53・氷狼の温もり
シリウス様は無言で私の手を引いていく。
ここが城下の外れだからだろうか。人影もなく、魔道灯も少ない。
暗い夜道を照らすのは月と星の光だけだ。
二人分の靴音と周囲の草木を揺らす風の音が、夜道に響いていた。
(いつもより歩くのが早い……!)
シリウス様はつかつかと足早に歩いていく。
私はその後ろを懸命に小走りで追いかけていた。
並んで歩く時は歩幅やスピードを相当私に合わせてくれているのだということがよく分かる。
「シリウス様……! 待ってください、シリウス様……!」
さすがに限界を感じて声をかけると、シリウス様はようやく足を止めてくれた。
私の方へと振り返ったその顔は、冴え冴えとした月明かりに照らされて冷たく見えた。
「……助けに来てくださって、ありがとうございます。でも、どうして――」
「後で話します。馬車に乗りなさい」
シリウス様はちらりと目線だけで路端を示す。
視線を追えば、近くに見慣れたヴェルナー家の馬車が停まっていた。
「あの……」
「私は今、非常に怒っています。ここで立ち話をする気はありません。乗りなさい」
シリウス様の口調は、反論を許さないものだった。これはもう従うしかない。
「……はい」
私は小さく返事をして、大人しく馬車へ乗りこもうとステップへ足をかける。
シリウス様は私の腰を支えるようにして私を馬車の中へと押し込むと、すぐに自身も乗り込んだ。
扉が閉められ、馬車はヴェルナー家へ向けて走り始める。
シリウス様はいつも通り私の向かいに座ったが、視線は窓の外へと背けられていた。
「……あの、どうして私の居場所が?」
私が恐る恐る尋ねると、シリウス様は短く息を吐いた。
「……事務室へ迎えに行ったら、あなたがいませんでした。机には手紙が置かれていて、受付は私を見るなりあなたが『アルフレッド卿と出ていった』と報告してきた」
シリウス様の視線が、私の指輪へと落ちる。
「だから、指輪の反応を辿りました。その指輪には、私の魔力が込められていますからね。辿るのは簡単だ」
「指輪のおかげ、だったんですね……」
私も、シリウス様と同じように指輪を見つめた。
私を強く掴もうとしたアルフレッドの腕から守ってくれたのも、居場所をシリウス様へ伝えてくれたのもこの指輪のおかげだったのか。
「身につけてくれていてよかった。でないと、闇雲に探すことになっていましたし……、私は今以上に取り乱していたでしょう」
シリウス様の声音には、怒りと焦り、そして安堵のようなものが混ざっているように聞こえた。
「あ、の……。約束を破って、勝手に行動してごめんなさい……。私――」
「……理由は分かってはいます。手紙の文面や状況から考えて、あなたは騙されただけなんでしょう」
言葉では、「わかっています」とシリウス様は語るが、声はいまだ冷たい。
怒りがまだ収まらないのだろう。
「でもね、私は許せなかったんですよ」
落とされた声には怒りだけではなく、どこか悔しさのようなものが含まれていた。
「私が来るまで待ってくれなかったあなたにも。そして、あなたが危険に晒されている時にそばにいられなかった自分にも」
「シリウス、様……?」
一度言葉を止めると、シリウス様は少しだけ腰を浮かせた。
シリウス様の片膝が、私の膝の間に割り込んでくる。
両手はいつの間にかシリウスの手に絡め取られ、頭の横に押し付けられていた。
狭い馬車の中、壁が背中に触れる。
「え? あの……?」
困惑しながら視線をあげると、すぐ近くにシリウス様の顔があった。
「あなたがいないとわかった時、どれほど私が焦ったかわかります? あなたがアルフレッド卿に連れ去られたと聞いて、腸が煮えくり返りそうだったことなんて想像もできないんでしょう?」
「ご、ごめんなさい……」
「あなた以外をすべて粉砕しても良かったんですがね。扉だけで思いとどまった私をほめてもらいたい」
(怖……っ)
低く押し殺した声でシリウス様が小さく呟く。
冗談めいた言葉の割には、瞳がまったく笑っていないことが恐ろしい。
「セレフィア。あなたは一度、私にどれほど大切に想われているのか、その身に刻み込んだ方がいい」
「……っ!?」
シリウス様はさらに身体を私の方へ寄せると、噛み付くように私の唇を奪った。
深い口付けに息が上手く吸えなくなる。
すがるようにぎゅっとシリウス様の手を握りしめると、その瞬間、片手だけシリウス様の力がふっと抜けた。
「今は、手加減してあげられそうにありません。……どうしても嫌なら、私の背を叩きなさい」
(……ああ、この人はどこまでも)
私に甘く、優しい人だ。
怒っているはずなのに、それでもまだ私に配慮してくれている。
(愛おしい)
「……嫌じゃありません。私は……シリウス様の怒りも全部、受け止めたいです。私のせい、ですから」
見上げたシリウス様のオッドアイは、馬車内の魔道灯の明かりに柔らかく照らされていた。
(綺麗)
私を映す瞳の奥に、溶けそうなほどの熱が揺らいでいるのが見える。
「……セレフィア。私は以前、欲深い人間だと言ったでしょう。そんなことを言われたら……もう二度とあなたを手放せない」
囁くような声にも甘い熱が宿っていて、私はもう逃げられないことを悟った。
シリウス様の熱に触れているだけで、胸が甘く痺れ、幸福感に満たされていく。
(私は、シリウス様のそばにいたい)
「あなたはこの国一番の魔術師に捕まったのです。私から離れられるとは思わないでくださいね」
「……シリウス様のそばにいられるのなら、私は幸せです」
その言葉を聞いた瞬間、シリウス様は私を強く抱き寄せた。
今度は噛み付くようなものではなく、とろけるようなキスが与えられる。
私はシリウス様の温もりに包まれながらそっと目を閉じた。




