魔法手帖九十一頁 行方不明の主、眠りの魔法と魔力
今頃オリビアさんは二十三階層の主を捜索しているところか。
十五階層の部屋で扉の外を見ながら思いを巡らせる。
あの後、血の気の失せたオリビアさんはリィナちゃんと魔人さんを従え、二十三階層に管理者権限を使って突入していった。
結果。
グレースの言うことは半分だけ当たっていたらしい。
二十三階層に主はいなかった。
その代わりに。
外部からダンジョンへ繋がる通路に復元が不可能な程切り裂かれた状態で書籍の一部が蒔かれていたらしい。オリビアさんは震える手で残された欠片を拾い上げ、見せたことのない程の怒りの表情を浮かべたそうだ。その表情の変化を間近で見た魔人さんが恐怖を覚えた、というのだからどのレベルかは察して欲しい。
そして残りの大部分については…未だ見つかっていない。目下捜索中というわけだ。
セーフゾーンに残された私と棟梁は、人手が必要な場合を想定して暫く待機していたのだが、程なくして戻ってきたリィナちゃんから『今日は修繕を切り上げてもらいたい』と言うオリビアさんの伝言を受け取ったので帰ろうということになった。
確かに今日はもう修繕どころではないよね。
とりあえず棟梁はグレースにお願いしてダンジョンの入り口まで送ってもらった。『何かあったらすぐに呼べよ!!』という激励の言葉を残してかっこよく帰っていったのだが、最後にキラリと白い歯が輝いていた。濃いよね、本当に。その後私はシロを抱っこした状態でグレースに十五階層の部屋まで戻ってもらったのだが。
「うーん。眠れない。」
明日は普通に魔法紡ぎのお仕事だし、少しでも眠った方がいいのだろうけれど。
夕飯を食べて着替え、シロ達に魔力を供給した後、魔法手帖に残った分を貯めて空にしてと、いつもの作業を終わらせても興奮しているのか緊張しているのか眠気が全く襲ってこない。…疲れているはずなのにな。
一つ溜め息をついたところでグレースが書架の部屋から姿を現す。
「お嬢様、眠れないようですのでこれをお持ちしました。」
「ありがとう。」
彼女の抱えたカップからは温めたミルクの甘い香りが漂う。
言わないのに察して気遣ってくれるところは本当に優秀な侍女だなと思うのだけど。
「今、グレースってば神対応?!とか思いましたね!」
うん、そういうこと言わなければね。
「お嬢様。よろしければこの後、外出させていただいてもよろしいでしょうか?」
「いいけど…どこにいくの?」
「情報収集に各階を巡って参りますわ。
他にも気付かなかった問題点があるかも知れませんし。」
「大丈夫なの?さすがに危険じゃない?」
「寧ろ事が起こった後の方が安全です。皆が警戒しておりますので。」
そういうものなのかと思ってシロの方を見ればウトウトしながら頷いている。
「うん、我も大丈夫だと思う。先ほど闇のの気配が動いたから恐らく奴も各階を見回るだろうし。」
「主様が?」
「気付かなかった?このダンジョン、夜は闇のが結界を張ってるんだよ。夜と眠りは闇の眷属の領分。力が強くなるからこの程度の規模なら簡単だろうね。」
「ならば今回の件は…昼間に起こったっていうこと?」
「たぶんね。オリビちゃんは店を経営しているから不在。闇のも昼は力を蓄えるために寝ていることも多い。一応魔道具で結界を張ってはいるけど、人の出入りを阻害しない程度のものだし闇の程完璧ではない。ただ、これは我の勘だけど…ここ数日の話ではなくてもう少し前、今回の事件の種は一斉に蒔かれていたんじゃないかな?」
「その根拠は?」
「今回、一気にいろんな問題が発覚しただろう。タイミングが良すぎると思わないかい?まるで一つの目的を達成するために全てが仕組まれていたとしか思えない程に。」
一斉に蒔かれていた種が何らかのきっかけで芽を出した。
種が蒔かれた時期はわからないけれどきっかけだけは想像がついた。
「…ダンジョンの修繕。」
