8.護衛四人とのささやかなやり取り 前編
コンビニ脱走事件から、二週間が経った。
その間に、俺は合計七回、連れて行かれた。
一回目は、昼休みに王女と階段の踊り場で弁当を食べていた時。
二回目は、図書室で王女に推理小説を貸していた時。
三回目は、放課後の昇降口で、王女に「さようなら」と言われて「おう」と返した時。挨拶しただけで連れて行かれるのは、さすがに理不尽だと思う。
四回目から七回目は、だいたい似たようなものだ。
そして七回とも、翌日には、四人全員が俺の名前を綺麗さっぱり忘れていた。
「――貴様、何者だ」
「灰原だ」
「……ああ、窓際の。名前は、なんだったか」
「灰原だ」
「……そうだったな。連れて行く」
「……」
このやり取りも、もはや様式美の域に達しつつある。
顔は覚えられている。名前だけが、一晩で必ず抜け落ちる。器用な話だ。
ただ、七回も連れて行かれていると、さすがに見えてくるものもあった。
護衛の四人は、それぞれ、まるで違う人間だということだ。
◇
まず、七瀬ノア。
「……じっとしてて」
尋問室の椅子に座らされた俺の周りを、七瀬ノアがぐるぐると回っていた。
大きな猫耳ヘッドホンを首にかけ、萌え袖のカーディガンから指先だけ出して、小さなセンサーのようなものを俺の頭や肩にかざしている。
「熱源、なし。……赤外線、反射なし。……超音波、反応なし。……ミツバチのログ、この二週間、あなたの映像、一枚もない」
「そうか」
「……なんで」
「知らん」
「……理解、不能」
ノアは、ぷくっと頬を膨らませた。眠そうな目のまま、不満そうに俺を睨む。
「わたしのセンサー、エルステリア王国で一番。……国際ハッカー大会で、優勝した。……なのに、あなただけ、映らない」
「俺は、昔から自動ドアにも無視されてる」
「……自動ドア」
「コンビニの。開かないんだ」
ノアは、しばらく黙って俺を見つめていた。
それから、カーディガンのポケットをごそごそと探って、小さなボタンのようなものを取り出した。直径五ミリくらいの、黒くて平たい円盤だ。
「……これ、発信機。わたしの自作。……いちばん小さくて、いちばん強い」
「それを、どうするんだ」
「つける」
ノアは、俺のカーディガンの襟の裏に、ぺたりとそれを貼りつけた。
「……観測、する。あなたが、何なのか。……わたしの、研究テーマ」
「研究テーマ」
「……ん。観測対象H」
ノアはタブレットを操作して、画面を覗き込んだ。
しばらくして、眉をひそめる。
「……映った。……でも、すごく、薄い。……点滅してる。……なんで」
「知らん」
「……むう」
ノアは、タブレットを抱きしめて唸った。
それから、ふと、ぽつりと言った。
「……わたし、人と話すの、苦手。画面越しなら、なんでも見えるのに。……直接だと、何を見ればいいか、わからない」
眠そうな目が、少しだけ伏せられる。
「……あなたは、画面越しでも見えない。……変なの」
「……画面越しで見えないなら」
俺は、少し考えてから言った。
「直接、見るしかないんじゃないか」
ノアが、顔を上げた。
灰銀色の前髪の隙間から、薄い色の瞳が、じっと俺を見つめる。
「……直接、見る」
「ああ」
「……ん」
ノアは、小さく頷いた。
そして、次の日には、俺の名前をすっかり忘れていた。
「……あ。観測対象H」
名前ではなく、記号で覚えられていた。
ただ、発信機だけは、俺のカーディガンの襟の裏に、貼りついたままだった。
◇
次に、獅堂ひなた。
「お腹、すいたっす……」
四回目の連れて行かれた時。尋問室に俺を運び込んだ直後に、獅堂ひなたが、へなへなと床に座り込んだ。
