電話
祐介は美香に会いたいのに会えないことが辛くて気が狂いそうだった。
それなのに自分の思いの丈を伝えることができない。
全ては自信のなさからきていて、嫌われるのが怖くて何度も電話をかけようと思ったが かけられなかった。何を話して良いか分からなかった。臆病でダメな自分がくずに思えたし、姿を消したはずの絶望感が すぐそこまで再び忍び寄っているのを感じていた。
何をしていても美香の事を想っていた。「優しくて心の強い人がええなあ。」火薬の匂いが弱く漂う隅田川テラスでそんな風に彼女は言っていた。初めて昼間に会った時の事、水族館内の神秘的な青い空間で魚を見つめる横顔。
優しくて心の強い男に…。どうしたらなれるのか?
心の強い人にならなくては。自分を戒めるように、雨の降る夜に、傘も差さずにひたすらジョギングをした。心の強い人にならなくては、僕は彼女にとって不必要な男になってしまう。それだけはどうしても嫌なのだ。
数日後、祐介は友達に誘われて久しぶりに しこたま酒を飲んだ。フラフラになるほどに…。そしてタクシーに乗り込んで帰ろうとする二人の友人の手を払い、歩き出した。その足は、プルメリアに向かっていたのだ。
ひどく酒を飲んでいる様子なので店の前で用心棒に入店を止められた。お客を外に送りにきた恭子が祐介の顔を見ながら話しかけた。
「あなた、美香ちゃんの…」
「美香ちゃんに会いたいけど、僕はダメな男だから、ダメな男だから…」
他のお客を見送りにきた美香は驚いた。
戸惑いながらも、急いでタクシーを拾って泥酔した祐介を自宅まで乗せてゆくように手配をした。
恭子はその夜、美香に気を使ってか 何も言わなかった。
美香は祐介の事をずっと考えていた。祐介の事は変わらずに好きで、好きだからこそ 普通の恋人でいたいのだ。達也の時のように、自分が重荷の存在になる事がどうしても嫌だった。
それ故に、今 考えている事や、抱えている悩み、問題を 彼には話していない。単純に好きという気持ちだけで続く関係が欲しいから。
ホテルに着き、風呂の中で湯船につかりながら 美香は急に祐介を遊園地に誘う事を思いついた。
ただただ、思いっきり楽しいデートをしたい。普通の学生が、普通の恋人が楽しんでいる 普通のデート…。
悩み事を打ち明けるよりも、祐介と楽しいデートをする事の方がずっと大事に思えて
彼と、江の島へ行った夏の日の事を思い出していた。
翌日の昼頃に、美香は祐介の携帯へ緊張しながら電話をかけた。
「祐介さん?美香です。」
「美香ちゃん…」
「昨日、大丈夫やった?ずっと、会われへんくてホンマにごめんなさい。」
「いや、美香ちゃん忙しいから」
「うちね…祐介さんを遊園地に行くのに誘っていい?」
「えっ?遊園地?」
祐介は予想外の誘いに驚いた。
「ごめんなさい。また、変な事言うてしまって…」
「いやいや、とんでもない。寒いけど、遊園地だいじょうぶ?」
「うん大丈夫。」
「じゃあ、美香ちゃんが寒かったら、観覧車3周だな(笑)」
「いっつもホンマに優しいなぁ」
たった1本の電話で、祐介は救われた。幻に見えかけたマーメイドは、やっぱり幻ではないみたいだ。カーテンをさっと引いて、窓を開けた。
昨夜の大酒のせいで体調は最悪だ。窓の向こうはどんよりと曇った冬空なのに、江の島で見た茜色の空と 西日を浴びてほんのりオレンジに染まった彼女を思い出した。同世代の学生が合コンを楽しむ中、同伴をして仕事に向かう彼女を思い出した。
そして、頑張っている彼女に比べて 会えないだけで落ち込んでいた自分が本当に馬鹿らしく思えてきてしょうがなかった。
優しくて心の強い人とは…会えなくても文句一つ言わずに、自分は自分の与えられた時間にやるべきことを頑張れる人ではないだろうか?
突然、そんな答えすら浮かんできた。
落ち込んでいる暇があるならば、一刻も早くこの家を出られる資金作りをしなくては。祐介は、引き出しにしまってある何枚かの給料袋を取り出して現金を数えた。
※ 当時はまだアルバイトの給料が給料袋に入れられて 現金で支給されるところもあった。
数えてみると、実に50万円近く。
このお金で一人暮らしを始められないかと とっさに思ったのだが、それは父親にも淳史にも了承してもらえなかった。
二人とも学生のうちは自宅から通えばいいとの事で、保証人になるつもりはないと口をそろえて 祐介にそう告げる。
これが後に、後悔してもしきれない悲劇を招くとも知らずに…。