「それだろうね。魔紋様にせよ、魔法にせよ、発動するには魔力が必要となる。壁や床の補強で魔力を流す、その過程を利用されたんじゃないかな?」
手を変え、品を変え。
呆れるほど執拗で、狡猾だ。
わかっている。
利用される方にも隙があるからだということも。
ただそれを自業自得と受け止めるほど私は人間が出来ていない。
「破砕された書籍がどこに置かれていたのか、
それがわかれば取る手段も変わってくる。」
「調べて参りますわ。お嬢様。」
グレースが転移を発動し姿を消す。
「少し眠った方がいい。君は魔素の取り込める量が格段に多いとはいえ眠らないのは効率がよくないからね。」
「ちょっと無理そう…。」
興奮で益々目が冴えてしまった。
「ならば手助けしてあげる。
あまり使いすぎると良くないんだけど、たまになら大丈夫だから。」
そう言ってシロは少しだけ身じろぎすると小さな光を発し、一緒に私を包み込む。
ふんわりと温かい光が部屋に満ちる。
昼下がり、束の間の休息を思い出させる温もり。
その温かさと優しさは神経の高まりを解してくれる。
まるでお日様に干した後のふかふかになった布団にくるまっているかのようで。
私は瞬く間に眠りに落ちた。
安らかな寝息をたてるエマにシロはぴったりと体を寄せた。
すると意図しなくても体内にエマの魔力が流れ込んでくる。
程なくして魔力の器が満たされたのがわかった。
「流石、次代の魔法紡ぎの女王。本当に魅力的な魔力だ。」
皆は気付いていないようだが、彼女の魔力は"分け与える"ことについて非常に理想的な配分で出来ている。彼女自身も気付いていないようだが彼女の魔力は他者の魔力を損なわないよう奇跡的なまでに属性の偏りがない。しかも効率よく分け与えるために密度が濃く…甘い。この甘さを好ましいと思うものは多分精霊だけではないだろう。
魔物も、人にとっても彼女の魔力は格別だ。
「教えてあげないけどね。」
グレースは、まあ仕方ない。同じ光の眷属でもあるし彼女の侍女として働いている対価でもある。でもそれ以外の生き物にこの魔力の秘密を教える気は更々ない。
気付かない方が悪いんだよ。
事の経緯に心を痛めている彼女には決して言わないけれど、今回の事件だって裏がちゃんとある。国同士の確執、宗教に関わる諸問題。嫉妬や嫌がらせなんかは流石に個人の領分だから予測はつかないけど、国の運営に関わる部分は本来国主導で片付けておくべきものだった。それを五年前の騒動を終息させることに専念するあまり、未来を蔑ろにしたツケが今ここにきて表面化し対応を迫られている、それだけのこと。
光の眷属は清く純粋であると誰が決めたんだろうね。
シロは口元に皮肉を含んだ笑みを浮かべる。
綺麗なだけで、大精霊と呼ばれるまでに自身を高められるわけがないだろうが。
どうやら巷では浄化が出来るものは心が清らかであるといわれているようだが、恐らくブレストタリア聖国の聖女の出現でそういう風潮が出来上がったのだろう。…かの国では、他国からそういう印象をもたれることを聖女に求めたようだから。
我も魔法で浄化は使えるけれど、それは自身の性質によるものではなく、単純に生まれつき適正があったから。
血統だってそうだ。
このダンジョンは受け継ぐ血の濃さで管理者を定める。
確かに書籍の魔物を従えるのに都合がいいのだろうが、管理者は次代に受け継ぐまでずっとダンジョンに縛られる。オリビアのように覚悟の伴う者ならいいが、歴代の管理者には定めに逆らい続けて、結果一生涯ダンジョンに隔離された者もいたと聞く。
血が濃いから管理者に向くわけでもないのに。
現在の王は人徳もあり有能であるという。
だが今回の問題を引き起こす原因を放置した前王は?
次代の王になるはずであった五年前の騒動の当事者である第一王子は?
王族に現れる次の管理者がダンジョンに忌避感を抱いたらどうするのだろう?
このダンジョンの在り方も分岐点にきているのだ。
皆が目を背ける現実にもっとも近い場所で向き合っているのがエマ。
国や管理者は気付いただろうか?
