薄墨色の同級生Ⅰ
タイトルが思いつかなくて投稿できていませんでした(?)
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2026/12/13(日)開催COMITIA158にて【ら40a】にサークル『魔女の書斎』としてスペースをいただいています。
ノクターン1~2巻を持っていく予定なのでよろしければ。
「久しぶりだね、良乃」
梅雨明けが宣言された大学の敷地内。
たまたまカフェテリアで会った良乃と歩いていると、誰かが親しげに声をかけてきた。
良乃って大学で声をかけてくるような知り合いいたんだ。というか白乃さん以外に知り合いいたんだ。
けれど当の本人は興味なさげな顔をしている。それは知り合いに向けていい表情じゃないと思うんだけれど。
いつもより返事が遅い良乃を見る。こういう時は大抵、何かを思い出している時なのだと短く無い付き合いで把握してきた。
そうやってようやく開かれた口からは、想像以上に乾いた短い言葉が漏れる。
「誰?」
「えぇ……」
この返事に相手も当然困惑の表情を浮かべている。
「俺だよ俺」
「詐欺?」
それは流石に失礼じゃ無い?
相手の顔を見ているだけマシだけれど。本当に興味がなかったら言葉も返さないだろうし。
「忘れちゃった?」
「会ったことあったっけ」
失礼に失礼を重ねる良乃に思わず頭を抱えたくなった。
実際良乃は本気でそう思っているんだと思う。それが相手にどう思われるかというところがハナから興味がないだけで。
「良乃だよね?」
「そうだけれど」
手元でずず、とストローが空気を吸う音が気まずさをかき消そうとする。
「本当に忘れちゃったんだ」
けれど相手の方も、まぁそうだよね。という顔をしていた。本当に良乃の事を知っているみたい。
「中学の合唱コンクールでピアノ弾いてたよね」
「? 知ってるんだ」
「知り合いだって言ってるじゃん」
良乃ってピアノ弾けたんだ、なんか意外。
「本当、そういうところ昔から変わらないよな」
「そう?」
淡白に良乃が返事をする。
なんなら意識は飲みかけのコーヒーに七割くらい持って行かれていそうなくらいだし。
「あの……どちら様?」
居た堪れなくなって良乃の代わりに素性を尋ねる。
相手はそういえば。という顔でこちらを見た。
「サツキだよ。経済学部の四年生」
「サツキさん。良乃がお世話になっています?」
久しぶりという相手に言うのもどうかと思うけれど、とりあえず社交辞令を返しておく。
一方の良乃は名前を聞いてもピンと来ていない様子だった。
「サツキさんって良乃と同じ中学だったんですか?」
「そうそう、同じクラス。良乃がピアノ弾くのめんどくさがったけれど、お前しかいないから〜って頼んだんだよね」
あぁ、なんか想像つく気がする。
でもどうせ、楽譜見たらある程度すぐ弾けちゃったんだろうな。
「そうだっけ」
「本当に忘れてる」
「まぁ確かに伴奏はしたけれど」
してるじゃん。
普通そんなエピソードがあったら、良乃の記憶力なら覚えていそうなものだけれど。
それともそれすら興味が無くて記憶するに値しないと判断したのか。
やっぱり良乃のことはわからない。
「まぁいいや。また今度ちゃんと話そうよ」
そう言ってサツキさんは次の授業があるからとその場を後にした。
生徒たちに紛れた背中を見送ってから、視線を隣に移す。
「本当に覚えてないの?」
「知らないね」
良乃の意識はとっくにスマホの方に移っているのか、サツキさんの消えた方を見向きもせず答えた。
「本当に人のこと覚えないっていうか興味ないよね」
氷だけになったカップをゴミ箱に捨てて次の授業の教室を確認する。
「莉音だって中学の時のことそんなちゃんと覚えてないでしょ」
「それは、まぁ……」
それでも名前を聞いたら思い出せる人は何人かいるはずだ。クラスメイトなら尚更。
「人の記憶なんて主観でしか無いし、証明しようがない不確かなものでしか無いよ」
「でも忘れられたら悲しくない?」
「相手にとっておれはその程度ってことでしょ」
なんでもない風にさらっと、秋風みたいに軽く言う良乃の表情はいつも通りだった。
