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隅田川

美香と水族館へ行った日から祐介はますます美香のことを想うようになっていった。





どうしたらあの人との距離がもっと近くなるのだろか?また会いたくて仕方がなかった。





淳史は純から祐介の一件を聞き、祐介を応援する側に回った。純にも美香にちょっかいをださないように釘を刺す。





前期の試験でお店を休んだ美香が出勤してくる7月の第3週、淳史と祐介は夜遅くプルメリアに来店した。





久しぶりに目にする彼女を前に軽い緊張を覚えながらも、美香の笑顔で早くも胸がいっぱいになる。




祐介は隅田川の花火大会に美香を誘いたかった。





人ごみが嫌いで花火大会や祭りでは必ずテキヤの中に淳史関係の知り合いがいて会ってしまう。そういう連中が嫌いで、幸せそうに歩いている家族連れを見ると切なくなり、カップルに嫉妬し だからもう長い間 足が遠のいたままだった。





それなのになぜが美香を花火大会に連れて行きたいという気持ちに駆られたのだ。まるで中学の頃に花火大会を楽しめなかった自分を取り戻すかのように。





「美香ちゃん、来週 隅田川の花火大会見に行かない?」





「ごめんなさい…。その日は…」






「もう約束が入ってる?」






「同伴やねんけど…ホンマにごめんなさい」






祐介は静かに首を振った。





やっぱり彼女には手が届かない。会いたいならばお金を払って、ボトルを入れて…美香はそういう場所で働いているのだ。無償の誘いになんかに応じる必要のない人で一番を金を積んだ男が彼女との時間を勝ち取る。




祐介の沈んだ気持ちに追い討ちをかけるかの様に美香はマネージャーに呼ばれ他の指名客のもとへ席を立った。





「やっぱりあの子も銀座の女になってきてるな、色んな女と男に揉まれて強か(したたか)になっていくんだろう…。男と女は化かし合いだぞ、惚れた方が負けってことよ」





淳史は慰めと応援はしているが美香にのめり込みすぎるなという意味を込めて祐介につぶやいた。






しばらくして美香が席に戻ってくると祐介は暗い気持ちを悟られないように努めて明るく振まおうと心を整えた。





何気ない会話を再開し笑いが起こり、それが静まりかけた頃に美香が口を開いた。





「来週…花火大会は行けへんけど、お店終わった後…………」






「どこか行く?」祐介は消えかけた美香の言葉に自分の希望を乗せてつなげた。






「どこか行きたい…。でもどこに行きたいか分からへん……変やろ?(笑)ごめんなさい」






「変じゃないよ。飲みに行きたい?食べに行きたい?それとも…?」






「う~ん、なんか散歩してぼーっとしたい。どこかで」






「散歩ね……そうだなー」






「花火大会の後に隅田川をふらふら歩くのはおかしい?」






「おかしくないよ。じゃあ、隅田川沿いを散歩しよ」






「ありがとう。はあ~、ちょっと緊張してしまった。うち、ちょっと変やねんから(笑)でも今日でうちの変人ぶりに気が付いてしまったね」





祐介は笑った。そして胸に手を当てたままこの隣に座る彼女が愛しくて仕方なかった。





「淳史さん、あの子 純の店に通ってないみたいだけど純はてこずってるのかしら?」





淳史についた奈津美が鋭い目つきをしながら二人の会話に聞き耳を立て様子を探っている。





「あ~どうだろう?」




淳史は軽く受け流した。この手の女の激情っぷりはものすごいだろうから傍観者でいるのが安全なのだ。純の前だけでなく自分の前でもぎゃーぎゃーと騒がれたらイラついて手を出してしまいそうだ。そうすればこの女が後でどんな風に出てくるか分かったもんじゃない。





閉店後、店を出て祐介は淳史に美香との間にできた来週の約束の内容を伝え また車を貸してくれるように頼んだ。





「あの子ちょっと変わってんな。花火大会の終わった後の寂しい川沿いを散歩したいだなんて。食べにも飲みにも連れて行かなくていいって?」





「ただ散歩をしてぼーっとしたいんだって」






「ふ~ん…」





美香はプルメリアの内情と奈津美の件に関して日に日にストレスを溜め込んでいた。




週末だけの出勤なのだから頑張らなくては。いつもそう思うのだが、女の職場…。恭子に手をかけられている美香の存在は良くも悪くも特別で、皆から一線を置かれている気が絶えず続き決して居心地が良いとは言えなかった。自分が煙たい存在であることも理解している。




