五話 お酒は災いの元
私は、この大陸で過ごす最初の一日、朝日を拝むまでは眠らないと誓っていた。理由は漠然としたもので、そうすることで何か心の中に一本の芯が通る気がしていたのだ。
それまでの暇な時間、私は部屋を貸りた宿の屋根上で、筵の上に座って杯を煽って月見酒と洒落込んでいた。
餞別とは別に蔵から適当にくすねた物だったけど、なかなかに美味しい。
一時の幸福感に浸って、それが無くなると、風呂の狭さに対する不満がまた顔を出した。
思うようにならない自分の心に窮屈な思いがして、それを酒と共に一気に飲み下した。
「ひっく」
……お酒を飲むにはまだ早かったらしい。私は早々に酔いつぶれて、眠ってしまった。
暗い景色の中にいた。
前にも似たような景色を見た気がしたが、似ているだけだった。私が立っている道を挟むように見た目が同じ木造の家が立ち並んでいるのが、すぐ傍の桜並木がまとったぼやけた光によって解った。どこか御伽草子を思わせる美しさだった。
桜色の光は障子越しのような優しい感じがした。故郷が恋しいのか?そう疑問に思っても誰も答えてはくれない。
少し歩こうかと思ったとき、車輪の回る音が聞こえてきた。徐々にこちらに近付いて来るのが解ったので、轢かれないように注意を払いながら道の真ん中で待っていると、人力車がやって来て、私の前で止まった。
驚いた。人力車を引いている人間が黒染めした天蓋で顔を隠していることにではない。あの女が降りてきたことにだ。姿は夢と同じ、ということはこれは夢だということが解った。ということは、眠ってしまったのだ。
まずい、早く起きないと。そう思い焦る私は、腰にぐっと加わった力で夢に引き戻された。
女は私の胸に顔を埋めて、くぐもった声で言った。
「会うのは、三回目?」
一拍だけ、全身の脈が強くなる。それを女に気付かれてはいけないと思ったのと同時、女の腕の力が強くなった。
「会ってないって、嘘言ったでしょ?」
一歩一歩、踏み込むように放たれる言葉に、私の心は同じく一歩一歩、後退していた。夢の中では、私は赤子のようにか弱い存在だとここに来て本能的に理解した。抵抗できない。これが、未知の恐怖と言うやつなのだろうか?
「嘘は言ってないよ。私は夢で会っても、現世では会ってない」
女の手が私の背中を撫でる。人の温もりの強さにクラクラする。
「分かった。おどかしてごめんね、母様。それと」
さようなら。
あの夢の、続きを見たような気がした。
酔いはすっかり覚めたようだ。ついで、目の前の光景を見たら眠気も覚めた。
私は、数人の屍の中心に立って、右手には愛刀を握っている。立ち位置から見て殺したのは私だろう。身に覚えはないが、寝込みを襲われた時、こんなことはしょっちゅうあった。しかし、どんな理由で襲われたのかが解らない。それとも、酔った勢いで斬ったのかとも思ったけど、それはさすがにないだろうと思い直す。
とりあえず、下が騒々しいので飛び降りてみると、周囲がどよめいた。
「ウソだろ、返り血一つ、浴びちゃいねえ……」
「それより上にいた奴ら、まさか全員、殺られたっていうのかよ?」
「落ち着けっ、全員でかかるぞ」
周囲の人間は誰も彼もが大なり小なり武器を持っていて、全員が私を見ている。状況がさっぱり読めない。
「うおおおおぉぉぉ」
注意を喚起する雄叫びを上げて飛び掛ってくる相手に反射的に反応した瞬間を狙って他全員が全方位から攻撃を仕掛けに動くのが解った。中々の錬度と言えるが、如何せん速さが足りない。
心眼のような感覚が相手の動きを捉えた。愛刀を手放し、手を袖の中に入れる。指先にしっかりと嵌まる感触と共に手を袖から抜いて、最初の一歩でまず雄叫びを上げた男の腕の肉を今さっき着けた指輪包丁で削ぎ取り、次の一歩、また次の一歩と同じことを繰り返した。
そうして軽いカンナがけが終わったあとは腕を押さえて咽び泣いたり、地面を転げまわったり、気絶している人間で溢れていたが、命があるだけマシというものだろう。私は地面に刺してしまった愛刀を布で軽く拭いてから、鞘に収め、指輪包丁も隠した。
「トキナッ」
声に振り返るとカイルが顔面蒼白として私を見ていた。そこに貼りついた怖れは見慣れたものだった。
「カイル。状況を説明して」
その一言にカイルはぎこちなく頷くと、深呼吸を一つしたあとに説明を始めた。
「夜遅くに事件があって、君に殺人の容疑がかかったんだ。それで、君を拘束しに向かった人たちが何時まで経っても戻って来ないから、一応増援も呼んで向かってみたら、この有様だよ」
つまり私は、最初の内なら濡れ衣で済んだ問題を、本当に人を殺してしまったことで取り返しが付かない問題にしてしまった訳だ。
少なくとも、屋根上で三人は殺したかもしれない。
申し開きも何も無い。私はおとなしく縛につくことにした。