彼女が提案した魔紋様はこの場所の在り方を覆す可能性のあるもの。
書籍が本来の姿を取り戻せるようにこの場所を変えていくための布石である事を。
エマが教えてくれた。初代女王は自身の願いをこう口にしたという。
『私の願いはダンジョンにある愛しい本(子供)達が安心安全に暮らすこと』
そしてそのためにダンジョン管理の手伝いをして欲しい、とも言っていたという。
だが最後までダンジョンを存続させて欲しい、という願いを初代女王は口にしなかったという。もし本当に彼女が当初の目的通り国に利益を還元させる目的でこの場所をダンジョンとしたのなら、国を愛する彼女の事だ。一番真っ先に願うことはダンジョンを存続させることのはず。
だが彼女が願ったのは本来の姿として得られる幸せ。
そしてその意思を汲んだエマは新たな効果を追加した魔紋様を紡ぎ、一時的とはいえ建物の修繕と補強を試みた。
『いきなり変えていくのは難しいと思うのよ。揺り返しと同じように急激な変化は不要な反発を招く。それにこういう大事なことはこの国の人が決めるべきだと思うんだ。だからオリビアさんには魔紋様を選択肢として託した。でもシルヴィ様が望んだことは叶えてあげたいから今後修繕が終わったところで、本来の書籍としての役割を活用した管理方法もあると可能な限り提案していくようにしたいんだ。例えばダンジョンのうち一階層をモデルケースにして。いつか、ダンジョンが不要となって、ただの書籍達に戻る日が来たら彼らを本来の姿で活躍させてあげられるように。』
簡単に言うけど現実は難しいよね、そう言って苦笑いを浮かべる彼女の考えを全員が歓迎するとは思えない。特にダンジョンの収益によって潤うものたちは強く反発するだろう。それでも人々は思い出さなくてはならない。
書籍はそういう使い方のために存在するものではないことを。
本来、書物は滾々と湧き出でる知の泉でなくてはならない。
今世から、後世へと万民に知識を受け継ぎ、授けるもの。
そしてその知識が長い時間をかけ人を育て、人が豊かな国を育てるのだ。
それを初代女王の苦肉の策に溺れ、国は長いこと代わりとなる政策を打ち出せなかった。それが五年前の事件をきっかけに表面化、結果混乱を招いたのだ。
まあ、新しい国王は政策でそれなりの成果を上げているそうだから、そろそろダンジョンの在り方にも口を出そうとするだろう。今回の事が国に伝われば管理不行き届きを利用して管理者を変えることも検討するかもしれない。
「闇のは大変だろうな。」
今回の一件を終息させるだけで済むならまだいい。
対応を誤れば最悪の場合ダンジョンの内部が荒れ果て、納品どころではなくなるだろう。
「ああ、これも今回の目的の一つに含まれるか。」
ダンジョン内を荒廃させ国力を下げる。
全くエマが言う通り『執拗で、狡猾』な者達が多いな…あの国は。
今度エマの買い物に付き合って酒盛り用の酒を仕入れてもらおう。片割れの憩いの時間位はいつものように付き合ってやりたいから。
あれ、でもあんまりお酒を飲んだ記憶がないな…何してたっけ?
ちらりと視線を向ければ、傍らで眠るエマの表情がふっと緩む。
君は何か知ってるのかな?
もしくは全く異なる幸せな夢を見ているのかもしれない。
「君は随分と闇を背負ってきたようだね。
ならば今度は同じくらい明るい光が射すようになるよ。」
我と、その片割れが側にいるのだから。
光と闇は表裏一体。
闇には光が寄り添うように、光には闇が伴う。
ふと魂の片割れに思いを馳せる。
闇を背負うとも本当に純粋な性質を持つのは片割れの方だ。
そうでなければいくら恩義を感じているとはいえ、精霊が長い年月をダンジョン内で過ごすことなどあり得ない。そして清廉であるからこそ代々の管理者を従えることができる。
「勿論清廉だけではないけどね。」
自分がこの容姿であることを選択したとき、『面白そうじゃないか』とニヤリと笑って色違いの容姿を選んだ時は流石一つの力を分けた存在であると思った。
我々は二体でひとつ。この世界を構成する二大要素は似て非なるものでなくてはならない。
「ああ、早くエマがこの場所から解放されないかな。」
この世界は本当に広い。
長いこと生きている我でさえ多分全てを見ることは叶わないだろう。それでもエマがいるうちに彼女の望む自由な世界をひとつでも多く見せてあげたい。
少しだけこの国に力を貸してやろうか。
エマを一日でも早く解放するために。
「犯人が逃げる気配を感じたから印をつけておいたし。」
奴等は忘れているようだが、昼は我の領分なのだよ。
そこいらの魔物がつけた印とは訳が違う。
見ただけでわかるようにした。
…彼女達は我の獲物であると。
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「おはよう、エマ。」
「…うーん…あ、あれ?もう朝?」
本日も麗しい声で目が覚める。
昨日あれだけのことがあったのに。
気持ちよく、ぱっちりと目が覚めたことに驚く。
「おはよう、シロ。昨日のあれってもしかして魔法?」
「そう。治癒の一種なんだけどね。」
「すごいね…眠気もないし、体の疲れも一気に取れた感じ!」
熟睡出来たお陰かお腹もすいて、やる気も出てきましたよ!
