テオ・フライドチキン
神鳥《天穿つガルーダ》を倒してから、一か月が経った。王国中を騒がせた討伐の話は今もあちこちで聞くけれど、僕の日常はもうほとんど元に戻っている。
「テオさん、定番あと四十です! 次の仕込み、十分後に上がります!」
「分かりました、リリカさん! こっちももうすぐ揚がります!」
本店の厨房には、朝から油の弾ける音が響き続けていた。店の外には今日も長い列ができ、朝一番にエルナーさんの飼育場から届いた鳥も、すごい勢いで減っていく。
忙しい時間には《おすそわけ》も使うようになった。僕から祝福を受け取った料理人が途中を引き継いでも、《特製》の祝福は以前より強く保たれるようになり、おかげで僕がずっと一つの厨房へ張りついている必要もなくなった。
もちろん、《極み》だけは別だ。あれだけは今まで通り、僕自身が狩りから最後まで関わらないと作れない。
「テオ! 《極み》あるか!」
聞き慣れた大声が店内へ響いた。
「朝からそれ聞きます?」
「朝だから腹減ってんだよ!」
「来る途中で肉串食べてたでしょう」
「ヴィオラ! なんで言うんだよ!」
振り返ると、《暁の牙》の五人が揃って入ってきていた。祝福が一段上へ進んでも、この五人がフライドチキンを食べに来る頻度だけは何も変わっていない。
「今日は《極み》ありませんよ」
「なんでだ!」
「毎日あるものじゃないって何年言わせるんですか」
「じゃあ特製! 六人前!」
「私たちは勝手に数へ入れないでくれる?」
ヴィオラさんが呆れたように言う横で、レオンさんはもう空いている席を探している。ドーガさんとセシルさんまで普通に座ろうとしていて、結局食べる気なのは全員同じらしい。
「依頼はもう終わったんですか?」
「ああ。朝一で片づいた」
「早すぎません?」
「最近は特にな」
レオンさんがグレンさんを見る。
「こいつが前より加減しなくなった」
「だって体がついてくるようになったんだから仕方ねえだろ!」
「建物まで斬らないでくださいよ」
「斬ってねえ!」
「テオさん!」
厨房からリリカさんの声が飛んできた。
「話してる場合じゃありません! 定番、次どんどん入れてください!」
「はい!」
「俺たちの特製もな!」
「グレンさんは並んでください!」
店内から笑い声が上がる。僕はそのまま厨房へ戻り、また油の前に立った。
◇
昼を過ぎても客足は途切れなかった。町の支店も似たようなものらしく、コレットから届いた連絡には『こっちも今日中に売り切れそうです!』と書いてあった。
本店の方も夕方を待たずに定番がなくなり、特製も残りわずかになった。そんな頃、裏口から勢いよく扉が開く。
「テオー! いる?」
「いるよ、キアラ」
大きな箱を抱えたキアラが入ってきた。箱の側面には見覚えのある冷却用の魔法陣が刻まれているけれど、前に使っていたものよりかなり薄く、小さくなっている。
「できたよ、新型! 前のより軽いし、容量も増やした。魔力が切れても半日は低温を保てるから、遠征に持ってくならこっちの方が絶対いい」
「もう完成したの? この前相談したばかりじゃなかった?」
「テオが使うって言ったから優先したの。マジで大変だったんだからね」
そう言いながらも、キアラはかなり満足そうだ。箱を開けると内部はしっかり冷えていて、これなら長い移動でも肉の状態をかなり保てそうだった。
「すごいな。ありがとう、キアラ」
「……まあ、あたしだし?」
「そこは否定しないんだ」
「しないし。実際すごいじゃん?」
キアラが笑う。そこへリリカさんがやってきて、箱と納品書を確認し始めた。
「キアラさん、ありがとうございます。こちらで受け取っておきますね」
「お願い。細かい使い方はテオに説明しとくから」
