35・予期せぬ遭遇
翌日。
昨夜のシリウス様との出来事を思い出すたびに顔が熱くなるのを必死に抑えながら、私は仕事に励んでいた。
(でも昨夜のはシリウス様が悪くない?)
私への好意が嘘ではないことはわかっているが……。
あのすました真顔の奥で、私の反応を見て楽しんでいるような気がしてならない。
(はぁ、落ち着かなきゃ……。仕事、仕事)
私はため息をつき、頭に浮かんでいたシリウス様の顔を追い払った。
今は、王城の事務室へ向かっている真っ最中だ。
万が一にも、運んでいるものを落としたくはない。
両手に抱えている箱には、山のように魔道具が詰め込まれていた。
基本的に魔道具は、定期的なメンテナンスか買い替えが必要になる。
王城の魔道具のメンテナンスはもちろん魔術省が直接引き受けており、王城と魔術省の間を運ぶ雑務は事務官の仕事でもあった。
(うっかり落としたりしたら大惨事だわ……。それだけは避けたい……)
足元に気をつけながら、中庭に面した渡り廊下を進んでいくと――。
ふと、視界の端で誰かがしゃがみこんでいるのが見えた。
「……あれ、クラリッサ様?」
つややかな赤毛に豪奢なドレス。
後ろ姿ではあるが間違いない。クラリッサ様だ。
彼女の名前を口に出してしまってから、しまったと思った。
先日のレセプションで向けられたクラリッサ様の鋭い視線が私の脳裏をよぎる。
思い出しただけで、胸の奥がざわついてしまう。
クラリッサ様は私のことを心底嫌っているだろうし、話しかけられたくはないだろう。
(私も正直、二人で話すのは怖いし……)
身を小さくして、そそくさとクラリッサ様の前を通り過ぎようとしたその時だった。
クラリッサ様が顔を上げ、私とぱちりと目が合った。
「あなたは……」
(気まずい……)
クラリッサ様も私と同じ気持ちなのだろう。
バツが悪そうに視線を逸らしている。
私も視線を逸らそうとして……ふと、クラリッサ様の様子に違和感があることに気づいた。
(……あれ、何か握ってる?)
クラリッサ様はドレスの裾を握りしめているようだ。
よく見れば、繊細なレースの部分が大きくほつれ、糸が垂れ下がってしまっていた。
「……っ」
クラリッサ様は私の視線に気づいたのか、慌てた様子で裾を隠そうと掻き抱く。
しかし、それでも隠しきれないほどに裂け目が大きい。
「ドレスが、破れてしまったんですか?」
思わず声をかけると、クラリッサ様は悔しそうに唇を噛んだ。
「……ええ。魔術裁縫師に仕立ててもらった特注品なの。でも、効力が薄れ始めていたのか、少し引っ掛けただけでほつれてしまって……」
魔術裁縫師が仕立てた服の多くは、特別な効果を持っていたり丈夫だったりする。けれど、魔術というのは時間の経過に従って、次第に効果が薄れていくものだ。
薄れてしまえば普通の服と同じものになる。
「修復の魔術をかけようとはしたのだけど、専門の魔術裁縫師ではないからかしらね、上手くいかなくて悪化してしまったのよ」
「そうだったんですか……」
言われてもう一度クラリッサ様のドレスの裾へ視線を向ける。
確かに裂け目の周囲には、魔力が使われた気配がうかがえた。
(うーん……。これじゃあクラリッサ様も困るわよね)
裾が大きく破れたドレスでは、歩き回ることが出来なかったのだろう。
クラリッサ様がこんな中庭でうずくまっていたのはそういうことか。
(魔力が薄まっていてほとんど普通の服と変わらないのなら、針と糸を使って一般的な応急処置をしたらだめなのかしら?)
シリウス様と暮らすようになってから久しくしていないが、バクスター家にいた頃はよく繕い物をしていた。
ドレスであったりカバンであったり、縫えるものならなんでも。
買い換えるお金を節約するためにはそうせざるを得なかったのだ。
「わたくしの事情はわかったでしょ。さっさとお行きなさ――」
「もし良ければなんですけど、私が簡単な応急処置をしてもいいですか?」
私の言葉とクラリッサ様の声が重なって、はっとしてしまう。
クラリッサ様は、私と違って公爵家のご令嬢だ。買い換えるお金だってあるに決まっているし、繕うよりも他の人を呼んできた方が助かるだろう。
「あ……。ご、ごめんなさい。迷惑ならよそへ行きます」
余計なことを言ってしまったかもしれないと、私は荷物を抱え直し、立ち去ろうと身を引いた。
その時だった。
「…………待って」
風の音にかき消されそうなほど小さな声が、私の背中へかけられた。