「ただ、多用しすぎると魔法なしで眠れなくなるから。」
…。
以前ダンジョンで倒れたオリビアさんを診察してくれた先生が言っていた『過剰な治癒は攻撃にもなりうる』っていうあれですね。シロさん、そんなリスクの高いものをいきなりかけないでもらっていいですか?
「お目覚めでしょうか?お嬢様。」
声が聞こえたようで書架の部屋からグレースが姿を現した。
手にはお茶の入ったカップとポットを持っている。
「おはよう、グレース。無事に帰ってこれたんだね。」
「はい。お嬢様にお問い合わせいただいた件も含め御報告がございます。」
時計を確認するとまだアサの六の鐘がなる前。うん大丈夫そうだな。
「それじゃあ、報告してもらっていいかな?」
「かしこまりました。」
体感でおよそ三十分程度。
彼女は有能な調査員でもあったようだ。『侍女ならこの程度余裕ですわ』とドヤ顔されたんだが、その台詞が出てくる時点で侍女としてどうかということに気付こうな、グレース。やる気一杯の彼女を放っておくわけにもいかず、そこからシロも交え一人+二体で、ちょっとした作戦会議になった。
「…じゃあこの事をオリビアさんと主様に伝えてもらえる?」
「かしこまりました。併せて業務終了後、主様にお会い出来るかについても確認して参ります。」
「うん、お願いね。」
優雅に一礼し瞬く間に転移していったグレースを見送ってから身支度を整える。
制服、再来週から秋物になるんだって。
オリビアさんのお店は魔紋布を商品として扱う関係で、毎回ではないけれど季節の変わり目等に新しい機能を追加した生地で作った制服が支給されるのだそうだ。主な取引先となる貴族の女性向けに魔紋布をアピールするため、私達が着る服は比較的女性らしいデザインが多い。
『エマちゃんは…腰のクビレ以外は今までと同じサイズで大丈夫だね!』と確認に来たサリィちゃんに言われた。クビレが無くなったということだろうか。…今日の朝御飯はお粥にしておこう。
身支度を済ませたところで、グレースが戻ってくる。
「お待たせいたしました。主様より御伝言をお預かりしております。『好きなようにしろ』とのことでした。またオリビア様からは本日の仕事の内容は副店長様から確認して欲しいとのことです。」
「わかりました。ありがとう、グレース。」
それじゃあ出勤しようとシロを抱え立ち上がったところで。
グレースが遠慮がちに聞いてくる。
「お嬢様。本日は私もご一緒してもよろしいのでしょうか?」
確かに昨日の今日だしね。心配するのもわかるけど。
「大丈夫だよ。ダンジョンにはオリビアさん達がいるから何かあれば連絡してくると思う。」
「わかりました。それではよろしくお願いします。」
「こちらこそ。光合成中は勝手に出歩いちゃだめだからね。」
「…はい。」
コラ視線を逸らすな、こっちを向いて返事なさい!
グレースに許可無く精霊体にならない出歩かない等の約束をさせたところで、ダンジョンの入り口まで転移してもらい、そこから先は書籍化したグレースを私が運ぶ。
台所の日当たりがいいところにグレースを置いたところで、入り口に人の気配が。
「おはようございます!」
「おはよう!エマちゃん。今日も元気だね。」
サリィちゃんが花を抱えて台所にやってくる。
「そのお花は?」
「商店街の花屋さんに貰ったの。売れ残ってしまったんですって。」
「なんか元気のないお花だね。」
なんていうか栄養の足りない状態で無理矢理咲かせたようなそんな弱々しさがある。
「大輪の花を咲かせる事で有名だった産地が、こういう状態でしか出荷できないみたいだよ。今じゃ領地全体の作物が壊滅状態なんだって。食べ物も育たないし領民が飢えるのも時間の問題みたい。」
痛ましそうな表情をするサリィちゃんの言葉に引っ掛かるものがあった。
「それってもしかして。」
「ブレストタリア聖国の『ソル』という領地だよ。」
寝過ごして投稿遅くなりました。
久々に投稿済の話を読み返してみたら、あるはあるわ誤字脱字。
本当にすみません…。
今後すこしずつ訂正していきますのでご了承ください。




