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すれ違い

美香の誕生日に続き、クリスマスの為に祐介はアルバイトに明け暮れていた。帰宅すれば10分以内に眠りに落ち、バイトの休憩中にも居眠りするほどだった。




見かねた淳史がもっと稼ぎのいい組の雑用をしないかと 声を掛けたが祐介は断った。

何だか急に男らしくなってきた弟の姿が頼もしく、微笑ましくも思えたりもした。

「堅気の世界で生きるのも大いに結構!」淳史は飲み会で気分よく そう口走る程に。



二人の関係は、依然プラトニックのまま。男である以上、祐介は時々 美香の事が欲しくてたまらない瞬間に襲われながらも、彼女にとって自分の存在がまだ そこに至らないのではないか?という自信のなさを感じていた。



いつか、本当に抱かれてもいいと思ってくれる時が来るまで僕は待つし、そういう男になりたい。





美香の方も銀座でのアルバイトに忙しかった。優の大学受験と学費の事や、ぼんやりと、時にくっきり浮かぶパリ留学への夢…。あまり心からゆっくりと出来る時間がない日々を送っていた。





恭子の太客が美香の事をこの上なく気に入り、恭子との同伴だけでなく色々な場面にも美香を連れ出すようになっていた。それが、彼女の時間をより一層奪う。




この太客は、実は恭子の娘の父親でもあった。




既に妻子がいた為に恭子はいわゆる二号さんとして娘を出産したのだ。




娘が自殺してしまった時には二人は深い悲しみを受け、それぞれの罪深い生き方を呪ったし、その事に対する罪を嫌という程感じた。だけど、生き方はそうすぐには変えられない。




恭子には、お店を続ける事しか残されていなかった。お店に出て誰かと話をしていないと、着物を新調して美容院に通い小奇麗にしていないと自分が廃人になってしまうのではないかと思った事もあった。




男の事で悩んだ事はあまりない。男を取られたり、ちょっかい掛けられたりする方でなくて その逆だなのだから。取られる方が悪いとばかり思っていた。

でもこの世で一番大切な存在、血を分けた自分の分身を亡くしたのだ。



亡くしたというよりは…縁を切られるよりも残酷な自殺という形で。

その壮絶な出来事に恭子は一時は体も壊しかけたし、

一人になれば決まって自分という罪深い者の存在に気が狂いそうになった。



娘の自殺後、恭子と太客廣川の関係は再び店のママと客に戻っている。

廣川は恭子の事が心配で度々顔を出すのだ。



恭子は、悔やみどころの多い人生だがそれでも生き抜こう、

今まで沢山の人に迷惑をかけ、人様の夫なのに掛けられたちょっかいに応じ 多くの見返りを懐に焚き染めてきた。その罪が消えるとは思わないけれど それでも人生を全うする。

長い長い間の心の葛藤の末に ようやく少しづつそんな風に思えるようになった。




「人は誰でもみな孤独」そんな言葉の意味を噛みしめながら

人様の為に、銀座に男の自信を買い求めにやって来る人の為に

私は自分の城で今日も働く。ここが私の城、私の全て。




娘に似ている美香に出会った時は、頭を金槌で殴られたかの様な覚醒感が脳を駆け巡った。




この子に手をかけてあげる事が自分がしでかしてきた事への償い、娘への償いになるのではないだろうか?

どういう風にそんな考えに行き着いたのか言葉では説明がつかなかった。

美香が母親を亡くしている事へ運命すら感じたのである。




美香は恭子の温かさをいつも感じていた。

一番嬉しかったのは、大学受験の勉強に打ち込んでいる時期に手紙をくれた事だ。

しなやかな文字ですらすらとつづられた優しい文章。

それは今でもまだ机の引き出しの中に大切にとってある。




恭子から頼まれた付き合いは全て引き受けた。

それが美香にできるたった一つの恩返しだった。



クリスマスの夜、店が終わったら 美香と祐介は会う約束をしていた。



祐介はホテルのラウンジで、スコッチを飲みながら 美香の仕事が終わるのを待っていた。



カウンターで、ピンクのバラの花束を椅子に置いて ゆっくりとグラスの中の氷を見つめる。約束の時間が過ぎても 美香は現れなかった。祐介は待ち続けたが、美香は来なかった。



とうとうラウンジが朝食用の準備の為に閉店の時間になり、祐介はフラフラとホテルを後にするしかなく、その後の事は 本人もよく覚えていない。



ただ、翌日に 泣いている夢を見て目が覚めた。自分の部屋の机の上には萎れかけた花束があり それが昨夜の事実を物語っている。彼女の身に何かあったのだろうか?ありとあらゆる心配をした2日後に、やっと美香と連絡がついた。クリスマスの夜は、断れないアフターが入ってしまい 約束の場所に行けなかった。



この辺りから、美香と祐介は 小さくすれ違い始めるようになり 祐介は深い孤独を感じる日々が続いた。やっぱり彼女は何も言ってくれずに 僕の前から姿を消すつもりではないだろうか…。僕の何がいけないんだろう…。出会ってはいけない人だったのか?



祐介はそれでも悲しい程に彼女の事が好きでたまらなかった。街路樹の若葉が霞む夜に、僕はマーメイドに出会った。エメラルドグリーンのドレスを着た、あの日の美香の姿を 今もよく覚えている。その可憐な瞳にドキドキして、一瞬で恋に落ちた夜。



1月の祐介の誕生日にも二人は会えなかった。美香は優の進路のことで恭子に相談をしていて、自分がパリ留学を夢見ている事も話していた。お世話になりっぱなしでありながら、他に相談をする相手がいなかった。後期の試験後に迎える長い春休みは、プルメリアでのアルバイトを増やすことを決めて、優の方は、東大受験へ向けて死に物狂いで勉強に励んでいた。



幾度となく将来への不安に心が揺れて、美香は不安定な気持ちに押しつぶされそうだった。そんな時に優は、「今が踏ん張り時っちゅうやつやねん。踏ん張らへんかったら、低い所で暮らす人生しか待ってへんねん。俺は、それだけはいややねん」そう強く言い放った。



それは、まるで達也のような強い口調で、達也のような…いや、達也そのものに思えた。美香は、気が付かない間にぐっと大人っぽく、男らしくなった優の姿に達也を重ねた。



高いところで暮らしたい…。その思いだけで優は東大合格を目指した。成績が良ければ、いい大学に入れば人を支配する側の人間になれる。そう信じて疑わなかった。高いところで暮らしたい…高いところで暮らさなければ意味がない。寝ても覚めてもそのことしか頭になかった。それが彼に究極の集中力を与えるのであった。



恭子は美香に、優の入学金と当面の学費を工面することを提案した。

優の顔は美香から見せてもらった写真でしか見たことがないが、その眼差しから 意志の強い美しい少年であることは知っていた。



「ねえ、美香ちゃん。うちは優君へお金を貸すという形で工面しようと思うの。男の子だから、利口な子だと思うから、すぐに返せるわ。美香ちゃんの留学費は、うちが廣川さんに頼んであげる。あなたは女の子だから、お嫁入り前に借金を背負うのはダメよ。パリへは必ず行かないとあきません。世の中はものすごいスピードで変わってゆくの。あなたは新しい時代を生きてゆくのよ。」



優しい口調ながらも、しっかりとこちらを見つめる恭子の顔が涙でぼやけた。生きる事はさみしさや不安と困難の連続だ。それでもこんなにも暖かい人がいる、助けてくれる人がいる、力になってくれ背中を押してくれる人がいる。涙が溢れた。



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