おまけ 馬屋への逸走
蛇足感あふれる悪役?たちの事情。
「私が馬屋番!?」
代々、法務大臣を輩出する名門侯爵家の王都屋敷で、現当主の孫が叫んだ。正確には、王都屋敷の敷地内にある馬屋の前でだ。侯爵家の威勢に相応しく、王都の中心部にありながら10頭もの馬を擁する2階建ての大きな馬屋だ。
彼は閉会後に使用人に紛れて会場に戻った兄によって嵐の去った舞踏会から連れ戻された。馬車から下りるなり執事が寄って来て一人だけ馬屋に連れていかれ、馬屋番を命じられたのだ。
「お前はこれから侯爵家の馬屋番として生きるのだ。ほかに道はない」
背中にかかった祖父の声に思わず肩が飛び跳ねた。
「おじいさま! なぜ馬屋に?」
口に出してから愚問だと気付いた。馬車移動しかしない祖父が馬屋に顔を出す理由はない。しかもこんな深夜に。死刑宣告を言い渡しに来たのだろう。だが……。
「何故、馬屋番なんですか?」
「なぜ? わからないのか? 本当に?」
……わかっている。完敗だった。公爵に反論どころか、一言も発することが出来なかった。発したら、物理的に首がとんだ気がする。
だがそもそも、この婚約破棄は私の計画ではないし最初から躓きだらけだったのだ。
脳裏にあの迷場面があふれ出す。まるで走馬灯のようだ。
舞踏会前の控室で不貞腐れていた殿下が急に元気になったかと思うと、侍従を追い出して私を含む側近たちに告げた。会場入りしたら新成人を周囲に集めて、子爵令嬢も傍に連れて来るようにと。
今夜の主役である新成人は集めなくても一か所に固まるし、その中には当然子爵令嬢もいる。侍従は子爵令嬢を近づけるなとうるさいが、大勢の新成人が集まる会場で殿下の近くにいるくらい見逃されるだろう。その程度で式典をこなしてくださるなら、殿下の子供じみた反抗に手を貸すくらいお安い御用だ。私だけではなく側近の誰もがそう思ったはずだ。
だから殿下の御前に公爵にエスコートされた令嬢が現れた時、注目させろと言われても素直に従った。だって、婚約破棄宣言なんて飛び出すと誰が思うんだ! そこは婚約披露だろ?!
確かにゲームブックの選択肢にはあったさ! だけどあれはちょっとした遊び心と、殿下の無聊を慰めるための悪乗りであって、本気でやるなよ! せめて事前に打ち合わせしてくれ、止めたのに!
せめてゲームブック通りにしてくれよ……。なんで唐突に破棄? まず公爵令嬢の失点を上げ、その上で婚約破棄に繋げるはずでしょう? あと婚約破棄もしていない時点で子爵令嬢がすぐお隣にいるのも頂けませんが! そこは婚約破棄をしてからでしょうが! 順番!! 順番を守ってくださいよ殿下!!!
内心の恐慌を押しとどめ、あの場で倒れずにいた自分をむしろ褒めたい……。
殿下が、慰謝料を払うのはそちらとオウム返しに言い返した時には、その場に雷が落ちて殿下を吹っ飛ばしてほしかった! 自分も一緒に吹っ飛びたかった!
その選択肢もありましたけど、状況が全然違うじゃないですかあああああ! 違うルートの選択肢を引っ張りださないでくださいよおおおおお! 案の定、「穏便」につっこまれたじゃないですかああああ! いきなり婚約破棄宣言をして、どこに穏便さがあるのか、今なら殿下の襟を掴んで前後に揺らしながら聞ける! ちょっと馬屋の裏に来い、殿下!
いつものことなんだから、「ちょっと間違えた」と言って謝ってしまえばよかったんですよ! そういえば殿下は公の場では指示があるまで絶対に謝るなって教わってましたねえええ! 王家としてはそうなんだけど、そうなんだけど、今じゃねええええ!
