15・私にだけ?
翌日。
職場へ向かう馬車の中、私はすっかり困惑していた。
というのも……なぜか、シリウス様とともに通勤することになったからである。
(ええと……なんでこうなったんだっけ……)
揺れる馬車の中、私は昨夜からの一連の出来事へ思いを馳せた。
ことの発端は些細なことだった。
昨夜眠りにつく前、ふと通勤手段をどうするか話していなかったことに気づいた私は、シリウス様の元へ行き、頼んだ。
「明日、通勤のために馬車を貸していただけませんか」と。
すると、シリウス様は二つ返事で「わかりました」と答えてくれた。
だけれど、思わないではないか。
魔術師のトップであるシリウス様が、魔術を使わずに、わざわざ時間のかかる馬車移動を自ら選ぶなんて。
初めてこの屋敷に来た時ならまだしも、今日はただの出勤である。
朝、屋敷の前に停められたヴェルナー家の馬車に乗り込もうとすると、当然のようにシリウス様も乗り込んできて――今に至る。
膝が触れ合う近さの中、私は恐る恐る口を開いた。
「ええ、と、シリウス様」
「なんですか」
「もしかして、普段は職場まで馬車で向かわれていたりします?」
「そんなわけないじゃないですか。時間の無駄です。私一人なら魔術で飛びます」
「……ですよね」
そりゃそうだろう。
一応確認してみただけだが、予想通りの回答ではある。
「ではなぜ、シリウス様も馬車で通勤を……?」
回りくどい聞き方をしてしまった自覚はあるが、疑問だったのはこれだ。
(いつもは魔術省まで、魔術で向かってるんでしょう?)
それなのになぜ、シリウス様はすんと澄ました表情で馬車に揺られているのだろう。
「いけませんか」
「いえ……」
いけないかいけなくないかで答えるなら、まったくいけなくはない。
そもそもこの馬車はシリウス様のものだ。
「あなたがどうしても嫌だとおっしゃるのなら降ります」
「えっ!? そ、そのままで大丈夫です!」
さらりと告げられてさすがに慌てた。
持ち主を下ろして一人呑気に職場へ向かうなど、できるわけない。
「そうですか。では共に向かいましょう」
シリウス様はそういうと、どこか満足げに視線を窓の外へと向けた。
魔術を使えばすぐに着くはずなのに、わざわざ時間のかかる馬車を選んだ理由は――考えれば考えるほど分からない。
◇◇◇◇◇◇
事務室にたどり着いた時は、私はすっかり疲れきっていた。
椅子に腰掛け、自分の頬を机に押し付け脱力する。
「はぁ……」
別にシリウス様と一緒なのが嫌なわけではない。
だが、馬車だと密室だし、どうしてもそれなりの時間がかかるし、近いしで、緊張してしまうのだ。
それもこれも、シリウス様が無駄に美しいのがいけない。
あんなに近くにいられては、否が応でも意識してしまうではないか。
(もしかして、私のこれからの通勤……毎日こうなるの……?)
恐ろしいことに、その可能性が高いような気がした。
私が再度ため息をついたそのとき、後ろから軽快な足音が聞こえてきた。
「セレフィアおはよ――ってなんで朝からそんなに疲れきってるのっ!?」
背後から肩をぽんと叩いてきたアリスは、私の顔を覗き込むやいなやぎょっと目を見開く。
「いや、まぁ……色々あって」
「ふぅん?」
訝しげに眉を寄せながら、アリスはそれ以上突っ込んでは来なかった。
その代わりとでも言うように、私の隣の席へ座ると、体を寄せて声を潜める。
「それで、ご両親への挨拶は上手くいった〜?」
まるで内緒話をしているかのようだ。
(そういえば先週、アリスから「どうなったか聞かせて」ってねだられていたっけ……)
アリスは興味津々、といった様子で瞳を輝かせている。
「あ、いや……それが……」
「はあああ!? いきなり同棲が始まったぁ!? 何それアリス聞いてないんだけど!?」
週末にあった出来事を簡単に説明すると、アリスは勢いそのままに机に手をついて立ち上がった。
アリスが驚くのも無理はないだろう。
私だって、結婚の許可を取りに挨拶へ向かうだけだと思っていたのだから。
「お、落ち着いて、アリス……! 私も知らなかったのよ……!」
周囲の同僚たちが途端に何事かとこちらを向いている。
興奮冷めやらぬアリスの背を撫で、どうにか席に戻す。
だが、収まらないのかぷんすかと憤りをあらわにしていた。
「てか魔術師長、恋愛に興味無さそうな顔してるくせに手ぇ出すの早くない!? 実はめっちゃ肉食系だったの!? あだ名通りの狼なの!?」
