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少女、付き添う。 6

 その後の展開は早かった。まずトーキョー先生がカンタレッラに頬の腫れ以外怪我がないことを確認して、私達に今日のSHRはなくなったことを告げて二人をどこかへ連れていった。そして五分足らずで戻ってきたカンタレッラは頬に布で包んだ保冷剤をあてて、いつもの調子で洋楽を口ずさみながら席に着いた。

 カンタレッラが戻ってくるまでの間も、彼が戻ってきて一時間目の授業が始まるまでの間も、誰一人として私に声をかけてくるクラスメイトはいなかった。一時間目の途中に戻ってきた密も、私が声をかけても俯くだけで彼女から何かを話しかけてくることはなかった。

 密に打たれて、カンタレッラは倒れた。クラスメイトの皆はどうだったか知らないが、私にはそれがわざとだとわかった。カンタレッラは私や密より背が高い。他の男子と比べれば華奢な細身だけれど女子と男子の身体はこの年齢くらいになると明らかに違ってくる。だからカンタレッラがいかに力を抜いていようと、密の平手打ちを一回受けたくらいで倒れるなんてありえない。

 恐らくカンタレッラはトーキョー先生が教室に入ってくるタイミングを狙っていたのかもしれない。自分が被害者に見えるように仕向けて、結果それは成功した。トーキョー先生は密が何らかの衝動でカンタレッラを突然打ったのだと判断したらしい。密自身がどう説明したのかわからないが、本当のことは言えなかったのだろう。カンタレッラには何のお咎めもなしだったのだから、それくらいのことは容易に想像がついた。

 いつの間にかこの二年二組の教室は、アザミ・カンタレッラという転校してきて一ヶ月足らずの美少年によって歪められてしまった。

 嘆息してカンタレッラの方を見ると、ちょうどあちらも顔を動かして、私達の視線はぶつかった。彼は何故か嬉しそうにくすっと笑った。

 授業が終わってもクラスメイトは私に声をかけてこなかった。密も、私が振り向いて話しかけようとしても読んでいる漫画で顔を隠す。彼女にとっては私と向き合うだけでも苦痛に感じているのだとわかると、それ以上何も行動を起こせなかった。そのまま長い一日は過ぎていった。

「クラスの皆が何も言わないのは図星だからなんだよ。きみだってわかってるだろ」

 放課後、早く家に帰ろうと校門を通ったところで後ろから声をかけられた。振り向かなくても誰かはわかる。私は何も返さず足を動かし続けた。

「つゆりがやってることは、ただの便利屋だ。それも料金や見返りを求めていない。彼らはそんなきみをただ便利だと思って利用して依存するばかりで、誰一人として心から感謝なんてしてない」

「………………」

 私には何も聞こえない。

「それでもきみは学級委員長だからと自分を納得させては彼らの頼みを無償で聞いて、本来なら彼らに任せればいい仕事まで率先して引き受ける。どうにか嫌われず、好かれたいから。そんなふうに考えてるんだろ。きみみたいな人間にとっては自己満足の行動が何よりも美味しい餌だからね」

「………………」

 私には何も聞こえない。

「何か言い返したらどうなんだ」

「………………」

 私は、何も聞こえていないふりをする。

「――――聞こえてるんだろ!」

 舌打ちの直後に怒号が聞こえた。後ろから伸びた手に腕を掴まれ、私は乱暴に引き寄せられた。以前理科室の手前で彼――カンタレッラと初めてキスをしたときのような至近距離。しかしあのときとは違い、今のカンタレッラは冷笑を浮かべてはいなかった。焦っているような、怒っているような、泣くのを堪えているような、様々な感情が混ざったよくわからない表情を浮かべている。

「無視するな、つゆり」

 掴まれた腕が、痛い。

「少しは言い返せよ」

「……だって」

「何」

「言い返す言葉なんて、ない。あなたの言ってることは確かに正しい。私も、私自身やクラスメイトのことをよくわかってる。……だから、言い返したくても言い返せないんだってば」

 近くを幼稚園児の子供を連れた主婦らしき女性が通った。私達に好奇の目を向けながらも、通り過ぎていく。私は恥ずかしくなると同時に情けない気分になって俯いた。視界にはアスファルトの道と私とカンタレッラの足。

 今、私は自棄という状態になっているのだろうか。カンタレッラも、密を含めたクラスメイトも、嫌いにはなれない。思えば私は幼い頃から人好きだったわけではないにも関わらず、なかなか人を嫌いになれなかった。理不尽にひどいことをされても悪口を言われても裏切られても、ショックを感じながらも「きっと相手にも理由があるのだ」と思うことで、怒ることや憎むことを放棄していた。そしてこれ以上誰かから嫌われないように、なるべく好かれるようにと――カンタレッラの言う便利屋になっていたのかもしれない。おかげで同年代の子達は私を頼りにして、大人達は口をそろえて私を「いい子」だと評価して、優等生扱いしていた。

 冷たく強い風が吹く中どれほどの時間、立ち尽くしていたのかわからない。気づけばカンタレッラはとうに私の腕から手を離していた。

「カンタレッラ」

 口を開くと乾燥した唇がぱりっと小さな音を立てた。

「あなたの家で、あの炭酸水……飲みたい」

 震える声でそう言って顔を上げると、カンタレッラは鳩が豆鉄砲を食ったような表情で私を見つめていた。

「いつ?」

「今から」

「口の中、平気なのか」

「知らないよ」

 ふっとカンタレッラは笑った。私もつられて笑ったが、恐らく彼のように綺麗に笑えてはいないだろう。

「いいよ。けど、今日は財布を持ってきてないから徒歩だぜ」

「あの距離を歩いたの? 今朝もすごく寒かったのに」

「妙に早く目が覚めて、歩きたい気分だったんだ」

「じゃあ私が二人分払う。前のお返し。でもタクシーは高いからバスね」

「律儀だね、日本人」

「あなただって帰りのタクシー代まで払ってくれたじゃない、ハーフ」

 私達は並んでバス停まで歩き始めた。

 

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