その理論を他人に適用しないで欲しい。
「良乃はそうかもしれないけれど……」
「無い袖と記憶はふれないからね。向こうが覚えているならそれでいいんじゃない?」
本当に物事に執着が無いというか興味が無いというか。
「良乃って人のことちゃんと覚えてる?」
「多少はね」
多少って。少なくとも私と白乃さん、あとはご家族のことは覚えてるだろうけれど。
そういえば良乃から誰かの話を聞くことってほとんどない……いや、一度も無かったかもしれない。
なんなら良乃から自分自身の話を聞いたことも無いかもしれない。
「顔と名前が一致する人っているの?」
私が尋ねると、流石に何を言っているんだ。という顔で良乃がこちらを見た。
「そんなに覚えてないと思われてる?」
「だって」
良乃から人の名前を聞いたことも、ご両親のことを聞いたことも、家のことを聞いたことも無い。
私が聞いていないからと言われたらそれまでなんだけれど、話の流れでそういう話題になることすらなかったなと今更気づく。
「白乃さんくらいしか人の名前聞かないから」
「あぁ、付き合い長くなったからね」
長いから、じゃなくて長くなったからなんだ。
「じゃあおれ次の授業あるから」
そう言うと良乃はふらっと大学の建物の方へと歩き出した。
結局あの人は誰だったんだろうという疑問はあるけれど、少なくとも良乃からこれ以上情報を引き出すことはできない。
かと言ってそれで何か問題があるかと言われたら何もない。私がなんとなくモヤモヤするだけで、それで誰かが傷つくとかでないのなら気にしないようにするべきだ。
「……私も授業行かないと」
これ以上考えないように無理矢理意識を別の方向に切り替える。
次の授業の教室に向かえば、すでに何人かの友だちが席を確保していた。
「あ、莉音。隣おいで〜」
「おはよう、席ありがとうね」
手招きされるまま空いている席に座って教科書を広げていく。
先に来ていた子たちはどうやら先週末の合コンの話題で盛り上がっているみたいだった。
「やっぱり莉音も連れていけばよかったー。めっちゃいい人いたんだよね」
「でも莉音って合コン行くイメージない」
「わかるー。行ったら無双できそうなのにね」
だいぶ好き勝手言ってる? 申し訳無いけれどそういうのは興味無いし、そんなことしてる暇があった
ら幸福の魔女を探す方が大事だ。
「え、でも莉音彼氏いなかったっけ」
その一言でみんなの視線が私に集まる。
勢いに気圧されつつ、勘違いは訂正しないといけない。
「……いないよ?」
そんなもの作った覚えはこれっぽっちも無い。
「ほら、黒髪の」
そこまで言われて納得すると同時に、それだけはないなと思う。
少なくとも身長はもっと高い方がいいし、あんな適当な感じじゃなくてもっと大事にしてくれる人の方がいいし。
「あの人はそんなのじゃ無いよ」
「え? でも最近よく一緒にいるじゃん」
「一緒にいるだけね」
それでも彼女たちは引き下がらない。
どうして男女が一緒にいるとカップルにしたがるんだろう。
「じゃああの人は莉音のなんなの?」
何と問われて、そういえばなんなんだろうと内心首を傾げる。
恋人は世界がひっくり返ったって違う。友だちかと言われるとそれも微妙だし、相方というほど気心知れてるわけでも無い。
「うーん……契約者?」
「婚約者じゃなくて?」
「そうなったら飛び降りるかな」
「そんなに?」
そんなに。あと多分良乃にそう言う願望も感情もないし。
「莉音だったら彼氏なんて選び放題なのに」
別の子がため息混じりに言うと、付き合いの長い二人が私より先に否定を差し込んだ。
「あ、ダメダメ。この子彼氏の条件に身長百八十センチ以上ってあるから」
「あと意外と夢見がちだし」
「バカにしてる?」
確かに身長は高い方がいい。もちろん優しい人であるこことは絶対条件だ、とここまで思い返して、この条件がどこから来ているのかを思い出した。やっぱり柘榴お兄ちゃんなんだ。
「莉音ならワンチャンありそうだよね」
やがて教授が教室に来て、自然と会話がフェードアウトする。
そういえば彼氏とか考えたことなかったな。
