『富嶽三十六景』が代表作である。そのDNAを受けついでいるのが芸術学部委員長の北斎くんだ。でも、この北斎くん、初代・葛飾北斎がそうだったように、部屋を散らかしっぱなしで一心不乱に絵を描き続けるくせがある。ウワサによると、ピカピカにキレイだった部屋も北斎くんが一日いたらゴミ置き場みたいになる……らしい。そのせいで、ルームメイトに毎度追い出されて、寮の部屋を転々としているというのだ。
「オレ、部屋は毎日キレイに掃除していたんですが、北斎先輩が来てからジャングルみたいになってしまって。部屋に入ったら、先輩たちもビックリすると思います」
「まあいいわ。案内してくれる?」
「そうとうにおいますが、いいですか?」
あんたがそれを言うか。まさか自分のにおいに気づいていない? もしそうなら、教えてあげたほうがいいのかも。でも、あまりハッキリ言うのもかわいそうだし……。
「わたしは武蔵くんのにおいをなんとかしてほしいです。お願いだからお風呂に入ってください。このままだと、一生、女の子にもてないけれど、それでもいいんですか?」
か、香子が言っちゃった! しかも、私の背中に隠れて、私の声をマネして!
この子、いつの間にそんな特技を身に着けていたのよ? すごいそっくりじゃん! これからどんどん使われそうな予感がして恐い!
「お、オレ、そんなにくさかったですか? たまに体をぬれたタオルでふいているのに……」
案の定、武蔵くんは雷にうたれたようなショックを受けて、がくぜんとしていた……。
武蔵「……次の投稿予定は11時……。オレ、そんなに臭かったのか……」