「購買のメロンパン、今日、売り切れてたっす……朝からなんにも食べてないっす……」
「朝、早弁してただろ」
「あれは朝ごはんっす。その後の二時間目の早弁が、早弁っす」
「……」
基準がわからない。
ぐうううう、と、小さな体から信じられないほど大きな腹の音が鳴った。
俺は、ため息をついて、鞄から包みを取り出した。
祖母が「育ち盛りだから」と、毎日弁当とは別に持たせてくれるおにぎりだ。二個入り。中身は鮭と昆布。
「……食うか」
「いいんすか!?」
獅堂ひなたは、ぱあっと顔を輝かせた。八重歯がきらりと光る。
それから、はっとしたように首を振った。
「だ、だめっす! 尋問中の相手から食べ物もらうなんて、護衛失格っす!」
「じゃあ、いらないのか」
「……いるっす」
即答だった。
獅堂ひなたは、両手で大事そうにおにぎりを受け取ると、一口でその半分を頬張った。
「んむっ……! おいひいっす……! この鮭、すっごいおいひいっす……!」
「婆ちゃんが焼いた」
「おばあちゃん、天才っす……!」
小動物みたいに頬を膨らませて、もぐもぐとおにぎりを食べる。
あっという間に二個とも平らげて、獅堂ひなたは満足そうにお腹をさすった。
「ごちそうさまっす! えっと……あなた、いい人っすね!」
「……そうか」
「そうっす! ひなた、いい人と悪い人は、匂いでわかるっす。あなたは、古い本の匂いがするっす。悪い人は、そんな匂いしないっす」
よくわからない理屈だった。
獅堂ひなたは、ふと、自分の小さな手のひらを見つめた。
「……ひなたは、頭悪いから。こういう、体を張ることしか、できないっす」
「……」
「凛ちゃんみたいに作戦も立てられないし、ノアちゃんみたいに機械も使えないし、紫苑ちゃんみたいにお話も上手じゃないっす。だから、強くならなきゃって、ずっと空手やってきたっす。……でも、強すぎると、人を怪我させちゃうから。いつも、怖いっす」
いつも明るい彼女の声が、少しだけ小さくなった。
俺は、初日に見た光景を思い出していた。
長身の一条先輩が、嘘みたいに綺麗な弧を描いて宙を舞い、ふわりと床に下ろされた、あの瞬間を。
「……初日の、一条先輩の投げ」
「え?」
「綺麗だった。あれ、全然痛くなかったはずだ。受け身も取らせないで、床に置いたみたいだった」
獅堂ひなたが、目を丸くした。
「それに、俺を運ぶ時も」
「え……?」
「四回、いや、もう七回か。毎回運ばれて、一回も痛かったことがない。どこも掴まれて痛くなかったし、どこにもぶつけられなかった」
米袋にされるのは屈辱だが、それは事実だった。
「怪我させないように、ちゃんと考えて力を使ってるんだろ。……それは、頭が悪いやつにはできない」
獅堂ひなたは、しばらくぽかんと口を開けていた。
それから、みるみるうちに、大きな目に涙が溜まっていった。
「……う」
「おい」
「うわああああん! あなた、ほんとにいい人っすぅぅぅ!」
「泣くな」
「ひなた、そんなこと言われたの初めてっすぅぅぅ!」
獅堂ひなたは、俺の腕にしがみついて、わんわんと泣いた。
尋問室の扉が開いて、氷室凛が「ひなた、どうした!?」と飛び込んできた時、彼女はまだ泣いていた。
「凛ちゃん……この人……この人、いい人っす……!」
「……何をした、貴様」
「おにぎりをやった」
「……」
氷室凛は、何とも言えない顔で俺を見た。
そして翌日、獅堂ひなたは、廊下ですれ違った俺を見て、「あっ、おにぎりの人っす!」と手を振った。
「えーっと、名前は……ハ、ハ、ハ……ハンバーグ?」
「灰原だ」
「それっす!」
まあ、そんなものだ。
おにぎりの人、としては、定着したらしい。