中学高校と告白されたことはあったけれど、正直知らない人だったからお断りしたし。
……そういえばあの人たちって誰だったんだろう。名乗ってくれたと思うけれど思い出せないし、顔なんてもっと朧げだ。なんならこの話題が出てくるまで忘れてたし。
「良乃のこと言えないな」
誰にも聞こえない声で呟く。
こうして考えると、意外と良乃の感性の方が正しかったりするのかもしれない。
他人なんて簡単に忘れてしまうし、忘れてしまう程度の相手というのは存在するのだと、今自分自身で証明してしまった。
案外記憶というものは頼りにならないのかもしれない。
幼い頃の記憶は段々朧げになって、ワンシーンしか思い出せなくなるし、客観的に記憶していると思ったものには主観しか無い。
だとしたら記憶はどこまで信用して良いものなのだろうか。
板書もそこそこにそんなまとまりの無い思考ばかりが雲のように次から次へと湧いてくる。
「——では今日はここまで。課題の提出は期限までにしてくださいね」
ふと、教授の声で意識が教室に戻った。
そっか、そういえば課題の話もしていたっけ。
解放された生徒たちで賑わう教室の中、鞄に教科書を詰めていく。
「莉音帰るよね」
「うん、スーパー寄って帰るよ」
「じゃ駅まで一緒に帰ろ」
みんなに混じって大学を出る。
蒼空が主役の、夏の空。
アスファルトを焼く日差しに混じってどこからか懐かしいプールの匂いが漂っている。
まぁプールの授業はそんな好きじゃなかったけれど。
「そういえば今度サツキ先輩たちとご飯いこーって話になってさぁ」
思いがけない名前が出てきて思わずそちらを見る。
その子の方を見ても、なんでもないような顔をしていた。
「サツキさんって……えぇと男の人?」
昼に良乃に話しかけてきた彼を思い出す。
良乃の反応に意識を持って行かれていたのか、性別や声は思い出せるけれど顔の印象があんまりにもなかった。
「そうそう、先輩も何人か誘ってくるって言っててさ。莉音も来る?」
「んー、週末は用事あるんだ、ごめんね」
「莉音忙しいよね〜今度遊んでよ」
「うん、先に予定決めてくれたら空けておくよ」
週末は家事とか幸福の魔女のこととかで忙しいし。
それにしても、良乃の知り合いとは思えないくらい顔が広いんだ。そうか、顔が広いから良乃にもたどり着いたのかもしれない。
「サツキさんってどんな人なの?」
軽い気持ちと好奇心で聞いてみると、それはそれはありきたりな回答が返ってきた。
「優しい人だよね」
「知り合い多いみたい」
「経済学部だっけ」
羅列される特徴を脳内で構築していく。
そうして出来上がった人間像はなんというか……。
「普通の人、だね?」
私の反応に他の子達がわかる〜と軽く笑った。
良くも悪くもありきたりな人。だからこそ良乃とも関わりを持てて、忘れられたのかもしれない。
「でも莉音もサツキ先輩知ってるでしょ?」
一人の子の言葉に少し首を傾げる。この子もあの場にいたのだろうか。
「あれ、お昼外にいたっけ?」
「昼?」
今度は相手の子が首を傾げる。どうやら話がだいぶ噛み合っていないらしい。
「サツキ先輩とは確かに良乃と一緒に今日初めて会ったけれど……」
私の証言に、他の子がそうなの? と不思議そうな顔をしている。
「この前一緒に会わなかったっけ」
「その時莉音いなかったとか?」
「そうだったっけ。大学いるとき莉音と一緒にいるから、てっきりいるんだと思ってたよ」
……あぁ、びっくりした。私がいない時の話か。
でももしかしたら私も忘れちゃっていたかもしれないし、そうだとしたらちょっと悪いことしちゃったかな。
お昼の時は良乃に用事があったみたいだから、多分大丈夫だと思うけれど……。
思うところはあるけれど、ここで蒸し返すような話でもない。
そうかもね、と適当に相槌を打ってその場の話は夏休みの旅行先の話題に移り変わっていた。
「じゃあ私お買い物あるから」
「うん、また明日ね」
駅前でクラスの子たちと別れてスーパーへ向かう。
少し気の早いクーラーに包まれたスーパーで買い物を進めていく。