しかも公爵令嬢の罪って何?! 私の知らないうちに刑法が改正された?! 罪を明らかにせよって何罪だよ?! もしかしてと思って自分のゲームブックミニを懐から取り出したけど、殿下の本はともかく、私の下書きミニブックにそんなの書いてあるわけがねえええええええ!
ゲームブックは全能じゃないんですよ、殿下。用意もしてない資料が出てくるわけないでしょう!
あのゲームブックだって想定問答集では単発の質問にしか答えられない殿下のための苦肉の策だったのに……。
「公にされて困るのはそちら」ってそんな選択肢もありましたね! 全然違う場面ですけど! 公爵令嬢相手でも公爵家相手でもなかったですよね! 小役人のちょっとした不正に気が付いた殿下が側近たちと協力して学生ながらも証拠を揃えて突き付けた場合のルートだったでしょうがああああ! 殿下が喜ぶからって、あんな小芝居選択肢を作るんじゃなかったあああああああああ!
国立国語研究院長と一緒に走り去りたかった。もう殺して……。
その願いは届かず法務大臣である祖父が召喚されてしまう。祖父がこの場を治めてくれることを期待したが、公爵と睨みあったかと思うとすぐに法務省に戻っていった。夜なのに。
終わった……。殿下の第一声で終わってはいたが、完全に終わった。
すでに虫の息なのに公爵は止まってくれなかった。次から次へと国を背負う大臣を筆頭に各省庁の長が糾弾されていく。
もはや私の手に負える状況ではない。私の手に負える状況だった場面が1秒もないが!
「婚約者は筆頭公爵家のご令嬢、婚約時の契約書において交際に王子の予算を使用しないという条項があるのではないかと愚考し……」
筆頭公爵家は王家よりお金持ちだから交際予算を全部負担する約束だと思いましたと言ったぞ、財務大臣が!
そうだった。筆頭公爵家は代々、王子・王女が降下する際に王家の財を持参金として与えられる。公爵令嬢が王家に嫁ぐのは、その財を持参金として王家に戻すと言う側面もあるのだ。それこそ何代にもわたり計算された緻密な計画に違いない。それを王子が一晩で全部ぶち壊した。ああ、全方向に想定の100倍やばい!
両陛下が入場すると各国使節団と我が国の貴族が一家丸ごと総退出する。待って、父上、母上、兄上! 置いていかないで!
成人おめでとう?! 成人として裁けるからですか、公爵! 私の誕生日は来月なんですが!!
はい、成文法における未成年も一人も逃がさない宣言いただきました!!! 俺たちに明日はない! 成人式を過ぎればもう大人だなんて思っていた頃もありました。子どもでした……。
おじいさまは法学史に名を残すのか。羨まし……くないな、ごめんなさい。こんなことがなければ、私も改革委員会の末端にでも加われたかもしれないのに。いや、こんなことがなければ、殿下の側近だった。
おふざけなどではないって殿下、全力でふざけておけよおおおおお! 誰か殿下の口にスイカを丸ごと詰めろおおおおおお! ああ、後半は置物だったっけ。置物に戻って! 繰り返すな、その台詞! どこからそんな台詞を引っ張ってきたんだよ! 私の知らないうちに側近の誰かが殿下のゲームブックに書き足したのか?! ギルティ!
おふざけなんです! あのゲームブック自体が全力でおふざけなんです! もちろん、殿下が臨機応変に対応できるように真面目にルート設定したものが大半ですけど、殿下を飽きさせないために、ちょっとした小役人勧善懲悪ルートとか、純愛悲恋ルートとか入れてみただけなんです!! ちゃんと悲恋にしてあったんですよ、私はあああああ!
おふざけでしたって謝れよ、殿下ああああ! 実は社交界デビューを祝した最終学年一同による渾身の舞台劇でしたって言っていいからあああああ!
いや、外交使節総退出の時点でどんな言い訳も通るとは思ってなかったけど、一瞬くらい夢を見させてほしかった……。
そして殿下には徹頭徹尾置物であってほしかった! どうして侍従が殿下を置物にしようとするのか、人権侵害じゃないかとか思っていてすみませんでしたあ! 事故は起こる前に予防する。それが大人なんだ……。
今さら、本当に今さら筆頭公爵家の有様を殿下に説く。だって知らないとか思わないだろ?! 権威とか財力とか、色々わかってたから公爵令嬢に反発してたんだと思うだろおおお! でも今日の様子では知ってるように見えない! まさか本気で知らないの……?
