今夜、
早めの夕食に二人は築地の寿司屋へ入った。
下町の雰囲気が、白熱灯の優しい明かりが二人を リラックスさせてくれる。
しばらく会えなかった時間がまるで嘘のように、ぎゅっと縮まる。
美香が小食なのを きちんと覚えている祐介は、彼女のシャリを手伝いながら自分の寿司を食べた。
そんな祐介の優しさが美香の決心をより 確かなものへとしてゆく。
あなたを好きだという証…。恋人の証……。
寿司屋を出ると、祐介は安全運転に注意を払いながら 美香をホテルまで送り届けた。
こんなに楽しいデートができた事を奇跡という呼ぶ以外に何と呼べばいいのだろう。
夜の銀座の街で、ため息が出るほど綺麗に着飾った彼女に一目惚れしたけれど
昼間に会う彼女は 僕だけに素顔を見せてくれるようで それが嬉しくてたまらなかった。
忙しい彼女だから、また数か月会えないとしても それでも僕はあなたと繋がっていたい。どんな事でもいいから どうか僕を頼って下さい。
やがて車は静かに駐車場内に停まった。
そっとエンジンを切る祐介に向かって 美香が口を開く。
「今日はホンマに楽しかった。ホンマにありがとう」
「いえいえ。コーヒーカップね(笑)」
「あれは やりすぎやろ(笑)まともに歩けんようになってしまったやん(笑)」
「しかも家族連れにバッチリ見られてた」
沢山笑った後に美香は続けた。
「まだ時間ある?明日、バイトかな?」
「あ、バイトは夕方からだから全然OK」
「もし良かったら コーヒー、飲んでいかへん?」
「おっ、サンキュー」
そのまま二人でホテルの部屋に戻り、美香はお湯を沸かし始めた。
「祐介さん、ごめんなさい。やっぱり紅茶でいい?」
「うん。やっぱりコーヒーカップは急に回るから、その方がいいよ(笑)」
美香はそれを聞くなり笑い出した。笑いすぎてコーヒーが切れていると伝えるのに時間がかかってしまう。
二人は小さなテーブルを囲んで紅茶を飲みながら 他愛もない話を楽しんだ。
ふと会話が途切れた時に、美香は祐介に言おうと思った事があるのだれど 緊張してなかなか言い出せなかった。
二杯目の紅茶を入れながら 小さなメモ用紙に あの決心を文字にした…。
「今夜、泊まっていって下さい。」
注がれた紅茶のカップを受け取る祐介の前に それを静かに置くと
祐介の顔が美香を見つめる。
「美香ちゃん…」
美香は恥ずかしくて 真っ直ぐに祐介を見る事ができなかった。
目を伏せたまま大きく頷くとバスルームへ消えた。
こんな大胆な事をして良かったのかしら?恥ずかしい女ではないだろうか?
自分の起こした行動に心臓がバクバクとしていた。
だけど、祐介さんにうちをあげてもいいと思っているのも本当の気持ち。
決心が揺るがないように一生懸命に熱いシャワーを浴び続けた。
一方、祐介の方は 美香が書いた文字を見つめたまま動けないでいた。
「今夜、泊まっていって下さい。」が意味する事は一つ。そう解釈して良いのだろうか?
それは男の勝手な思い込み?
「美香ちゃん、僕 美香ちゃんの信用を取り戻すまで指一本触れないから」
あの日、そう約束した事を思い返していた。
静まり返った部屋の中で、やがてドライヤーの音が小さく聞こえ始めて
それは、美香がもうすぐここに戻ってくる事を想像させる。
藤色(ライラック色)の、ネル生地のパジャマを着た美香が
タオルを持ちながら ゆっくりと現れた。
祐介は立ち上がり、美香の両ひじ辺りに手を添えながら 彼女の気持ちをもう一度確認する。
場数を踏んでいる男ならこんな時 スマートに、スムーズに 女の子をリード出来るのだろうが、祐介にはそういう力がまだなかった。
「いいの?」「できる?」
言葉の見つからない祐介は、滑稽にもそんな唐突な確認の仕方しか出来ない。
美香は不安そうとも取れる表情を浮かべながら祐介を見て頷いた。
祐介はこれから起ころうとしている場面に緊張を覚えながらも、美香をギュッと抱きしめる。
明日のタバコをちょっと買って来てもいいか?と言いながら
大事なものを買いに出かけた。
コンビニでは、大事なものが紛れるように タバコやジュース、お菓子など 必要のないよく分からない物まで動揺してカゴに入れてしまう。
それから、美香を待たせないようにと大急ぎでシャワーを浴びた。
恋人の証…。
ベッドの横のソファーに座る美香は、
祐介の冷蔵庫から水をもらうという問いかけにも声が出ないほど緊張していた。
そっと隣に腰掛ける祐介にも、ひしひしと伝わってくる緊張感。
「緊張してる?」
パジャマからのぞく美香の細い足の指は、いかにも湯冷めで冷えきってそうだった。
そっと彼女を抱き寄せて
「深呼吸しよっか…」
祐介が話しかけると、美香は健気にも言われた通りに深呼吸を始めた。
どのくらい経ったのだろう?
二人の目が会い、唇がそっと重なる。
初めはギュッと祐介の手を握っていた彼女の手が、次第にその力を緩めていくという変化に 祐介は気が付いた。
そしてごく自然に片方の手が、彼女の胸元に触れる。
その手は暖かくて、美香はネル生地のパジャマの上から添えられた 祐介の熱をはっきりと感じていた。
優しく触れられれば触れられるほど、強い快感が押し寄せてきて それが恋人の証なんだと美香は思って疑わなかった。