そろそろ夏野菜が美味しい季節だし、焼き浸しとか作ってもいいなぁ。作り置きなら良乃の家においておけば食べてくれるだろうし、いっぱい作っても消費の心配をしなくていいのは助かる。
良乃の家でご飯を作ったり作り置きを持っていくようになってから、いろいろ作るようになった気がする。
もともと料理は好きだったけれど、一人だとどうしても食べきれる量に限界はあるし、そもそも作っても食べさせる人がいないからどうしてもちょっと雑になっていたというか。
もっとも、良乃は良乃で何を食べてもあんまり表情を変えずに美味しいって言うから、本当に好きなものが何なのかは相変わらずわからないけれど。
でも最近だとエビチリが好きじゃないというのは意外だった。なんでも食べるイメージがあったので、作る前に止められるレベルで苦手なのかと思うと少し面白さが勝ったのは記憶に新しい。
まぁそこまで嫌いなら無理に食べてもらおうとも思わないし、それなら美味しいもの食べて美味しいって言ってもらえる方が嬉しい。
カートを押しながら目についた食材をカゴに入れていく。
オクラ、ナス、カボチャ、トマト……。これなら夏野菜カレーもいいかもしれないな。カレーはさすがに良乃の家で作るけれど。
レジで会計をする頃には一人で持つには少し量が多くなってしまった。最近は買い物の時に良乃を連れてくることが多かったからちょっと調子乗ったかも。
「ちょっと重い……」
エコバッグに詰め込んだ買ったものを、よいしょと気合を入れて持つ。やっぱり自転車あった方がいいかな?
日が長くなった夕暮れの道を一人歩いていく。
クラスの子たちは何人かで旅行に行くらしい。私はそのタイミングでママたちが帰国するみたいだから今回は行かないけれど、旅行は素直に羨ましい。
夏休みなら美咲も学校休みかな? 久しぶりに連絡して、旅行とまではいかなくてもちょっと遠出してみるのもいいかな。
そんなことを考えながら家の鍵を差し込み、ドアを開ける。
相変わらず音も気配も無い室内に迎え入れられながら、キッチンで買ってきた食材を広げていく。
本当はすぐ冷蔵庫に入れた方がいいんだろうけれど、このまま作り置きを作ってしまおう。
お肉や牛乳、それから溶けるのが心配だけれど買っちゃったアイスを冷蔵庫に仕舞い、お気に入りのエプロンを身に着ける。
焼き浸しは野菜を切って焼いて出汁に漬けるだけなので簡単だ。
それぞれの野菜を食べやすい大きさに切り、簡単にあく抜きをする。ちょっと迷って結局買ったししとうはヘタを取って穴をあけるといいらしい。
フライパンに油を敷いて野菜を焼いている間に、容器にめんつゆや少しのショウガを混ぜてつけ汁を作っておく。
食欲をそそる匂いを広げる野菜をいためながら、ふと夕方の会話を思い出す。
『でも莉音もサツキ先輩知ってるでしょ?』
私はあの人を知っているといえるのだろうか。
今日良乃に声をかけたのを見たのが初めてだと思っていた。
男の人で、優しくて経済学部で、交友関係の広い人。
『この前一緒に会わなかったっけ』
そうだったっけ、と自分では思うけれど、そういえば一つ心当たりのようなものはある。
いつも一緒にいる子と大学内を歩いているとき、別学部っぽい人と軽く話していた気がする。
その時私も形式上会釈をした相手がいたような。
あれがサツキ先輩だったのかな。
「あれを会ったって言えるのかなぁ……」
苦笑しつつ香ばしく焼きあがった野菜たちを、つけ汁で満たされた容器に移していく。
あとは冷めたら冷蔵庫で寝かせれば味が染みて美味しくなるはず。
なるはずだけれど……。
「出来立てを食べないのは、勿体ないよね」
いくらかお皿に移して、ついでにご飯も盛り付けていく。
暑くなってくるとこういうさっぱりと食べられるものが美味しくなってくるからいいよね。
軽めの夕飯にはなるけれど、バテ気味になる頃にはちょうどいい。
「いただきます」
誰にいうでもなく染みついた習慣を口にする。
一人の食事は慣れたものだけれど、一人分の生活音だけが響くこの時間に物足りなさを感じるようになったのは、多分最近の話。
いつからだったかな、と一瞬の思考が脳裏から顔を覗かせる。
その答えを探す前に、テレビのリモコンへ手を伸ばした。




