少女、付き添う。 7
乗り込んだバスは駅前ロータリーで終点だった。私は最近になってようやく見慣れてきたものの、やはりカンタレッラの美貌は周囲の目を惹くようで、やたら視線を浴びる移動時間だった。終点で降りた私達は髪や制服をばさばさと嬲る潮風を背後から受けながら、カンタレッラの家に向かった。
「ただいま」
「お邪魔します」
リビングに入ったが、そこにカンタレッラの父親はいなかった。しかし明かりもついているうえ暖房もやや暑いくらいに効いていて、玄関にはちゃんと大きな革靴が置かれていたはずだ。留守ではないのだろう。
「カンタレッラのお父さんは?」
「多分寝室だよ。寝てるんじゃないかな」
「ふうん……」
「そこ座ってて。炭酸水持ってくる」
「あ、うん」
脱いだブレザーと鞄を投げ捨て、台所へ向かうカンタレッラ。私は彼に言われた通り、初めてここに来たときと同じソファーに座った。鞄を肩から下ろし、ブレザーを脱ぐ。
「…………ん?」
鞄を足元に置いたとき、ふとセンターテーブルの下に何かが落ちているのを見つけた。覗き込んでみたところ、それは大きな広告紙をぐしゃぐしゃに丸めたようなものだった。ごみ箱に捨てておくべきかと拾い上げると、広告紙の中から細いガラス管が突き出ていた。少し気になって広告紙を広げてみると、細いガラス管だけでなく剥き出しの剃刀まで出てきた。ガラス管の中には白い粉末らしきものがこびりついている。
「――――っ!」
背筋に氷水を流されたように、ぞっとした。再び広告紙を急いで丸め、センターテーブルの下に放り投げた。私の脳裏には、以前見たことのある洋画でのワンシーンが映し出されている。画面の向こうでは危ない目つきをした薬物中毒者が、白い粉末状の麻薬を広げて、剃刀でそれを集めてガラス管で鼻から吸引していた。その瞬間薬物中毒者は恍惚とした表情を浮かべていたが、効果が切れた途端苦しそうに床をのた打ち回って幻聴や幻覚に襲われた。
まさか今の道具も、あの洋画で使われていたように違法な薬物を吸引するためのものなのだろうか。
カンタレッラを見ると、彼は炭酸水をグラスになみなみと注いでいるところだった。
「どうかした?」
視線に気づいたカンタレッラから目を向けられ、思わず肩が跳ね上がる。どうやら私が広告紙の中身を見たことには気づいていないようだった。
「い、いや……なんでもないよ」
「そう」
あなたのお父さんは薬物中毒者なのか、なんて質問できるわけがない。もしかしたら私の勘違いで、全然違うことに使われている道具なのかもしれないのだから。テーブルの下にあるものについて今はまだ触れない方がいいだろう。
やがてカンタレッラはグラスを二つ持ってきて、私の隣に座った。初めてここに来たときと同じだ。
「はい」
「……ありがとう」
冷たいグラスを受け取り、一口飲む。途端びりっと電気が走ったかのように左頬が痛んだ。グラスをテーブルに置き、口元を手で覆うと同時に薄らと浮かんだ涙を拭う。自分で言い出したことなのに、もう飲む気が失せてしまった。
「ねえ、カンタレッラ。もう一杯飲む気ない?」
「ないよ」
「う……。思っていたより刺激が強かった」
「じゃあ、温くして炭酸を抜けばいいんじゃないのか」
「どうやって」
「ぼくが口移しで飲ませてやるよ」
「いらない」
私はカンタレッラから距離を取り、もう一口炭酸水を飲んだ。ほとんど口の中で味わうことなく嚥下する。この調子ではとても飲み干せる気がしない。
「ねえ、つゆり」
「何」
「暇だよ。何か面白い話して」
「そんなこと言われても……」
私はしばらく考えたが、密と以前話していたことを思い出した。
「じゃあ、心理テストでもしようか」
「心理テスト?」
「うん。目を閉じて、私の質問に答えて」
訝しげな表情を浮かべたが、カンタレッラは目を閉じた。
「あなたは今にも壊れそうな橋の上にいます。霧が多くて周りがあまり見えない状況の中、遠くの方で手を振っている人が見えました。その人は誰ですか?」
「……それって何人でもいいの?」
「え、複数人いた?」
カンタレッラの言葉に戸惑う。この心理テストを教えてくれた密も私も一人しか浮かばなかったのに。
「二人いる。ロザーリオとつゆり」
「……へえ」
「なんできみがロザーリオと一緒にいるんだよ」
「いや、そんなの私が知るわけないじゃない」
「これで何がわかるんだ」
目を開けた彼に、私は答えた。
「今あなたが会いたい人だって。でも、カンタレッラのはもうすでに近くにいる人だったね」
「ふうん……」
なんでもないように相槌を打ちながら、カンタレッラは煙草を取り出して吸い始めた。彼にとってはこんな心理テストなどつまらなかっただろうかと思っていると、早々にバニラの香りが漂ってきた。
「カンタレッラ。煙草、なんで吸ってるの?」
「喫煙者は皆ニコチン中毒だから煙草を手放せるわけがない。それくらいわかれよ」
「私が訊いたのはきっかけだよ」
「……パパが吸ってたのを見て、興味が沸いたからだったかな。マンマも、近所の大人達も、誰一人真面目に注意なんてしなかったからね」
それからしばらく三十分ほど、私達は他愛のない話をぽつぽつ続けた。ときに彼から話し、ときに私から話した。一億円が手に入ったらどう使うかとか、長方形と正方形どちらの方が綺麗に見えるかとか、今後どの国に住んでみたいかとか、キロメートルとキログラムはどちらの方が大きく感じるかとか、犬と猫のどちらが好きかとか、本当に意味もとりとめもない話を続けた。ふと時計を見ると、五時半を過ぎていた。
「そろそろ私、帰らないと。今日から家に親がいないんだ」
「どうして。捨てられたのかい」
「違うよ。隣町の高校に勤めてる母さんが今朝修学旅行に行ったから、水曜日まで一人なんだ」
「へえ――ああ、そうか。きみのパパはイタリアにいるんだったな」
「うん」
ブレザーの袖に腕を通し、ボタンを留める。そして鞄を手にしたとき、センターテーブルの下にある存在が鮮明に蘇った。
「………………」
やっぱり訊ねることはできない。
あなたのお父さんは薬物中毒者なのか。あなたも違法な薬物に手を出しているのか。
そんなことを訊ねるなんて、私にはできない。
無言のまま玄関に向かった私を見送ると、カンタレッラは「じゃあね」と言って扉を閉めた。




