頼もしい修道院
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「虹色油の取引にこの子を」
「それは約定に無い……」
「ならば……」
耳の中に入った水がジワリと染み出す音と共に、誰かの声が聞こえる。
喉の痛みで意識が朦朧としている。だが、少しずつ段々と気力が浮上してきた。
此処は、何処だろう。
目を開けようとすると開きにくい。
少し潮の匂いがする濁った水が粘りつき、フリックの視野を狭めている。酷く寒気がした。
寝かされているのは、何かの植物を編んだらしい敷物……と言うには程遠い何か。
制服が破れたのだろうか。頭痛と擦り傷の痛みと方々から固い繊維がチクチクと刺さる不快感に、フリックは呻きそうになる声を必死で押し殺した。
「古生獣人なら、虹色油……浸け」
「そんな、話が違う!それだ……」
話を聞きたいのに頭痛が邪魔をするし、視界が歪む。
その端に羽の付いた馬の小さな刺繍の靴を捉え……フリックの意識が抵抗する間も無く段々と沈んで行く。
馬と言えばリオネス家と聞いたが……彼らはユニコーンとバイコーンの血筋らしいから違うだろう。
羽の付いた馬……ペガサスは、シャーゴンの住人なのだろうか。
だが、シャーゴンの正式な住人は……多かれ少なかれ、虹色油を得られる筈。と言うことは、他国人か。
まさか、シュラヴィを拐ったのは……かつて、彼女を虐げた隣国の公爵……名前は、何だったか。幻獣人である筈の、公爵……。
うっすらと彼女に喚かれた初対面が脳裏に浮かび……フリックは意識を失った。
「……コレッタ嬢はどちらに居られるのかしら。
あの陰険残念馬兄弟に係うよりも、フリックの事をお伝えしないといけなかったわ……。抜けてたわね……申し訳無いわ……。シスターアルベリーヌは修道院におられるでしょうけれど」
ミューンは動揺しすぎて、フリックの唯一と言って良い身内と修道女アルベリーヌに連絡を取るのをスッカリ忘れていた。
「コレッタ嬢は修道院にお出でで御座います、お嬢様……」
フリックによく似た彼女の悲しむ顔を想像して、急にミューンはダブルで気が重くなってきた。だが、彼女が説明しなければ他に適役は居ない。押し付ける相手も思い浮かばない。
先程ジュランから……彼にしては実用的アイデアをブン捕った高揚感は一気に萎んでしまった。
「辛い、辛すぎるわ……!!何て事なの本当にもう!!誘拐犯には目に物をみせてやらなきゃね……。急いで頂戴!!」
「はっ!」
スピード違反ギリギリの速度で、侯爵家の馬車は修道院への道を爆走するのだった。
「あー、フリックにーちゃんのコンヤクシャー!今日はー」
「こん!にひわー!」
「こんに、ちはじゃないのー?」
「おかしはー?」
「このごろクラッカーがすきー」
馬車を修道院裏の馬車停に止めた途端、ワラワラと子供達が飛んだり跳ねたり走ったりして寄ってくる。
その後ろからゆっくりと修道女アルベリーヌが相変わらず動じない姿勢でやってきた。
「……今日は、皆お元気?」
「げんきー」
「きー」
「バチバチー」
「ばしゃばしゃー」
子供達は無邪気に止まった馬車をペタペタ触りはじめている。羽の有る子供は上に乗ってしまっている。
「こ、こら!ジノー!失礼でしょう!馬車の上に乗っちゃいけません!皆もお手々を洗って!汚さないの!!」
「きゃー!コレッタねーちゃんきゃー!」
エプロンワンピースを着た可憐な剣歯虎の女性が子供達を遠ざけようとワタワタと走ってきた。
子供達を追いかける彼と同じ若草色の耳と髪が、煌めく薄緑の瞳がミューンの心に、ぐっさりと突き刺さる。そして、彼女らを見守る親代わりの修道女アルベリーヌも。
