十一話 笑いは時として人を殺す
相変わらず、そこは暗かった。
そう思うほどにここに馴染んでいるのか自分でも解らない。ただ、ここは暗いのだ。そして、その中でくっきりと色づいて見える景色はいつも違うもので、今回は蛍のように儚げな光が無数に散りばめられていて、私と女は水面に立っていた。
これがただの夢なのか、それとも現実に関わることなのか判断できない私は思い切って女に尋ねようと思ったが、現実と同じように、ここでも喋ることはできず、それが腹立たしかった。
更に腹立たしいのが、女のくすくすとした笑い声だった。理由もなく斬って捨てたくなる響きを持った声に眉を顰めると、女はどことも解らぬ場所を指差して言った。
「このたくさんの光が何か、母様には分かる?」
首を横に振ると、女は浮かべていた笑みを消して私に告げた。
「これは、母様が奪った命の数だよ。数えてみたら、三千はあったかな?」
三千人を斬って捨てた。それは私も当然知っている。そして、故郷の人間は千人は斬ったということを知っている。それは怪談として語られるなどしていて、人呼んで、殺しの神、殺神と呼ばれていた。もっとも、怪談に使われるところからも察してもらえると思うが、その姿を知る者は、組長以外はいない。だから、大抵の人は御伽噺だと思っているはずだ。
のんびりとした風に人の過去を蒸し返している女は平然としていて、再び顔に笑みを浮かべた。
「お家建てたんだよね?お金にも困らないよね?それでなんで、剣を捨てないの?頼まれたときに魔物を殺すため?それとも他に理由があるから?」
私という心が生まれた時から、私を生かしてきたものは刀だった。たとえ今が満ち足りたものであったとして、仮に刀が不要だと思われることがあっても、私は刀で、刀は私なのだ。刀とは侍の魂だ。決して、捨てはしない。
それよりなにより、名前という一つの本質が同じなのだ。そう、私は『季節名』なのだ。
「ふうん、母様って違う陸の人だもんね」
まるで私の心を読んだかのような言葉だった。何故読めるのか疑問に感じてじっと見ると、女は笑みの質を変えた。
「母様、私に何か訊きたいことがあったら、喉を直してね」
その私は誰なんだと、水の中に沈みながらも私は問いたかった。夢とは思えない苦しみの中で、おぼろげで、得体の知れない女への疑問は深まるばかりだった。
目覚めは最悪だった。柔らかい陽射しにさえ敵意を向けたくなるほどに、私は不機嫌だった。髪は汗で肌に張り付き、寝巻きは生乾きよりも僅かに湿った状態だった。その体にまとわり付くような水気が本当に溺れたのではないかと要らぬ想像を掻き立てて、私はより一層、不機嫌になっていた。とりあえずこの酷い寝汗を風呂で流して着物へと着替える。それから縁側に出て風に当たって涼みながら、髪を乾かしていると、カイルがやって来た。その嬉しそうな顔がやたらと気になった。
「トキナ、少し遠出をしないか?滝に打たれて修行するのもいいけどさ、たまには外に出ないと……えっと、これは建前でさ、ほら、こっちに修行に来てるならアッチェントで行われる天武祭に出場してみない?そこに行けば、腕の良い医者もいるから喉も診てもらえるし……えっと、ダメかな?」
駄目ではないと、そう伝えようとすると、ノイルがやって来た。私は知らずそれを咎めるような目で見てしまう。
「ふえっ、サ、サムライさん?何で睨むんですか?えーと、もしかしてお邪魔でした?」
これに私は首を横に振った。しかし、カイルは首を縦に振って言った。
「お邪魔かな。トキナの機嫌悪くなっちゃったし、もし、断られたらノイルのせいだからな」
「ちょっと、サムライさ〜ん。お願いだから断らないでぇ〜」
縋りつかれた私は、ほとほと困り果てるしかない。この少女を突き放すのはいささか以上に気が引けた。
紙のかさばる音がした方に手を伸ばすと何かを掴んだのが解った。それを目の前に引っ張ってくると封筒があった。
