第十二話:機器人に宿る老爺
前夜、太極號が完成した後の夜明け、酒宴の席を終えて皆が帰る時。
十三爺は道士の男だけを呼び止めた。
「道士、黄暁。ちょっといいか」
「ええ。スーサンイェ」
2人は太極號を見上げつつ話す。
「いやあ、わしが死ぬ前に何とか完成しよった」
「はは、スーサンイェ。まだまだお元気ではないですか」
十三爺は首を横に振る。
「わしの命脈はもう尽きるよ。気功と阿片で誤魔化しているだけじゃ」
「……なんと」
黄暁は十三爺の横顔を見る。そこには死の哀しみも恐怖も感じられなかった。
「わしの残勁、魂魄までを込めた呪符を孫娘に預けた」
「徐美蘭にですか。……いや、魂魄ですと?」
「そうだ。その呪符の魂魄で太極號を動かす。これがわしの得道成仙よ」
「無機物に魂魄を封じるというのですか?」
「昔からいるじゃねぇか。玉石琵琶精とかな」
黄暁は驚愕した。玉石琵琶精と言えば確かに玉石でできた琵琶に命が宿った存在である。だがそれは封神演義における悪役たる三妖妃の一人、千年狐狸精妲己の義妹、王貴人のことではないかと。
「そ、それでは妖仙ですぞ!」
老爺はかっと笑みを見せる。
「妖仙、結構じゃあねえか。わしはこの上海で随一の殺し屋だぜ。善行積んで天仙・地仙になれる筈はねぇだろうよ。尸解仙として死後に魂魄を留め、肉体を呼ぶにも修行が足りねえ。だから器を用意したのよ」
「……爺爺?」
美蘭のその呟きに、太極號は答えない。だが太極號は彼女に振り返り、黄金色の面甲の奥、紅い瞳がその言葉に反応するかのように優しく光った。
そして再び、美蘭の前で太極號は拳を振るう。
男が一人無残に殺されたのを見て浮き足立つ王東風の配下たちを、一人、また一人と屠っていく。
男に太極號の蹴りが入り、上半身を消失させる。
「ひぃっ!」
隣にいた男が恐怖に悲鳴を上げて崩れ落ちた。
それを踏み潰そうとする太極號、張子豪が駆け寄り、男を放り投げて救った。
「王大哥!こいつは無理です!」
「うるせえ!今わかったぞ!この機器人の動力、俺からパクった船の蒸汽機関じゃねえか!
取り返さなきゃ怒りが収まらねえ!」
張士豪と王東風のやりとりに逃げ腰になる男たち。だがそれは手遅れに過ぎた。
『再現率百分之七十到達、霊宝機構稼動』
太極號の腰の剣から留金が外れる音がする。そして全身からも錠前が外されるような音が。
「うぅ、うわぁ!」
男達の何人かが恐慌に陥り、左右に逃げだす。
太極號はその場から動かず、両手の掌をそれぞれの方向に向けた。
『対人用霊宝、焔竜鏢射出』
手槍を撃ったかの如き破裂音。
太極號の両の手首より撃ち出されたのは小刀の刃に似た鉄片。
「がっ」「ぐっ」
それは逃げ出した男達の背中へと突き刺さり、発火した。
太極號の腹部にある蒸汽機関。それで加熱された仕込み刃は刺さると同時に、中から炭塵をまき散らし燃焼する。
背広へと燃え移り、肉を焼き。苦悶の声と悪臭を立ち上らせて男達は絶命した。
『主武装霊宝、七星剣抜剣』
太極號が腰の剣を抜く。その巨大な太極剣はそれを扱う巨躯のために誂えられた逸品。
鞘鳴りの音も無く抜かれたそれは、ヘッドライトや炎の明かりを浴びて白銀に輝いた。いや違う。剣身が自ずからその霊気によって白く輝いているのである。
剣身には北斗真君の文字が刻まれ、剣格、剣身と柄の間の護拳にあたる部分には七つの玉とそれを結ぶ黄金によって北斗七星が象嵌されていた。
周囲の男達は恐怖と、その美しさ、そして太極號の発する武威によって身動きがとれずにいた。
太極號が右手の剣を正握に、左手は指を二本立てた剣指に構える。鎧姿と相まって、正に武将の風格。とは言え古今いかなる武将とて、ここまでの武威を発することはあるまいと思わせた。
張子豪がはっと叫ぶ。
「逃げろ!」
太極號は左脚で斜め前に踏み込みながら地を掬うように身体の右側で七星剣を振るい、右脚で踏み込みながら今度は手首を返し、身体の左側で剣を振るう。
僅か二振りで十人の首が刈られた。だが、七星剣には返り血一つつかず輝きを保っていた。
「左弓歩欄から右弓歩欄……やっぱり爺爺!」
太極拳は剣も扱う。美蘭はまだ剣を教わってはいなかったが、それでも十三爺による太極剣の套路を見たことがあったのだ。そして今の動きはそれにそっくりであった。
太極號は劈剣、縦に剣を振り下ろす。剣尖が満月のような円弧を描き振るわれる。その下には王東風。
「ひっ!」
動けぬ王東風の前に張子豪が割り込み、柳葉刀を斬り上げるように七星剣に叩きつけ、剣を受け流した。
勢いは殺せず、だが軌道を変えることには成功し、王東風の肩を掠めるような近距離を剣尖が通過する。
受け流した張子豪は全身から汗を噴出させる。たったの一合斬り結んだだけで、剣はひび割れ、内功として蓄えた全ての気力を使い果たしたのだ。
「王大哥、お逃げ下さい」
再び七星剣を構える太極號、張子豪は刀を持ち上げられない。
「Halte!」
そこに声が響いた。法国人の警官が、手槍を美蘭に向けているのだった。




