第十四話 琥珀の決断
センリ・ハーコートは、指先で摘まみ上げたそのカードを汚物でも見るような目で見つめていた。
「……あー、やだやだ。悪趣味極まりない」
厚手の上質紙には、これみよがしに金箔が施されている。
中央に踊るのは、気取った筆記体のサイン――『怪盗アウレウス』。
そして、その下には簡潔な犯行予告が記されていた。
『今宵、貴殿が不当に隠匿せし秘宝、アーティファクト〈雷神の涙〉を頂戴しに参上する』
センリは深い溜息をつき、そのカードをテーブルに放り出した。
「今時、予告状だってさ。メール一本送れば済む話をわざわざ紙に書いて、香水まで振りかけてくるんだから。資源の無駄遣いだよ」
「……いい匂いがする」
隣でアレクセイが、カードをクンクンと嗅いでいる。
センリは頭を抱えた。
「アレクセイ、毒かもしれないから止めなさい。……はぁ、アウレウスだぞ、アウレウス。知ってるか?」
「知らない」
「だろうね。……時代錯誤なマントを翻し、黄金の仮面を被って夜空を舞う、頭の痛いコスプレ野郎さ」
怪盗アウレウス。
近年、SNSやタブロイド紙を賑わせている大泥棒だ。
狙うのは決まって、危険なアーティファクトや、闇ルートで取引される美術品のみ。しかもターゲットになるのは、法の手から逃れている悪徳商人や汚職政治家だ。
おかげで世間からは現代の義賊なんて持て囃されている。取り締まる側からすれば、これほど迷惑な存在はない。
「警察も組織も出し抜いて、華麗に盗んで去っていく。大衆はそういうドラマが好きだからね。……だが、俺たちにとっては残業確定の合図でしかない」
センリは不機嫌そうに、クライアントの資料――悪徳貿易商ウィンダムの顔写真を指先で弾いた。
「今回のターゲットも、脛に傷ありの貿易商だ。盗まれる方も盗む方も、どっちも捕まえてやりたいところだけど……仕事は仕事」
「ふん。泥棒の警備とはな」
ウルリカが愛剣の手入れをしながら、鼻を鳴らした。
「気に入らん。正義の味方ごっこをするなら、コソコソ盗まずに正面から叩き斬ればいい」
「それができたら苦労はないよ。……行くぞ。今夜は長い夜になりそうだ」
センリはけだるげに立ち上がり、ジャケットを羽織った。
その背中には、家に帰って寝たいという切実な願望が張り付いていた。
***
その夜、悪徳貿易商ウィンダムの豪邸は、異様な緊張感に包まれていた。
「……臭うよ。生きているのに、死んでいるみたいだ」
アレクセイが不快そうに呟いた。
豪奢なエントランスホール。壁際に直立不動で並んでいるのは、黒いスーツにサングラスをかけた警備員たちだ。彼らは呼吸こそしていたが、それ以外は微動だにしない。人間特有の気配の揺らぎが一切なかった。
「この間のパーティーで会った、あのお爺さんとおんなじ。……中身が空っぽだ」
「気味は悪いが、今は都合がいいさ」
センリは時計を確認しながら小声で囁いた。
「余計な口を利かない警備員なら、俺たちが裏で動いてもバレないからな」
今回の任務は、怪盗アウレウスから予告された第二種アーティファクト『雷神の涙』の護衛だ。厳重に封印されたケースの中で、物悲しげに輝いている金色の宝石。一度起動すれば無制限に雷を呼ぶ、危険なものだ。
だが、センリの真の狙いは別にあった。ウィンダムが裏で違法なアーティファクト密売に関わっている証拠――「裏帳簿」の押収である。怪盗騒ぎのドサクサに紛れて、それを頂戴する手筈だった。
「いいか、アレクセイ。君へのオーダーは待機だ。ただ掃除や照明係くらいならやってもいい。……絶対に、人に怪我をさせたり屋敷を壊したりするなよ。依頼不履行でこっちが訴えられる」
それはセンリなりの安全策だった。不気味な警備員たちを刺激せず、任務を遂行するための。
