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ブラッディー・ムーン ~最凶の悪役令嬢、かぐや姫に転生する~  作者: しんいち
弐ノ章③

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月下の獣 終演

 若様は、玄斎に止めを刺した直後、堰を切ったように嗚咽を漏らし、その場に崩れ落ちた。

 

 力を失った身体を、鬼一がすぐに支え、強く肩を抱き寄せる。何も言わず、ただ抱き締めることで、若様をこの場につなぎ留めているようだった。

 

 私は、その光景を黙って見つめていた。

 胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。

 目の奥が、妙に熱く、むず痒い。

 

 ――こんな感覚、知らない。

 

 ゲームの世界にいた頃、命は数値で、死はリセットだった。

 そこに後悔も、重みも、痛みも存在しなかった。

 

 けれど今、確かにそれはあった。

 

 玄斎は、放っておいても間もなく死んだはずだ。

 若様が止めを刺す理由は、理屈だけで言えば、どこにもなかった。

 

 それでも――

 

 横たわる玄斎の顔は、驚くほど安らかだった。

 ほんのわずか、微笑んでいるようにさえ見える。

 その死に顔を前にして、私の心の中では、理解できない感情が渦を巻いていた。

 

 これが……武士というもの?

 これが……人間というもの?

 

 答えは、まだ遠い。

 

 その時、鬼一が静かに立ち上がり、玄斎の胸から刀を抜いた。

 血を拭うこともなく、彼は無言のまま、その刀を私に差し出す。

 

 言葉はない。

 

 視線だけが、後方――獣のように叫び続ける真白へと向けられていた。

 意味は、すぐに分かった。

 私は刀を受け取ると、ゆっくりと真白の元へ歩き出した。

 

 影縫いによって木に縛り付けられていた真白は、麻痺が解け、喉を裂くような声を上げながら、必死に胸元の刃を引き抜こうともがいていた。

 

 その身体は、半分ほど人の姿へと戻りかけている。

 驚異的な回復力を持つ彼女でも、心臓を貫かれたままでは限界なのだろう。

 

 ――このままでも、いずれ死ぬ。

 

 それでも私は、足を止めなかった。

 刀を構えると、真白の血走った視線が、私を射抜く。

 

「その絶望の目……

 私にとって、最も甘美なブラッド……

 

 吐き捨てるようなその言葉に、私は静かに答えた。

 

「真白さん……もう、終わりにしましょう。」

 

 迷いはなかった。

 私は一歩踏み込み、刀を振り抜き……

 真白の首をはねた。

 

 次の瞬間、叫び声は途切れ、森に重い静寂が落ちた。

 

 それは復讐でも、憐れみでもない。

 ただ、終わらせるための一太刀だった。

 私は刀を下ろし、深く息を吐く。

 

 胸の奥に残るこの感情に、まだ名前は付けられない。

 けれど――確かに私は今、人の命を背負ったのだと、そう感じていた。


 私は、木に深々と突き立てられた自分の刀にそっと手を伸ばした。

 刃に残る血の気配を感じ取り、血の魔法を解除する。

 拘束を失った刃は、抵抗なく抜けた。

 

 その瞬間――

 

 首を失った真白の身体が、重たい音を立てて地に崩れ落ちた。

 

 私はその亡骸を抱き起こし、静かに玄斎の傍らへと横たえる。

 二つの身体が、月明かりの下で並んだ。

 それから鬼一へと視線を向け、問いかける。

 

「……二人を、どうなさいますか?」

 

 鬼一は、まだ若様の肩を抱いたまま、しばし黙していた。

 やがて静かに、しかし迷いのない声で答える。

 

「弔ってやろう。

 ここから近い場所に、静かな場所がある。

 そこに二人を埋めてやる。」

 

 そして、短く言い添えた。

 

「二人とも……手伝ってくれ。」

 

 若様は袖で溢れる涙を拭い、何も言わずに頷いた。

 私もまた、同じように言葉なく頷いた。

 

 こうして――

 郷を騒がせた『謎の化け物騒動』は、月光が淡く照らす静寂の中、ひっそりと幕を閉じた。


 

 

 ――後日。

 

「痛い、痛い、いてぇって……!