いやいやいや、あのルートはちょっとしたガス抜きでしょうが。権力や財力に物を言わせる婚約者をはねのけ、無力な少女と添い遂げるかっこいい王子とか、いずれは公爵家に変わって王子と側近の私たちが実権を握っていくとか! ちょっと夢見たっていいじゃない? 本気でやるなよ! やるならもっと現実的な選択肢書いたよ!
結婚した後、尻に敷かれる程度ですめばまだいい。もう馬車に轢かれて亡き者にされそう……。
まだ成人していない……?
公爵の温情に息を吹き返したのも束の間、身も蓋もない王家の真実暴露が待っていた。国の恥部を暴露するために外交使節団の退出を待っていたんですね。わかります。
もはや殿下と公爵令嬢との結婚はないし、私たちの未来もない。わかってしまった。ああ、令嬢になって気絶したい……。
公爵令嬢の初恋。ふっ、負けたな、完敗だ。ここは、初恋の悲恋に同情してかっこよく身を引くところですよ、殿下。ちょっとそれ浮気ちがあああああう! やめて人生初のアドリブ発揮しないで! どこで見たの、その台詞ううううう!
殿下あああ! 貴方のHPはもうマイナスです! お墓に入って! 今すぐ! この舞踏会だったはずの狩り場が終わるまでえええええ! あとで復活させるからお願い……。
走馬灯に予想外のダメージを食らって自分が墓に入りそうだ。馬屋が私の墓か。今となっては妥当だな……。
「お前の籍を我が家から抜いておく。これからは一使用人として侯爵家に仕えるように」
思いつめた表情の孫に厳しい態度をとりつつも法務大臣の胸は後悔でつぶれそうだった。
孫はまだ若く物事の一面しか見えていない。議会で険悪な政治家同士は人生のあらゆる面で不倶戴天の敵だと思っていたのだろう。たとえば公爵と私だ。
政治家、しかも省を率いる大臣同士ならば、互いの省庁の利害をかけて議会で言葉の刃を突き付けあうことは珍しくない。それでも国外に向かっては共闘し、また私的な場においては称えあい、労いあう関係だと知る由もなかった。法務大臣は1世代も若い公爵と20年来の戦友だったのだ。
その視野の狭さに気付きつつも、学生ゆえの未熟さと微笑ましく見守っていた祖父の自尊心は粉々に砕け散った。猿芝居の助演男優が自分の孫なのだ。恥辱どころの話ではない。
わし、明日から、どんな顔をして法務省に出勤すればいいんじゃ。
衝撃のあまり、思考に方言が混ざっていることにも気づかない。声に出ていないあたりは流石の年の功だ。
政治家とはどういうものか何も教えてやらんかった、わしが悪かった。世の中には決して敵にまわしてはならん人間がおるのじゃ。年若いお前にはわからなかったじゃろう。公爵とわしは議場の好敵手と目されておるが、実際は違う。公爵一強では独裁と化すゆえに、牽制し合う関係を演出しておるだけじゃ。わしに筆頭公爵の政敵など力不足よ。
公爵は人の心を操る悪魔じゃ。王宮にも法務省にも公爵の同調者や協力者がどれだけいるか数えきれん。しかもその本質は恐怖による支配ではなく懐柔による支配じゃから質が悪い。
今宵の件ですら、殿下と不貞相手は儚くなりはしないじゃろう。いつでも目の届く離宮でぬるま湯につけられ、幸せに生かされる。公爵が甘いからではない。後顧の憂いを断つなら、苛烈な罰で相手の恨みを募らせるより懐柔して牙を抜くべきだからじゃ。
そうじゃ、他の側近候補たちの家に、そこそこで許して迎えてやるよう連絡しておかねば。放逐されたところで公爵が拾って子飼いにするだけじゃが、主犯格に近い我が孫より罰が重くては寝ざめが悪い。みすみす悪魔の信奉者を増やすこともないしのう。馬屋番と公爵の子飼い、どちらが幸福かは難しいところじゃが公爵に対して反省の色は示さねばならん。きつい仕事を与えてこそ許されるのじゃ。