「分かった」
アレクセイが返事をした、その時だった。
バシュッ! という破裂音と共に、ホール全体が白い煙に包まれた。
停電。そして、シャンデリアの上にスポットライトが当たる。
「やあやあお集まりの皆々様! 今宵も怪盗アウレウスのマジックショーを始めよう!」
マントを羽織り黄金のハーフマスクを身に着けた怪盗アウレウスが、高らかに笑っていた。
ウィンダムが怒声を上げる。
「出たな泥棒め! やれ! 殺してでも止めろ!」
警備員たちが一斉に銃を抜く。
センリはウルリカに目配せをした。
「俺は今のうちに執務室のリストを確保してくる」
「おい、一人で行くのか?」
「適材適所だ。二人はホールを封鎖して、あの気味の悪い兵隊たちがこっちに来ないよう見張っててくれ!」
センリは煙幕に紛れ、警備の手薄になった廊下へと姿を消した。
残されたのは、ウルリカとアレクセイ。そして、天井の怪盗を見上げてパニックに陥ったウィンダムだけだった。
「くそっ、ちょこまかと! 役立たずどもめ!」
アウレウスはマントを華麗に操り、銃弾をひらひらと躱しながら『雷神の涙』へと近づいていく。
業を煮やしたウィンダムが、懐から奇妙なリモコンを取り出した。その目は血走り、正気の色を失っている。
「あいつを殺せ! ――起動!」
「おい待て!」
ウルリカが制止するより早く、スイッチが押された。
瞬間。
直立していた警備員たちの体が、バキバキと異様な音を立てて痙攣し始めた。
「ガ、アアアアッ!」
異常発達した筋肉が風船のように膨張し、首筋には青黒い血管が浮き上がった。サングラスが弾け飛び、白目を剥いた虚ろな眼球が露わになる。
それはもう人間ではなかった。理性を遮断され、殺戮衝動だけをインストールされた肉の機械だった。
「……ひっ」
アレクセイが息を飲む。湧き上がるのは恐怖。そして、強烈な嫌悪感。人の精神を書き換える……かつてアレクセイが犯した、罪。自己嫌悪が胸を締め付け、アレクセイの呼吸が乱れる。
同時に、強烈なノイズが走った。アウレウスが雷神の涙に手をかけ、逃走用のジャミング装置を作動させたのだ。
「センリ! おい、応答しろ! 状況が変わった!」
ウルリカがインカムに向かって叫ぶが、返ってくるのは砂嵐の音だけだ。
強化された兵士たちが、最も近くにいる生体反応――ウルリカたちへとターゲットを定めた。
「来るぞ!」
大きな音を立てて床を蹴り、丸太のような腕がウルリカに振り下ろされる。
彼女は大剣で受け止めるが、その衝撃に足が床を削った。
(重い……!)
膂力だけなら大型の熊以上だ。ウルリカが返し技で兵士の腕を斬り飛ばしても、彼らは顔色一つ変えず血を噴き出しながら頭突きを繰り出してくる。……この兵士達には、痛覚がないのだ。
「アレクセイ! 援護しろ!」
「……分かった!」
アレクセイがウルリカの言葉に反応し、床の摩擦係数を極限までゼロに近付ける。掃除用の魔法の応用だ。ウルリカに近付いた兵士がツルリと足を滑らせ、派手に転倒した。
すかさず追撃の魔法を放つ。今度は洗濯魔法の応用。アレクセイの膨大な魔力で行われる乾燥と糊付けは、スーツをまたたく間に拘束具へと変えた。関節が固まり、彼らは動きを止める。
「これなら……!」
アレクセイが任務の成功を確信した、その直後だった。ビリリ、と不吉な音が響く。
兵士たちが更に筋肉を膨張させ、硬化したスーツを内側から無理やり引き裂いたのだ。
「第三種じゃ出力が足りないのか……!」
「なら攻撃魔法を使え! 吹き飛ばせ!」
「許可がない!」
アレクセイは悲鳴を上げた。
「通信が繋がらない! 魂の制約は絶対なんだ……!」