「ま、まって、手は出されてないから……!」
結婚を持ちかけられたこと自体を『手を出す』と定義されれば反論はできないが、ひとまず恋人的な接触があるわけではない。
ここは、シリウス様の名誉のためにも否定しておかねばならないだろう。
「ええ、そうなの!? それはそれでムカつく! こんなに可愛いセレフィアに手を出してないなんて信じらんない!」
(一体どうしろと……)
「セレフィア、シリウス様にヤなことされたらすぐに教えてよ! アリス、最大限の勇気を振り絞って氷狼の魔術師に立ち向かうから……!」
アリスは小さく拳を握りしめている。
(なんだか小動物が威嚇しているみたい)
「き、気持ちはありがたく受け取るわ」
シリウス様が狼なら、アリスはまるでリスのようだ。
小さなリスが、どんと構えた大きな狼に精一杯の反抗をしている姿を想像してしまい、私は思わず頬を緩めた。
ひとしきり騒いだアリスが落ち着いた頃、業務開始のチャイムが鳴った。
仕事の始まりだ。
「あっ、今日って魔術書の定期チェックの日だっけ。そろそろいこっか!」
「そうね」
魔術省の書庫に保管してある魔術書の管理は、主に事務の仕事である。
書庫と言っても図書館というよりは、魔術書の原本や禁書をまとめて保管するための、保管庫に近い。
書庫の魔術書を借りられるのは、事務へ申請を出した魔術師のみ。
だが、魔術師たちは基本的には市場に流通している魔術書を購入しているし、 なんなら魔術書の著者だったりする。
貸出申請はほとんどないのが実情だ。
そのため事務の仕事は、魔術書の原本が紛失していないか、禁書の封印が解けていないかといった定期的な状態確認が主なものとなる。
アリスと、そのほか数人の同僚とともに事務室を出て、書庫へと向かう。
魔術省内は人の往来こそあれど、基本的にいつも静かだ。
ぞろぞろと連れ立って廊下を歩いていると、張り詰めた声が響いてきた。
「ん? ねぇセレフィア、なんかこの先から声が聞こえない?」
「……そうね」
私と同じように聞きとがめたらしいアリスが、歩きながらひそりと耳打ちしてくる。
とはいえ、私たちも用がある以上、足を止めることはできない。
廊下の角を曲がった先にいたのは、魔術師団所属の魔術師とシリウス様だった。
所属で支給されているマントの色が違うため、どの部署に配属されているのかすぐに分かる。
ちなみに事務にはマントが支給されていない。
「も、申し訳ありません、魔術師長……!」
魔術師は必死な様子で、シリウス様に頭を下げている。
「私に謝る必要は無い。けれど、あなたの行動一つ、魔術一つが国防へ繋がっていることを自覚なさい」
「は、はい……!」
先から聞こえてくるシリウス様の叱責に、隣を歩くアリスがびくりと肩を震わせた。
顔をひきつらせながら、私の袖をつまんでくる。
「ひえ……あれ、シリウス様じゃん。可哀想に怒られてる……。シリウス様のお叱り、威圧感あって怖いんだよねぇ~……」
そのとき、不意にシリウス様がこちらへ視線を向けた。
(あ、こっちに気づいた……?)
「セレフィア」
どうやら私たちに気づいたらしいシリウス様は、私の名を呼んで、真っ直ぐにこちらへと向かってきた。
その足取りには迷いがない。
「仕事は順調ですか」
「はい。今から魔術書の定期チェックに行くところです」
「そうですか。頑張ってください」
「ありがとうございます」
私と短く言葉を交わすと、シリウス様はふっと口元を緩めた。
くるりと踵を返して、そのまま廊下の奥へと去っていく。
隣にいるアリスは、なぜか口をぽかんと開けたまま固まっていた。
「えええええ……なにあのシリウス様……」
やがて我に返ったらしい。
アリスは信じられないもの見た、とでも言うように、ぷるぷると震えている。
「なんか機嫌よくない? アリス、魔術省で働いてしばらく経つけど、シリウス様のあんな優しい声初めて聞いたよ!?」
「? いつも通りじゃないの?」
「んなわけないから! 他の人にはもっと塩対応だから! 自覚してセレフィア! 絶対好かれてるって!」
(……そりゃ嫌われてはいないと思うけど)
かといって、好かれているかと問われれば、首をひねらざるを得ない。
アリスの言葉に少しだけ胸の鼓動が早まるのを感じながら、私はシリウス様が去った先を見つめていた。