でもそれを吐き出す場所も相手もいない。それがなんだか悲しいし心に深い影を落とすのだ。




それからいざ出勤してしまえば気持ちが仕事へと切り替わるのだが行きの新幹線内では毎回 胃薬を飲もうとしているそばから胃がキリキリと痛むのである。美容院で親切で優しい美容師に髪をセットしてもらっている時もそれは続く。





翌週の夜、祐介は店が終わる時間に美香を迎えに行った。





花火大会があるので浴衣出勤の日なのか?繁華街には浴衣姿の女の人が多い。





美香もまた浴衣を着ていて、ドレスの時とは違った色っぽさを漂わせていた。





「祐介さんありがとう」





車に乗り込むとそうお礼を言う。





「いや、こっちこそ。仕事終わりで疲れてるのに付き合ってくれるなんて」





車は静かにネオン街を通り抜け、隅田川沿いにたどり着いた。





生暖かい夜風の吹く川沿いを二人並んで歩く。大勢の人で賑わった後なので小さなゴミがまばらに落ちていて、花火の火薬の匂いがかすかに漂う。





無言の美香に祐介は戸惑った。





流れる川を見ながら美香は考えていた。自分は何のために生まれて、何のために生きているのか?




答えの見つからない自問はより自分を虚しくするだけ。虚しさで涙が出そうだった。





しばらく歩いた二人はベンチに腰掛ける。





「今日、ここに花火見に来たの?」





「えっと、花火の見えるレストランで食事しただけ」





「きれいだった?」





「うん、きれいだった……」





また会話が途切れ、今度は美香が口を開いた。






「祐介さんは学校卒業したらどうするの?」






「俺?……普通に就職して普通に結婚したいな。会社から帰ってきたら嫁さんが美味しいご飯作って待ってるみたいな?美香ちゃんみたいな可愛い嫁さんだったら一緒に暮らしてるだけで幸せだなって、可愛すぎて普通の域を超えちゃうけど(笑)美香ちゃんは?」






「うちも普通に幸せになりたい……普通が一番いい」





祐介の普通という言葉に美香は強く反応した。普通に就職して普通に結婚したい。共感しすぎるほど共感する…。






「美香ちゃんは?もう何か考えてるの?」






「うちは、フランス語とってるからチャンスがあったらフランス留学してみたい。その後は、どうやろ?普通に就職して結婚したいな」






「フランス留学か~すごいな。それで結婚するならどんな人がタイプ?」






「タイプ?」






「そう、どんな人と結婚したいの?」






「………優しくて心の強い人がええなあ。祐介さんは?どんな人がええの?」






「俺は美香ちゃんみたいな人がいいな」






「え?(笑)うちは変な人やから、なんか要注意人物やねん 色んな意味で」






「要注意人物って何?(笑)」





美香は言えなかった。昔から自分は人の目についてしまいウワサの標的になりやすかったり、極力目立たないように注意を払っているつもりなのに その目立つ見た目からありがたくない事に巻き込まれやすい。現にプルメリアでだって特に奈津美に執拗に嫌な態度をとられ続けている。自分という存在は普通の人よりも遥かに嫌われやすい、そんな風に自身の立場を理解していた。





言葉が続かなくて無言でそっと祐介に微笑み返す。






「今好きな人いるの?」気が付くと祐介の口が勝手に質問をしていた。






「好きな人はいたねん…。好きっていうか、この人がいないと生きていかれへんと思ってた人が。でも案外、その人がいなくても図太く生きている自分が今いる(笑)」






「TAKEのボーカルの人?」また無意識にというか、純から聞いていた男の名前が頭に浮かびそれが瞬間的に口に出ていた。






TAKEのボーカルの人…。





美香の中で完全に過去の人になった達也との楽しい思い出ばかりが急によみがえる。予定のない祝日や、年始年末に優も一緒に連れ出してくれたこと、ぶっ飛んだプレゼントの数々にいつも楽しい時間を与えてくれたこと、ライブハウスで歌う姿、笑顔…、一時いっときは本気で大事にしてもらえた。愛されていた日々があったこと……。