許可がない限り、人に直接干渉する魔法は使わない。それが、アレクセイが己に課した制約だ。人として生きるために必要な首輪だ。しかし今は、その枷がアレクセイを追い詰める。
「くっ……!」
飛びかかってきた兵士の一撃を、ウルリカが体で割り込んで受け止めた。
鈍い音とともに彼女の体が壁に叩きつけられる。
「ウルリカ!」
「……情けない顔を、するな」
ウルリカは口元の血を乱暴に拭い、剣を杖にして立ち上がった。
その瞳は、恐怖に震えるアレクセイを射抜いていた。
そこにいるのは狂った魔術師ではない。自分の罪と力に怯える、ただの臆病な青年だ。
「私が死ぬのが怖いか? また誰かを壊すのが怖いか?」
「怖い。ウルリカがいなくなったら、僕は……」
「なら、腹を括れ」
ウルリカは大剣を構え直し、群がる強化兵たちを睨みつけた。
かつて、自分を支配しようとした憎むべき魔法。けれど今、その力を解き放ち、制御できるのは自分しかいない。
センリはいない。ならば、自分がその手綱を握るだけだ。
「顔を上げろ、アレクセイ! 私はお前を信じない! お前のことを許していない!」
彼女は右手を掲げた。甲に刻まれた天秤の紋章が、彼女の決意に応えるように熱を帯びる。
「だがな! ……お前が道を外れたら、私が必ず斬ってやる。それだけは信じろ!」
紋章が、鮮烈な琥珀色に輝いた。
「承認コード『リブラ』! ――限定解除、第二種! アレクセイ、その鎖を私が解く!」
ウルリカが吼える。
「なぎ払え!!」
瞬間。
アレクセイの瞳から、怯えの色が消えた。
代わりに宿ったのは、澄み渡るような翠緑の理知。
「……信じるよ、ウルリカ」
彼は両手を掲げた。放たれるのは、無秩序な破壊の嵐ではない。
魔力が精密に編み上げられ、ウルリカとアレクセイを中心とした座標に固定される。
「吹き飛べ」
水平方向に展開された重力の津波が、ホールを駆け抜けた。
ウルリカには指一本触れさせない。彼女の髪すら揺らさない完璧な制御。
だが、迫りくる強化兵たちだけが、見えない巨大な手で弾かれたように吹き飛んだ。彼らはボールのように宙を舞い、アレクセイが作り上げた不可視の壁に激突する。そて、骨の砕ける音と共に沈黙した。
静寂が戻る。
屋敷の柱一本傷つけず、敵だけを無力化した魔術の余韻が、空気中に漂っていた。
「……ふぅ」
アレクセイが両手を下ろすと、翠緑の光が消える。
へたり込んだ彼の前に、ウルリカが立った。
「……悪い、遅れた」
そこへ、屋敷の奥からセンリが戻ってきた。手には一冊の黒いファイル――目的の顧客リストがあるが、少し焦った様子だ。
「アウレウスには逃げられたみたいだな。……って、こっちは随分派手になってるし」
壁際でピクピクと痙攣する強化兵の山を見て、センリは目を丸くした。
アレクセイがおずおずと、ウルリカを見上げる。
「……ありがとう、ウルリカ」
「ふん」
ウルリカは鼻を鳴らし、乱暴な手つきでアレクセイの頭をバシッと叩いた。
「いい制御だったぞ。……まあ、及第点だ」
「痛いよ……」
アレクセイが痛がりながらも嬉しそうに笑う。
センリは二人の空気を見て、安堵のため息をつき、倒れている強化兵の一人に近づいた。
「さて、この気味の悪い兵隊の出所だが……」
センリが兵士の首筋を調べると、そこには小さなバーコードと、とある企業ロゴが刻印されていた。
『PROMETHEUS・TECH』
「……なるほど」
センリの声が低くなる。
あのパーティー会場にいた空っぽの老人。そして今回の空っぽの兵士たち。
点と点が繋がっていく。
「技術の火を盗んだのは誰だ、ってね。……どうやら、根は想像以上に深そうだ」
窓の外では雷神の涙を盗んだ怪盗が駆けていく。晴れ渡った夜空に、遠い雷鳴が響いていた。




