表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/30

少女、付き添う。 2

 まだざわざわとしている理科室を出て、すぐ近くにある階段を下り、廊下を歩く。その頃にはカンタレッラはいつもの調子で私に酷薄さを感じる笑みを向けた。

「ねえ、見た? あの雄豚の顔。理科教師のくせに血が苦手なんて愉快だよね」

「雄豚じゃなくて、鳥越先生」

 そう返したところで保健室の前に着いた。しかしそこには『職員室にいます』と書かれたプレートがかけられている。

「私が職員室に行って羽橋先生を呼んでくる。それまでここで――」

 私に皆まで言わせる間もなく、カンタレッラは保健室の戸を開けた。どうやら羽橋先生は鍵を閉めないまま職員室に行ったらしい。

「開いてるよ」

 そう言ってカンタレッラは保健室の中へ無遠慮に入っていった。羽橋先生がいないうえにカーテンを閉め切った保健室は暗くて冷たくて、普段とは全く違う空間のように感じた。私は仕方なくその後を追って蛍光灯を点けようとしたが、カンタレッラに止められる。

「駄目だよ。明かりがついてたらおかしいって思われるかもしれないだろ」

「……わかったよ。とりあえず、そこの水道で傷口を洗って」

「へえ。きみが治療してくれるのかい?」

「消毒して絆創膏貼るくらいならできるから」

「消毒は沁みるから好きじゃないな。これくらいなら唾でもつければ十分だろう」

 言い終えると不意にカンタレッラは左手で私の首を掴み、すぐ近くの壁へと押しつけた。ごん、と音がして後頭部が痛む。いきなりなんだと驚いていると、未だ血を流しているカンタレッラの人差し指と中指が私の口に突っ込まれた。

「うっ……!?」

 口内に広がる血の金臭さに眉を顰める。カンタレッラの腕を掴んで抵抗しようとしたが、彼の細腕は意外に力が強くびくともしない。

「っ、えっ。んぐ……ぁ、ふ……っ」

 指が舌を撫で回し、私が苦しがって噛むのも構わず傍若無人に喉の奥へ進んでいく。金臭さと息苦しさで吐き気が込み上げ、視界が涙でぼやけた。苦しい。私がカンタレッラの腕から離した右腕を振り回したとき、ぱんっと風船が破裂するような乾いた音が響いて掌に熱を感じた。やがて引き抜かれた二本の指。涙を拭ってはっきりとした視界の中、カンタレッラは左頬だけを朱色に染めていた。意図せず私が平手打ちしてしまったらしい。

「マンマに次いで二人目だ。ぼくの頬を打った女は」

「…………」

 私は急いで保健室の隅にある水道で口を漱いだ。振り返るとカンタレッラは私の唾液と自分の血にまみれた指を丹念に舐めているところだった。そして呆然としている私の前で救急箱を探し当てると、そこから取り出した絆創膏を片手で器用に貼っていった。

「なんで」

「何が?」

「わけがわからない。あなたは、何がしたいの?」

 救急箱を片付けたカンタレッラはすぐに保健室から出ようとする。

「理科室に戻ろう、つゆり。いつ先生が戻るかわからないよ。それに暖房のついてない保健室なんて、水が汚染されたオアシスみたいなものだ」

「…………。……うん」

 まだ口の中に残る金臭さに辟易しながら頷き、私はカンタレッラと一緒に保健室を出た。来るときと同じで廊下や階段には誰の姿もない。理科室に入る少し手前で、カンタレッラは足を止めて私の肘を掴んだ。

「どうしてだと思う?」

「何が?」

 私は立ち止まり、彼を見つめた。

「きみがさっき言った言葉だよ。どうしてぼくはきみにあんなことをしたのか、自分で想像つかない?」

「それは――前に言ってたように、どれだけ傷つけたら壊れるのか知りたい、から?」

「はずれ。もっと充実した理由があるんだよ」

 えっ、と喉から声が出た。

「そんなに不思議がらなくてもいいじゃないか。いずれ教えてあげるよ」

「いずれって、本当?」

「ああ」

 ふっ、と微笑んだその顔は本人の性格に反して卑怯なほどに美しい。

「ぼくとつゆりは友達だろう。……それも、特別の」

 カンタレッラは私の身体を引き寄せ、唇を重ね合わせた。それから冷笑を浮かべて私を突き飛ばし、さっさと理科室に入っていった。紅薔薇の唇は予想外に冷たかった。

「………………」

 私のファーストキスは昔からよく言うレモンの味なんかじゃない、血生臭い変な味がした。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