「分かりました。では私は戻りますね。テオさんも、あまり長く油を放っておかないでくださいよ」
「分かってます!」
リリカさんが厨房へ戻る。
納品は終わった。
それなのに、キアラは帰らなかった。
冷却箱を見る。厨房を見る。僕を見る。それから何でもない顔をして、また冷却箱の留め具を触っている。
「キアラ」
「ん?」
「今度の休み、空いてる?」
ぴたりと手が止まった。
「……なに、急に」
「急じゃないよ。前に言ってたでしょう。帰ってきたら、次は僕が誘う番だって」
キアラがゆっくりこちらを向く。
「覚えてたんだ」
「もちろん」
忘れるわけがない。ガルーダを狩りに行く直前に言われた言葉だったし、意味だってちゃんと分かっていた。
「それで、その……今度の休み、二人で出かけない?」
「……遅いんだけど」
「ごめん」
「帰ってきたらすぐ誘うのかと思ってた」
「本当はもっと早く言いたかったんだけど、討伐の報告とか祝福のこととか、《おすそわけ》の検証とかで……」
「言い訳長い」
「はい……」
キアラが少し頬を膨らませた。でも、すぐにその顔が緩む。
「で、どこ連れてってくれるの?」
「そこまではまだ決めてない。キアラが行きたいところも聞こうと思ってたんだけど」
「ダメ。今回はテオが誘う番なんだから、テオが決めてよ」
「……分かった。ちゃんと考える」
「二人だからね」
キアラが念を押す。
「分かってるよ」
少しだけ緊張したけれど、今度は目を逸らさなかった。
「僕も、キアラと二人で行きたいから」
「……っ」
キアラの顔が一気に赤くなった。
「な、なに急にそういうこと普通に言ってんの!?」
「いや、キアラが確認するから」
「確認したけど! そういう返し来ると思ってないじゃん!」
さっきまで僕を急かしていたのに、今度はキアラの方が目を合わせなくなった。しばらく冷却箱の蓋を意味もなく開け閉めしてから、ようやく小さくこちらを見る。
「……楽しみにしてるから」
「うん」
「絶対だからね」
「分かってる」
キアラは満足したのか、今度こそ裏口へ向かう。
「じゃ、あたし戻る! その箱、ちゃんと使ってよね!」
「ありがとう。また連絡する」
「うん!」
勢いよく扉が閉まった。
少しして、厨房の方からリリカさんが顔だけ出す。
「テオさん」
「……聞いてました?」
「何のことでしょう?」
笑っている。
「絶対聞いてたじゃないですか!」
「さあ、忙しいので戻りますね!」
逃げるように引っ込んでいった。
◇
夕方になるころには、今日の定番も特製もほとんど売り切れていた。最後の客を見送ったリリカさんが帳簿を確認し、満足そうに頷く。
「今日もほぼ完売ですね。町の支店も、さっきコレットさんから売り切れたと連絡が来ました」
「そっちもですか」
「はい。明日は少し仕込みを増やしてもよさそうですね」
「ほどほどにしてくださいよ」
「分かってます!」
たぶん分かっていない。
僕は最後の鍋を見ながら、残っている注文を仕上げていく。油の音と肉の香り、店内から聞こえる話し声は、いつの間にか僕にとって当たり前のものになっていた。
「すみません!」
入口から声がした。
振り返ると、若い冒険者が一人、息を切らしながら店へ入ってくる。
「まだ間に合いますか?」
「はい。少しなら」
「よかった……!」
冒険者はほっと息を吐き、壁のメニューへ目を向けた。少し迷ったあと、期待するようにこちらを見る。
「あの、聞くだけ聞いてみたいんですけど……今日、《極み》ってありますか?」
厨房の奥を見る。今朝、僕自身で仕留め、血を抜き、羽を外して下処理まで済ませた鳥が一羽だけ残っていた。油もまだ熱い。
僕は客へ向き直った。
「はい。ありますよ」




