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氷狼魔術師長様と私の、甘い契約結婚~実は溺愛されていたなんて聞いていません!~  作者: 雨宮羽那
第2章

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14・怪我の手当て


「し、シリウス様……」


 シリウス様はたしか、夕方に戻られるとマーサが言っていたはずだ。

 窓の外へちらりと視線を向ける。

 見れば、たしかに太陽が西へ傾き始めていた。

 

「だ、旦那様……! も、ももも申し訳ありません! わたくしがついておりながら奥様にお怪我を……!」


 シリウス様の姿を認めたと同時、マーサは慌てふためきながら、深々と頭を下げている。


「……怪我?」


 マーサの言葉を聞き咎めたシリウス様は、怪訝そうに眉をひそめた。

 そのまま私の方へつかつかと歩み寄ってくる。

 

「け、怪我といってもほんの少し切ってしまっただけで――」


 マーサの様子だと、まるで私が大怪我をしたみたいではないか。

 実際は、コップの破片でほんの少し切っただけ。

 大騒ぎをするようなものではない。


 近寄ってきたシリウス様は、私の目の前までやってくると、その場に膝をついてしゃがみ込んだ。


「どこですか、見せなさい」


「……はい」


 シリウス様に指示されて断れるわけもなく、私は静かに片手を差し出した。

 私の手を受け取ったシリウス様は、切り傷を確かめるように視線を落としている。

 その眉間は、わずかに寄っているように見えた。

 

 やがてため息をついて、シリウス様は立ち上がる。


「マーサ。片付けを頼みます」


「はっはい!」

 

 シリウス様は短くマーサへ指示をすると立ち上がる。

 それから私へ、つっと視線を向けた。

 

「……ついて来なさい。手当てします」


 それは有無を言わさぬ口調だった。

 

 

 ◇◇◇◇◇◇



 先を歩くシリウス様は無言で、私はただ大人しくついていくことしかできない。

 そうして案内されたのは、シリウス様の私室だった。


「どうぞ、入ってください」


 (すごい本の量……)


 部屋の壁をみて、私は思わず感嘆の息を吐いてしまった。

 

 壁一面に本棚が並び、中にはぎっしりと本が詰まっている。

 部屋の奥へと進むシリウス様の後を追いかけながら、本の背表紙へ視線を巡らせた。

 そのうちの一つに見覚えのあるものを見つけ、つい足を止めてしまった。


 (……あ、これ、私も持っている本だわ)


 父の形見の魔術書と同じ題名だ。なんだか嬉しくなる。

 ここにある本は、おそらく魔術書ばかりだ。


 (シリウス様って、努力家なのね)


 さすが、魔術師長の座は伊達ではないということなのだろう。

 

「そこへ座りなさい」


 シリウス様から近くにあるソファへ座るように手で示され、私は素直に腰を下ろした。

 シリウス様はというと部屋の隅にある棚へ向かい、何かを探しているようだ。


 しばらくすると、木の小箱を抱えてシリウス様が戻ってきた。

 そのまま私の足元へ膝をつき、静かに顔を上げてこちらを見据えてくる。

 

「手を出してください」


「……はい」


 当然、シリウス様の指示を断れるわけがない。

 私の指先を受け取ったシリウス様は、手際よく包帯を巻いていく。

 その動きがあまりにも手馴れていて、思わず見入ってしまった。


「……シリウス様、こういう手当てに慣れているんですか?」


「ええ。過去には魔術軍医がいない戦場の経験もありますし……。いつでもどこでも、魔術師が魔術を使える状況とは限らないので」


 (そうか、この人は戦場を経験しているのか)


 今は比較的落ち着いているものの、数年前までは頻繁(ひんぱん)に隣国とのいさかいが起こっていた。


「そういえば今日、陛下のところへ行ってきました」

 

 私の指先へ包帯を巻き付けながら、シリウス様がふと口を開いた。


「陛下のところ?」


「ええ。結婚相手をきちんと見繕った、と報告してきました」


「ああ……」


 (そういえば、そんなきっかけだったな……)


 シリウス様から契約結婚を持ちかけられた日のことが脳裏に浮かぶ。

 確かこの人は、『早く結婚しろ』との王命が下り、勝手に決められた婚約者と結婚したくないがために、私へと契約結婚を持ちかけたはずだ。


 (改めて考えると、妙なきっかけすぎる……)


 私が思い返している間にも、シリウス様は淡々と言葉を続けた。

 

「すると、『式は早い方がいいだろう』『俺も参列する』と言って聞かなくて……。とりあえず陛下のスケジュールも考慮して式場の予約を仮で押さえて来たんですが、1ヶ月後でいかがでしょう」


「1ヶ月後!?」


 返す声が裏返ってしまった。

 想像していたよりも、結婚式の日が早すぎる!