「あ、それサムライさん宛てに来た手紙ですよ。印章からすると教会からですけど、どうにも目的が透けてるんですよね」
ノイルはろくなことじゃないと、そう言っているのがよく解るが、わざわざ便りをくれたのだから、読まないのは失礼だ。開封して中に目を通す。
『 急啓 (時候の挨拶は無かった)季節名様にはますますご清祥のこととお喜び申し上げます。
さて、本日は突然のことで誠に恐縮なのですが、お願いしたいことがありまして、書状をしたためました。
じつは近々行われる決済に、どうしても金貨二十枚が不足しており、困っています。
つきましては、大変恐縮ですが、金貨二十枚を拝借できないでしょうか。
もちろん正式な借用証書は作成いたします。
身内でもない季節名様に甘えるのは筋違いだというのは重々承知のうえですが、日々の生活に追われ、
何の貯えもなく、もう、こうしてお願いすることしかできないのだということをご理解くださり、よろしくご配慮
いただけますようお願いいたします。
どうか、お願いいたします。(まずは、書中にてお願いまで。) 草々 』
異国の言葉で綴られているので少し手間取ったが、内容は大体こんなものだろう。しかし、出来の悪い手紙だ。近々とは何時なんだ。日時をはっきりさせていないので減点。更に、返すあてについて何も書かれていない。いや、書けないのかもしれないが、普通それでは、まずお金は借りれないので減点。それと、かなり厳しい状態かもしれないのにこんなことを思うのはどうかとも思うけど、利子はいくら払うのか書かないといけないと思うので、減点しておくことにした。
「……」
私は多分、憮然とした表情をしていた。ノイルはしたり顔で二度頷くと、もう一通手紙を差し出してきた。急に面倒な気分になった私は、大儀そうにそれを受け取って中に目を通す。思わず、口の端が吊り上ってしまった。
『 トクエイキュウ トキナ ヘトツゲル ワガクニ アッチェントヘトハセサンジ ケンヲオシエヨ 』
私の故郷の言葉で書いたことから、誠意は認めてもいいが、脅迫文にも似た字の下手さに、笑いを堪えた。
「国からの招待状ってそんなに可笑しいですか?サムライさん?」
そんなことはないと首を横に振るが、肩を震わせている私の姿はまるで信用ならないとでも言うようにノイルは口を尖らせるとそっぽを向いて、何か見つけたのか少し口を開けてどこかを見つめている。そこに視線を合わせると、馬車がすぐ傍までやって来ていた。それを見て、私は手紙の続きを読んだ。
『 ムカエノバシャヲ ムカワセタ ソレニ ノッテコイ アッチェント オウツシ 』
「ツ」と「シ」が逆になっているのが可笑しくて、私はお腹を抱えて身を捩った。体の震えが止まらない。これにはさすがに耐えられる自信が無くなりそうだが、それでも私は侍だと自分に言い聞かせて耐えるのだった。
「…ッ…フフフフフ」
鼻から息が抜けて変なことになってきていた。お腹の痛みを逃がすように何度も身を捩っていると、何を思ったのか、カイルとノイルが取り乱して、私を担いで馬車へと放り込んだ。
「はっ、早く病院に向けて出して!! トキナが!! トキナが!! 内臓破裂を起こしたァァァ!!!」
そんなものは起こしていないと言いたいが、どちらにしろ喋れない状況にある私を尻目に、ノイルが驚きの声を上げた。
「ええっ! サムライさんが死んじゃう!」
二人のこのあまりに大げさな台詞は、私を更に笑わせる結果となり、堪えるために余計激しく身を捩ることとなった。
そうして、必死に私を心配する二人と必死に笑いを堪え続ける私という図が余計に可笑しくて、やがて息が出来なくなり、病院に着いた時には、本当に死にかけていたとか、いなかったとか。
喉を直そう。そうしないと、生きることができない。私は、アッチェントへと出発することを決意した。
何の因果か。何にせよ、この偶然の一致は幸運だと思うことにした。