何処に居るのか。怪我はしていないのか。未だ何も分からなくて……不安で仕方がなかった。
ヌメドー家の番探しに来たのに。コレッタや修道女アルベリーヌに心配を掛けるつもりではないのに。
弱音を吐くつもりは無くって、何時もの通り強気に物事を運ぼうと、したつもりだったのに。
「あ……」
フリックとよく似たコレッタの姿を見て、修道女アルベリーヌを見て……子供達を見て。言おうと思っていた事が全て弾け飛んでしまったミューンは……知らぬ間に涙を流していた。
「……う……うっ!」
「お嬢様!?」
「ミューン様!?も、申し訳有りません!!子供達が……」
「ちが、違うの……!!うう、うう……」
「泣いてらっしゃるのですか……?」
慌てて駆け寄ったコレッタが、ミューンの涙に気付き……持っていたハンカチでオズオズと頬を拭ってくれた。
「ご免なさい、ご免なさい……コレッタ嬢……」
「一体、何が……」
「え……どーしたの!?」
「かなしーの!?」
「やだやだ……なんか、タカワライはー?ホホホはー?」
「……非常事態のようですね」
修道女アルベリーヌが、ただならぬミューンに思うところが有るのか、珍しく何時もより表情が険しい。
「コレッタ、ミューン嬢。此方へ来なさい。愛し子達は談話室で少しお静かにしてください」
「シスター……」
「……事情をお伺いしましょう」
修道女アルベリーヌはやや強引に、ミューンとコレッタの腕を掴み、院長室へ引き込む。
そして、嗚咽し始めたミューンを宥め、言葉を引き出し……頷いた。
「……そうですか、フリックが」
「ご免なさい、コレッタ嬢。ご免なさい、シスターアルベリーヌ。私、貴女方のご家族を……」
「お待ちなさい。貴女が謝る必要は有りません。暴漢が全て悪いのです」
「そうですよ、ミューン様……」
「でも……ですけれど!」
「貴女の事だから次の手は打っているのでしょう?此方に来られたのも、謝罪の為だけでは有りませんね?」
「……今となっては、ご協力して頂けるのか烏滸がましい策ですけれど」
「構いません!!弟の事が無くてもお世話に報いたいんです!何でも仰ってください!」
「ええ、金銭の絡まない事であれば大抵の難事如き、尽力を惜しみません」
真剣なコレッタに、またフリックが被さって見えてミューンの涙腺が緩む。
言い難い。ジュランに乗せられたとは言え……滅茶苦茶ゲテモノ系獣人男性の花嫁を探しているなんて、滅茶苦茶良い辛い。
「特殊な場所に捕まったフリックの救出に、魔獣子爵令息が関わってくださいまして」
「まあ!魔獣子爵の御令息が!!弟を助けてくださるんですか!?」
「……その御令息の、御礼に……花嫁を……探しておりますの」
「……それは」
コレッタは息を飲み、薄緑の目を瞬いた。
魔獣子爵をそれなりに知っている彼女でも、反応がやはり宜しくない。どうしよう。
ミューンが焦ったその時、アルベリーヌが口を開いた。
「意外と普通ですね?」
「ええっ!?し、失礼ですが正気ですのシスターアルベリーヌ!!大きくて滑った蛇っぽい最強の魔獣子爵令息ですのよ!?」
捲し立てるミューンに、涼しい顔でアルベリーヌは頷く。
「蛇もどき如きを恐れる者はおりません。愛し子の未来に子爵夫人への斡旋を有難う御座います」
「……え、ええー……?」
「わ、私も候補に上がって良いですか!?お目に止まれるか分かりませんが……」
「えええええ!?」
ミューンの涙はあまりの事に驚きすぎて引っ込んでしまった。
ちょっと時間を置いたせいか不安定になったミューンでした。




