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少女、付き添う。 5

 居間で修学旅行の荷物をまとめていた母さんは、帰宅した私の顔を見てひどく驚き、焦り、慌てた。私が無言で二階の自室へ行き、モッズコートを脱いで血がついたタートルネックからドルマンに着替えている最中も何があったの、どうしたの、と繰り返し訊いてきた。

「階段で派手に転んだの。ポケットに両手を入れてたから、顔面からいった。それだけ」

 すらすらと出てきた嘘を私が言い切ると、母さんはそれ以上何も言わなかった。本当はまだ言いたいことがありそうな顔だったが、このときの私にはそうさせない何かが働いていたのかもしれない。

 その夜私は何も食べずに入浴を済ませて、早々に眠りについた。

 自分でも不思議に思うが、私はそれほどカンタレッラのことを怒ってはいない。キスされたことや殴られて傷をつけられたことに関しても普通なら許されないことなのに、何故かカンタレッラに対して怒りの感情が起きなかった。

 その原因はもしかしたら、他の誰かから見ればただ美しいだけのカンタレッラが不幸な子供だと唯一私だけが知っているからなのかもしれない。天使でも悪魔でもない、本当のカンタレッラを知っているのは、私を含めてどれだけの人数なのだろうか。もし私一人だけなのだとしたら、それはとても悲しいことだと思う。

 月曜日の朝。まだ空が暗い五時から家を出た母さんと違って、私はいつもより遅く登校した。そして教室に足を踏み入れた途端、クラスメイト達は私の顔を見て一斉にざわめいた。何人かは私を見た後、その視線を真っ先にカンタレッラへと向けた。

「おはよう。密」

「…………」

 珍しく漫画を読んでいない密に声をかけたが、返事はなかった。代わりに彼女は無言で席を立ち、カンタレッラの方を向いた。その表情は珍しく怒っているように見える。

「ちょっと。アザミ」

 カンタレッラは頬杖をついて、密の声など聞こえていないかのようだった。

「あんたでしょう、アザミ・カンタレッラ。やつがれ、見たんだからね」

 見たんだからね――その言葉に私の胸がきゅうと締めつけられる気がした。

 ようやくカンタレッラは密に気づいたらしく、頬杖をついたまま「何?」と言うような目を彼女に向けた。

「つゆりの怪我、あんたが原因なんだって知ってるわよ」

 教室全体がざわめく。

「土曜日の午後。薄暮町にある古本屋に、やつがれは行ったの。その帰りにあの植物園から出てきたつゆりとあんたを見たわ。つゆりは左頬を押さえていた。服には血が少しついてた。つゆりは不注意で転んだりするドジじゃないし、あんなのどう見たって誰かに殴られないとできない傷よ。それで二人の後を尾行したら、近くの病院に入っていった。そこでアザミが言ってたこと、やつがれ覚えてるんだからね。――ぼくが殴ったんだ、って」

 クラスメイトの視線を全身に浴びながらも、それでもカンタレッラは平然としていた。密は眉をつり上げて言った。

「これ以上つゆりにひどいことをしないで」

 突然笑い声が教室中に響いた。密を嘲るように一頻り哄笑したカンタレッラは席から立ち上がる。

「ふふ、面白いね。ぼくよりきみ達の方がよっぽど残酷なくせに、よく言うよ」

「は? 何――」

「今の言葉はまるできみ……密が親友のつゆりを助けようとしているみたいだけど、元々はきみ達全員がぼくの面倒をつゆりに押しつけたことが原因だろ。学級委員長だから、イタリア語が喋れるから、なんて本人に覆しようもない事実を無理矢理理由にしてさ。ぼくがここに来たあの日早退したつゆりに詳しい説明をしないまま、自分達の身代わりにした」

 喋りながらこちらに近づいてきたカンタレッラは、一旦言葉を区切ったかと思うと私を見て微笑んだ。……嫌な予感がする。

 思わず「やめて」とカンタレッラに向けて唇を動かした。けれどもカンタレッラは無視して続ける。

「つゆりは責任感が強いし、クラスメイトや教師から過分な信望を得ている。だから親友に頼まれたことなら断らないこともわかっていた。彼女がぼくの面倒を引き受けたのはきみ達にとって嬉しい想定内だったんだろうね」

「そ、れは……」

「違うだなんて言わないよね? 転校生で初めて日本に来たばかりのぼくをつゆり一人に任せて、自分達はなるべく関わらないように必死でずっと遠巻きにしてるだけだった。なのに彼女が目立つ怪我をした途端、正義のヒーロー気取りなんて始めて……。ぼくよりも残酷で最低なきみがつゆりの親友だなんて笑っちゃうよ。この教室は自己犠牲に陶酔する偽善者のつゆりと、きみみたいな人任せの日和見主義ばかりだ」

「っ!」

「ひそ――」

 とっさに止めようとしたが、遅かった。密の振り上げた右手がカンタレッラの左頬に命中した音と、教室の戸が開いた音はほぼ同時に聞こえた。

 密の一撃を受けたカンタレッラは意外にも簡単に倒れた。彼が倒れたことにより、教室に入ってきたトーキョー先生の姿が私の視界に映った。

「な、何をしてるんですか八枯さん!」

 鋭いトーキョー先生の声が響く。隣の密を見ると、唇を強く噛みしめて今にも泣きそうだった。

 

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