第4話 いじめ
「高校生ですか……。年齢がちょっと違うな」
高城凌乃は、まだ14歳。現在は中学生だ。
もっとも、発育が早く、身長もぐんぐん伸びている。
158センチなら、日本人女性としては決して低くない。
普段から化粧もしているため、高校生だと言われても外見だけでは十分に通用する。
涼介は、もう少し詳しく聞いてみることにした。
「その漫画家さんのお名前は、ご存じありませんか?」
「そこまでは……。漫画編集部とは同じフロアですが、部署が違いますから、普段ほとんど接点がないんです」
服部はそこで言葉を切り、ちょっと苦い顔をした。
「こんな話をするのもどうかと思いますが……私がその子のことを知ったのも、社内ではちょっとした不祥事になったからなんですよ」
「不祥事、ですか?」
涼介は眉をひそめる。
「ええ。その漫画家さんは持ち込みでデビューしたんですが、担当編集者が原稿依頼契約を結んだそうです。
年齢が若かったせいでしょうね。
契約内容をろくに確認しないまま、署名してしまったらしいんです」
「ページ単位で固定報酬を支払うタイプの契約ですか?」
涼介が尋ねると、服部は少し驚いたように目を見開いた。
「そこまで調べていたんですね。そのとおりです。安い原稿料で、作品の権利を実質的に買い取る契約でした」
服部は小さくため息をついた。
「その件は少し前に社内でも話題になりました。
その高校生漫画家を担当した編集者は、上司から高く評価されて、年末には副編集長へ昇進するんじゃないか、とまで言われています」
その表情には、納得のいかないものが浮かんでいた。
「こういう人たちが社内の空気を悪くしていくんです。
本来なら褒められるようなやり方じゃない。
それなのに評価されるものだから、新人編集者まで真似をするようになる。悪循環ですよ」
涼介は苦笑した。
「でも、契約を一本取っただけで、そこまで評価されるものなんですか?」
服部は首を横に振る。
「違います。その漫画家さんの作品が大ヒットしたんです。
最近アニメ化されて、一気に人気が爆発しました。時雨沢先生も、ご覧になったことがあるかもしれません。魔法少女ものです」
その言葉を聞いた瞬間、涼介の脳裏に、夕食の席でテレビを夢中になって見ていた凌乃の姿が浮かんだ。
「……『月魔女変身』ですか?」
「ええ、その作品です」
(それは、ずいぶん悪質だな)
涼介は胸の内でつぶやいた。原稿依頼契約というのは、本来、新人作家を支えるための契約だ。
まだ実力は十分ではないものの、将来性がある作者へ安定した報酬を与え、創作を続けてもらう。
そうした目的で使われるものである。
対象となる作品の多くは権利としての価値がほとんどなく、雑誌で二、三話掲載されれば十分というものばかりだ。
ところが、『月魔女変身』は違う。
涼介も作品を見たことがある。
『美少女戦士セーラームーン』に匹敵する完成度を持つ、間違いなく傑作だった。
島川映画の編集者が、その商業的価値に気づかなかったとは到底思えない。
最初から分かったうえで契約させたのだ。
もし記憶にある『美少女戦士セーラームーン』と同じ成功を収めるなら、この作品が生み出す利益は計り知れない。
作者は一生食べていけるほどの収益を得られたはずだ。
しかし買い取り契約である以上、作者に支払われるのは最初に決められた原稿料だけ。
その後どれだけ作品が成功しても、一円たりとも追加の利益は入らない。
だからこそ会社の上層部は、その担当編集者を高く評価したのだろう。
涼介は手の中にある受信機へ視線を落とした。
今まで集まった情報が、一つにつながる。
(やっぱり、自分の目で確かめる必要がある)
そのとき服部が腕時計へ目をやった。
「少し雑談が長くなってしまいましたね。
このあと会議がありますので、私は失礼します。以降は早川編集者が対応します」
涼介は頷いた。
「それと一つ。
『キノの旅』の今後の担当編集者ですが、早川を付けようと思っています。もし希望があれば、別の担当へ変更することもできますが」
帰り際、服部はそう尋ねた。
『キノの旅』第一巻と第二巻は電撃文庫新人賞・金賞を受賞し、高城涼介は正式にデビューすることになった。
出版だけでなく、今回持参した第三巻についても、先ほどの打ち合わせで『電撃文庫MAGAZINE』への連載掲載が決まっている。
掲載分の原稿料は文字数に応じて支払われ、将来単行本化された際には、別途印税も発生する契約だった。
「大丈夫です」
涼介は微笑む。
早川留美には好感を持っていた。
社会人になったばかりの真っ直ぐさがあり、人柄の良さも伝わってくる。
「担当は、早川さんでお願いします」
「ありがとうございます。それでは、作品の成功を祈っています。また明日」
◇
服部が去ったあと、涼介は一人でしばらく待っていた。
十分ほどすると、廊下の向こうから早川留美が慌ただしく駆けてくる。
手には、開けたばかりの缶コーヒー。
息を切らせ、白いブラウスの襟元には少しだけコーヒーの染みが付いていた。ここまで走ってきたのだろう。
「時雨沢先生、お待たせして申し訳ありません!」
留美は深く頭を下げる。
「服部編集者から聞きました。私を『キノの旅』の担当に指名してくださったって……本当なんですか?」
その目には涙が浮かんでいる。今にも泣き出しそうだった。
涼介は一瞬だけ驚いた。
(僕が指名した……?)
すぐに事情を察する。服部は、自分を理由にして後輩を引き上げたのだ。
しかも、その配慮を本人には一切感じさせない形で。
早川には恩義が残り、自分にも自然と借りを作らせる。
(なるほど……副編集長まで上り詰める人は違うな)
一石三鳥。見事な立ち回りだった。
「本当ですよ。これからよろしくお願いします、早川編集者」
「こちらこそ! よろしくお願いいたします!」
留美は勢いよく頭を下げる。ようやく、自分にも担当作品ができた。
ここへ来る途中まで、彼女は昇進など完全に諦めていた。
金賞受賞作家の前で何度も失敗を重ね、プロとして最低の印象を与えてしまったと思っていたからだ。
それなのに、目の前の少年は気にするどころか、自分を担当編集者に選んでくれた。
(最近の私、運が良すぎる……)
(副編集長に期待されて、そのうえ金賞作家の担当まで任されるなんて)
電撃文庫の新人編集者が一人で作品を担当するには、通常ならアシスタントとして雑務をこなし、少なくとも三年は経験を積まなければならない。
それが二年も早まったのだ。
同期に知られたら、間違いなく羨ましがられるだろう。
「時雨沢先生。もしお時間がありましたら、仕事が終わったあと、お礼にぜひお食事をご馳走させてください!」
恩は返さなきゃ。それが社会人としての礼儀だ。留美は、すでにどの店へ案内しようか考え始めていた。しかし、涼介は軽く手を振る。
「食事はお気遣いなく。それより、会社の中を案内していただけませんか?」
「えっ?」
思いもよらない頼みに、留美は目をぱちぱちさせた。
「漫画に興味があるんです。隣の漫画編集部を少し見学したくて」
涼介がそう言うと、留美はすぐ笑顔になった。
「もちろんです。こちらへどうぞ」
留美が先に歩き出す。涼介は立ち上がると、最後にもう一度だけ受信機を確認し、鞄へしまった。
(仕事は終わった)
(あとは母さんから頼まれた役目だ)
エレベーターを降りたときに見かけた、あの金色の後ろ姿。あれが本当に凌乃だったのか、自分の目で確かめるために。