気が付くと涙がにじみ、それを抑えることが出来なくて頬を伝っていた。






「ごめん!」





祐介は自分が口走った内容の重さにハッと我に返る。でもどうすることも出来なかった。自分の想いに夢中で他人の心にずかずかと土足で立ち入る言動に出たことを ただただ深く後悔し始めた。





美香は首を横に振り、「こっちこそごめんなさい。そう、うちの好きだった人はTAKEのボーカル。でも今は向こうに他に好きな人がいてはる。プルメリアの奈津美さんよ」





奈津美…。その名前を耳にして祐介はなぜ奈津美が美香を陥れたいか悟った。そしてふつふつと怒りが沸き始め、泣いている彼女の存在がその怒りをやるせない気持ちへと変化させる。





「プルメリアの奈津美さんよ」彼女の名前を口してから、あの失恋した夜から尚も続く最近までの自分に対する不愉快な態度がひしひしと思い出され美香の心は更に痛んだ。





やるせなくてたまらない気持ちが祐介の手を伸ばさせた。美香を抱きしめていたのだ。僕ならずっとあなたのことを好きでいると誓えるし、泣かせないのに。





久しぶりに誰かに抱きしめられるのはこんなにも傷ついた心にしみて響くのだろうか?例えそれが刹那的だとしても…。悲しくて悲しくてぼろぼろになった美香の心はもう温もりなしでは修復不可能であった。





やがて美香の腕が祐介の首に回り、祐介もそれを促すかの様に帯の上に手を添える。





二人は長い間そのままでいた。甘えるべき人ではないのにくっついたまま離れることが出来ない。美香は徐々に自分の弱さが腹立たしくさえ思えてきてまた涙が溢れた。私ってどうしてこんなにダメな人間なのかしら?今まで色んなことがあったというのに全然成長していない。





「ホンマにごめんなさい」やっとの思いで祐介から離れ消えそうな声でつぶやいた。





「誰でもさ、辛い時ってあるから大丈夫だよ。美香ちゃんちょっと頑張りすぎなんじゃない?」





美香は大きく首を横に振る。





「うちはホンマにダメな人やねん。自分が嫌い…」





「どうして?こんなに可愛い人なのに」祐介は美香への気持ちが抑えられなくなってしまい、再び彼女を抱きしめた。





「僕は美香ちゃんのことが好き。初めて見た時から好きになってた。だから力になりたい、もう泣かなくてもいいように…」





美香は混乱した。まだ達也の件で気持ちの整理が完璧についている訳でもないし、祐介に特別な感情を抱いた事もなかった。急に好きだと言われても…。よく分からない高まった気持ちのまま肩を揺らしながら呼吸を繰り返す。




「もう泣いたり悲しんで欲しくないよ…」




優しい祐介の言葉に涙が反応してまた溢れてくる。





「ホンマに優しい人……」美香はつぶやいた。





気持ちも落ち着いた頃「うち、祐介さんのこともっと知りたい。知ってもいいんやろうか?」祐介の肩に頬を乗せたままの美香が口を開く。言葉通りの感情がごく自然に沸いた瞬間だった。





「美香ちゃんに惚れてる以外に何かいいところあったかな?(笑)車も兄貴のだし、そんなにいい学校に行ってるわけじゃないしなあ…唯一、単位だけは順調に取れてるけど。あっ、でも美味い寿司屋なら知ってるよ(笑)」





心が穏やかに救われ始め美香に小さな笑顔が戻っていた。





「ホンマにありがとう。ものすごい救われた。このまま川の流れに乗ってホテルまで帰れそう」





「いやいやいや(笑)ちゃんと送り届けけますから」









夜明け前の都内を静かに走り、車はホテルの前に着いた。




「あの、うちを好きって言ってくれはってありがとう。でも少し待って欲しいねん。うちはきちんと心の整理をしてもっといい女になりたい。そうしてから…」




「うん、待ってる。でもまた会ってくれる?美香ちゃんの行きたい所へ連れて行きたいからさ」




「もちろん、ホンマにありがとう」





祐介は美香をホテルまで送ると、白み始めた街の中を走り家路にとつく。





好きで好きでしょうがなかった人を今日ついに抱きしめた。こんなにも心が揺れて切ない、愛しさが募って張り裂けそうな強烈な心情は初めてだ。それは幼い頃から身にまとっていた孤独感や疎外感、喪失感、全ての悲しい過去がどうでも良くなってしまうほどに。





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