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国立国語研究院長の力走

「注目せよ!」

王城の舞踏会で、第一王子に侍る側近が声を張り上げた。

招待状に説明のない事態に、舞踏会の出席者たちがざわめく。

ざわめきが小さくなると、王子が一歩前に踏み出た。王子の前方には、婚約者である公爵令嬢が立っている。


「諸侯たちに告げる! 今、この場を持って、第一王子たるこの私は、公爵令嬢との婚約を破棄する!」


第一王子の朗々たる声が響き渡った。

王城の絢爛な大広間に、第一王子の王家に相応しい盛装と美しい容貌も相まって、あたかも王立劇場の舞台のようであった。

さざめきが、しん、と静まり返る。


「各国の大使方も出席なさる王城の舞踏会の場で」


王子がさらに口を開こうとした時、王子とは違い年齢を重ねたゆえの深みを持った声が、無音の大広間に響き渡った。

想定していた公爵令嬢からの泣き言ではなかったことに、王子が固まる。


「我が公爵家になんの相談もなく、家長たる国王陛下ではなく第一王子殿下から、家長たる公爵家当主のこの私ではなく我が娘に、一方的に婚約破棄を宣言なさるとは」


その声は読点ごとに区切るようにゆっくりと続く。会場の全員がその意味を余すことなく咀嚼できるように。


「慰謝料だけでも相当の金額となりますが、並々ならぬお覚悟のようですな、殿下」


舞踏会の場に婚約者の王子が付き添わなかったため、父である公爵が令嬢の付添を務めていた。公爵夫人は親族の青年を付添として入場している。いずれ領地の代官の一人となる青年の紹介を兼ねていた。

令嬢の傍には公爵がいたが、王子の目には令嬢しか入っていなかった。


「穏便に済ませてやろうとした心遣いを台無しにするとは。慰謝料を払うのはそちらだ!」


公爵の言葉を最後まで聞いてしまった王子が、急いで反論する。


「穏便に済ませようと、各国からの賓客やわが国の貴族が集まる会で、一方的に婚約破棄を申し立てたのですか」


王子の中では、問答無用で令嬢を取り押さえ収監しないだけで穏便なつもりだった。しかし公爵の言を聞いて、いや聞かなくても、そう考える者がいるだろうか。


言葉を間違えた。早く、公爵令嬢の罪を明らかにして、自らの正当性を証明せねば。

王子が口を開く前に公爵が続けた。


「どうやら、殿下と我が公爵家では穏便の意味が違っているようですな。国語にこのような齟齬があるとは外交でも内政でも大問題となりかねません。早急に国立国語研究院に回答を求めねばならないでしょう。研究院長殿はいらっしゃるか!」


公爵の言葉に、舞踏会の人混みが割れ、王子と公爵から研究院長への道が開かれた。出席者の視線に押された研究院長が、今にも倒れそうな顔で牛のようにゆっくりと歩み出てくる。

ほかの研究院と変わらず、国立国語研究院も院長は貴族の名誉職であるため、この場を切り抜けられるほどの弁口を持ち合わせてはいなかった。


「これは院長殿、お呼びたてしてしまい申し訳ない。是非、国立国語研究院の見識をお聞かせ願いたい。ことは外交や内政にも関係してきますから、この場で大使殿方にもはっきりと示しておかねば、我が国との外交関係に支障が出かねません」


政治や外交の場では、ささいな言質を最大限に利用される。仮にも第一王子が公の場で発言したことなら無かったことには出来ない。ましてここには各国の大使がいるのである。公爵が言葉にした以上、玉虫色で済ませることはできなかった。

「有識者会議で議論し、後程回答します」という伝家の宝刀を取り上げられた研究院長の顔は、もはや土気色となっている。


「……穏便とは、角を立てずに穏やかに行うこと、または、手軽なこと、便利なことをさします」


震える声で院長が単語の解釈だけを端的に答える。その目は見開かれ、瞬きすら忘れたかのようだった。


「私の知っている通りです。国語辞書にもそう記載されているはずですな、院長殿」


「その通りです。それでは御前を失礼します」


公爵の話はまだ続く気配はあったが、研究院長は自分の仕事は終わったと言わんばかりに胸に手を当て礼をして素早く後ろに下がった。先ほどの牛歩はどこに行ったのか、後ろ向きの見事なすり足であった。

閑職にしておくには惜しい身のこなしである。


「私には、殿下のなさりようは我が公爵家だけでなく全方面に角を立てているように思われますが、いかがでしょうか」


王子の顔を真正面からとらえた公爵が口を開く。

自身から視線がそれたことに、研究院長が胸に当てたままだった手を撫でおろした。短距離走でもしたかのように息を荒げる院長を咎める者はいない。


穏便ではなかったと認めれば、その問題だけは王子の失言で終わらせられる。しかし、収監しないことで恩情をかけ、自分の懐の広さを知らしめたつもりの王子は、自分の失言とは思わなかった。


「そなたの娘の罪ゆえに、これでも穏便であり恩情であったのだ! もはやかける情けもない! 公爵令嬢の罪を明らかにせよ!」


王子が傍に立つ側近に命じる。側近が書類を読み上げようと開く。


「我が娘に罪があると仰るならば、一方的な婚約破棄よりも、正式に捜査機関もしくは裁判所に告訴告発すればよろしいこと。なぜ各国大使や我が国の諸侯を招いた王家主催の舞踏会で、子供のように声を張り上げるのでしょうか」


「訴えなかったのはそなたの娘への恩情であったものを! 公にされて困るのはそちらだろう」


諸侯や各国大使の前で断罪し、公爵令嬢と公爵家を完膚なきまでに叩きのめそうとしていた王子が吠えた。捜査機関や裁判に訴えることなど微塵も思い浮かばなかった。臣下の罪など、公の場で自身が口にすればそれで有罪だと考えていた。

側近たちも、他の方法では公爵の裏工作で有耶無耶にされかねないと賛成した。王家が公爵家より権力も権威も上であるにも関わらず、なぜか市井の力無き者の手段を取った。


「ありもしない罪でも、裁判に訴えられればこちらも法にのっとって反論できますが、このような一方的な婚約破棄と罪とやらの告発では娘は反論も許されなかったでしょう。どうやら、殿下と我が公爵家では恩情の意味も違っているご様子」


「恩情とは情け深い慈しみの心のことでございます!」


公爵が国立国語研究院長の下がった先を見やると、修羅場に呼び出される前にと研究院長が叫んだ。さらに間、髪を入れず言い募る。


「申し訳ございませんが、体調が優れませんゆえにこれにて失礼させていただきます。以降は、国立国語研究院に紙面にてご質問ください」


主催たる国王夫妻の入場前に退場するなどあり得ない不作法ではあったが、もはや背に腹は代えられなかった。脂汗を滝のように流し、顔も土気色をしているため誰も責めはしない。


「体調不良にもかかわらず真摯な回答を感謝する。研究院長殿、ご自愛なされよ」


公爵の回答を背に院長は風のように走り去った。

体調不良など微塵も感じさせぬ、見事な力走だった。

国立国語研究院長のためにも、ここで終わったほうがいい気がする。

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