「……私も、早ければ早いほうが嬉しいですし」

 

 驚く私の隣で、シリウス様はすっと視線を横へ逸らした。


「? 何かあるんですか?」


「……。いいえ、なんでもありません。ほら、終わりましたよ」


「ありがとうございます」


 包帯を巻き終えたシリウス様は、そっと私の手を離した。

 その仕草が妙に丁寧なものだったから、大切に扱われているような気がしてくすぐったい。

 触れられていた指先が離れ、ほんの少しの名残惜しさを覚えてしまった。


 どうしてこんな気持ちになってしまったのだろう。


「そ、そういえば、シリウス様。伝えそびれていたんですが……私、仕事を続けたいと思っています。よろしいでしょうか?」


「それは構いません。そもそもそういう契約です」


 話題を変えるように尋ねた私に、シリウス様はただ事実を述べるかのように淡々と答える。

 

「……ありがとうございます。ただ、本当に私は、結婚しただけでいいんですか?」

 

 シリウス様の提示した契約に合意したとはいえ、さすがにこれでは不釣り合いではないだろうか。

 私は今まで通りに過ごしていいのに――。

 

 私の存在が、シリウス様の生活に負担をかけているだけな気がしてならない。


「――セレフィア」


 私の言葉にシリウス様は視線を逸らし、どこか遠くを見るようにして言葉を続けた。

 

「あなたは、私と出会った日のことを覚えていますか?」


「はい」


 私とシリウス様が最初にあったのは、父の葬儀の日ではない。

 それよりもさらに一年前にさかのぼる。


 今からおよそ六年前。私が15歳だった頃のことだ。


「私はかつて、戦争のさなかで右目を失った。それを治してくださったのが、あなたのお父上だ」


 六年前、隣国との大きな軍事衝突があった。

 その際に、魔術師団の一員として出撃していたシリウス様は、右目を負傷してしまったらしい。

 魔術省での大がかりな治療を拒否したシリウス様を、父が半ば無理やり自宅へ連れてきた。

 それが、私たちの最初の出会いだ。

 

 シリウス様の右目は、医療魔術を用いて父の瞳をコピーした複製を移植したものらしい。


 今のシリウス様は、右目ははちみつのようなアンバー、左は澄んだ冬の空のようなライトブルーのオッドアイだが……。

 元々は両目とも、ライトブルーだったそうだ。

 

 (父の魔術が終わり、初めてシリウス様のオッドアイを見た時……。目が離せなくなったのを覚えている)


 思わず本人を目の前にして「綺麗」と言ってしまったほどだ。

 

「私はあなたのお父上には、返しきれないほどの恩があります。……そして、あなたにも」


「私にも?」


 思いがけない言葉に、どくんと心臓が跳ねた。

 父に恩を感じるのはまだわかる。けれど、どうして私にも?


「……わからないならそれで構いません。私との出会いを覚えてくれているだけで十分だ」


 私に恩を感じる理由はさておき……。

 もしかしてこの人は、私や父に恩を感じているから、私と結婚しようと思ったのだろうか。

 急ぎで結婚しなければならないだけなら、他にももっと候補がいたはずだ。

 それなのに私へ声をかけたのはきっと、私が手近にいたことと、恩を感じていたからなのだろう。


 そう考えれば、ある意味納得ではある。


 (……あれ、少し寂しい気がするのはどうして?)


 契約結婚の相手として選ばれた理由が私自身にあるものではなく、父に起因するものだからだろうか。


「私は、あなたに心穏やかに過ごしてほしいだけです。それが手に入るならば、契約は十分に釣り合っている」


 (それって、私が幸せに暮らしていたらシリウス様は満足ってこと?)


 たしかに、バクスター家にいた頃とは比べものにならないほど、今の私は心穏やかだ。

 けれど、それだけでいいのだろうか。

 普通はもっと、対価として何かを要求するものではないのだろうか。


「……シリウス様って、謙虚なんですね……?」


「……ちがいます。私は欲深い人間です」


 (欲深い?)


 シリウス様の態度からは、欲深いものなど見当たらない。

 思い当たる節がなく、首を傾げてしまう。


 シリウス様はこれ以上、この話題を続ける気はないらしい。

 棚へ小箱を戻そうとしてか、ゆっくりと腰をあげる。

 だが、ふと何かを思い出したのか、動きを止めて私の方を振り返った。

 

「ああ、そうだ。来週末、良ければ出かけませんか。あなたと行きたい場所があります」


「はい?」


 突然の誘いに目を瞬かせる私を、シリウス様は静かに見つめていた。


 


 

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