 だから言ってるだろ、かぐや。そっと、そーーっとだ!」

 

 情けない悲鳴を上げる鬼一を前に、私は呆れた溜息をついた。

 

 彼の怪我は、決して軽いものではなかった。

 玄斎の一撃を真正面から肩で受け止めたのだ。

 刃は深く肉を裂き、傷は骨にまで達している。

 

「情けないですわね。

 骨まで斬られてはいないのですから、その程度の傷、すぐに治りますわ。」

 

 私はそう言いながら、鬼一の肩に巻かれた晒しを解き、新しいものへと替えていく。

 その合間に、誰にも気付かれぬよう、そっと治癒の魔法を重ねた。

 

 化膿の兆しはない。

 三日もすれば、傷は自然と塞がるだろう。

 

「本当に大変だったのね……」

 

 あずみが、痛々しそうに鬼一の肩を見つめながら言った。

 

「先生が、こんな大怪我をするなんて。

 やっぱり……妖怪だったの?」

 

「ああ、とんでもねぇヤツだった。」

 

 鬼一は苦笑しながら大袈裟に答える。

 

「犬みたいな面してやがるのに、身体は熊みてぇにでかくてな。

 ありゃもう怪物だ。なあ、かぐや!」

 

「はい」

 

 私は即座に頷いた。

 

「あんな犬ごときにやられるなど、鬼一様も、まだまだ修行が足りませんわね。」

 

「おい、そこはもう少し労わってくれてもいいだろ……」

 

 鬼一のぼやきを背に、私は晒しをきっちりと結び終えた。

 

 あきこと、あずみには――

 

 玄斎と真白の真実は話していない。

 検非違使にも、事件は妖怪によるもので、すでに討伐されたとだけ伝えてある。

 真実は、闇の中に置いておくべきものもある。


「それにしても……」

 

 ふと、あきこが声を落とした。

 

「急だったわね。

 真白ちゃんも、玄斎先生も……昨日の夜に、何も言わず郷を離れるなんて……」

 

 そう言って、彼女は寂しそうに視線を伏せた。

 

「仕方ねぇだろう」

 

 鬼一は軽く肩をすくめ、もっともらしい調子で言った。

 

「真白の目を診てくれる医者が相模にいるって話が舞い込んできてな。

 いつまでそこにいるか分からねぇってんで、急ぐことになっちまったんだ。

 お前たちには、本当にすまねぇって言ってたよ。」

 

 それは、用意された嘘だった。

 だが、必要な嘘でもあった。

 私は何も言わず、その場に黙していた。

 

「それでよね……」

 

 あきこは部屋の奥へと視線を向け、小さく呟く。

 

「若様、とても寂しそうな顔をしていたの。

 玄斎様に一番、気に入られていたし……」

 

 若様は、この場にはいなかった。

 今も部屋に籠もったまま、誰とも顔を合わせていない。

 身体の傷は大したものではない。

 昨日のうちに治癒の魔法も施してある。

 

 けれど――

 

 心に刻まれた傷までは、私の魔法では癒せない。

 それを乗り越えるのは、本人しかいないのだ。

 心配そうなあきこに、私は軽く微笑みながら言った。

 

「それほどご心配なら、あきこが慰めて差し上げればよろしいのでは?

 お二人は、お付き合いされているのでしょう?」

 

「だ、だから違うってば、かぐやちゃん……もう……」

 

 みるみるうちに、あきこの顔が赤く染まっていく。

 

「えっ? なにそれ?

 お付き合いってどういう意味なの?」

 

 今度はあずみが、目を輝かせて食いついてきた。

 

「なんだなんだ? どういうことだよ。」

 

 鬼一までが前のめりになり、あきこと私を交互に見やる。

 

「お二人とも、よく聞いてください。

 あきこと若様は――」

 

「ちょ、ちょっと待って!

 待ってよ、かぐやちゃん!」

 

 必死に制止するあきこをよそに、私は楽しげに説明を続けていた。

 騒がしく、他愛のないやり取り。

 そんな、いつもと変わらぬ日常が、少しずつ戻りつつあった。

 

 玄斎と真白に、立派な墓はない。

 

 ただ――

 

 郷外れの静かな場所に、鬼一が掘った、どこか不格好な地蔵がひとつ立っているだけだ。

 その下で二人は、今も並んで眠っている。

 

 月の光に照らされながら、

 もう、誰にも知られることなく。

 ――それでいいのだと、私は思っている。  


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