そうさな、慶事の恩赦、公爵の戴冠あたりが適当じゃの。今度の譲位は1年でとはいかんだろう。2年後なら反省の度合いとしてもちょうどいい。
まったく、今宵は肝が縮んだわ。猛獣の前で子猫が爪を研ぐなどと、恐ろしくて見ておられんかった。他の親御たちも皆そうだろう。甘く考えておったわしらの責任じゃ。
お前にすれば我が侯爵家の嫡男の嫡男でないことがコンプレックスだったんじゃろう。
殿下は陛下に似ておっとりした方であるから、継ぐ爵位のないお前には殿下の側近はいい仕事だと思ったのじゃが、こんなことになるとはのう。我が侯爵家が法務大臣を歴任しているのは偶然であって血筋は関係ないし、お前は器じゃなかったとはっきり言ってやらんかったわしの責任じゃ。
これから、わしは馬車馬のように働いて、公爵の寛恕を請う。だからお前も馬屋番を立派にこなすのじゃぞ。孫から馬子になっても、わしはお前を見捨てはせん。我が侯爵家には馬子が荷運びに使うような駄馬はおらんが、下積みから始めさせるという意味じゃ。そのくらいせんと、公爵に申し訳が立たないからのう。
ただし孫娘を後始末婚の危機に晒したことは許さん。だからちょっとした仕置きじゃ。
「言い忘れた。お前、側近と言っていたが、全員まだ側近候補であって側近ではないぞ」
「はああああああああ?」
聞いてませんけど!!! 今まで側近面してきたの何だったの?! え、恥ずかしいいいいいい!
その後すぐに馬屋の2階に連れていかれ、夜会服から使用人の服に着替えさせられた。身に着けた服はごわついて肌に痛い。
馬屋の2階の小さすぎる部屋には寝台があり、今日からここで寝ろと言われた。硬すぎて直接床に寝ているのとかわらない気がする。ごわつく服に硬い寝台、体を傷めて明日は起き上がれなさそうだ。でも心のほうが痛い。
殿下……、いいからちょっと馬屋の裏に来いや!
成人の洗礼は超辛口でした。大人はみんな辛党だから仕方ない。
法務孫が吠えすぎて、モブだった他の側近候補と王子の話が入りませんでした。次は超短いはず。バランス? 何それ栄養食?
++++++++++++
誤字訂正くださった方、ありがとうございました。
憂いを発生させてた……。
2026/06/09 誤字訂正
後顧の憂いを発つなら→後顧の憂いを断つなら
++++++++++++
2026/06/09 文章修正
悪魔の信奉者を増やすこともないしな。馬屋番と公爵の子飼い、どちらが幸福かは難しいところじゃが公爵に対して反省の色は示さねばならんからの。
↓
みすみす悪魔の信奉者を増やすこともないしのう。馬屋番と公爵の子飼い、どちらが幸福かは難しいところじゃが公爵に対して反省の色は示さねばならん。
こんなことになるとはな。法務大臣を
↓
こんなことになるとはのう。我が侯爵家が法務大臣を
これからわしは馬車馬のように働いて、公爵の寛恕を請う。だからお前も馬屋番を立派にこなすのじゃぞ。孫から馬子になっても、わしはお前を見捨てはしない。うちには駄馬はおらんが、楽な仕事はさせん。公爵に申し訳が立たないからのう。
↓
これから、わしは馬車馬のように働いて、公爵の寛恕を請う。だからお前も馬屋番を立派にこなすのじゃぞ。孫から馬子になっても、わしはお前を見捨てはせん。我が侯爵家には馬子が荷運びに使うような駄馬はおらんが、下積みから始めさせるという意味じゃ。そのくらいせんと、公爵に申し訳が立たないからのう。
コンプレックスだったんだんじゃろう→コンプレックスだったんじゃろう




