第85話 アフターエピソード(6)チョコレートケーキ・リベンジ(2)
厨房にやってくると、そこには既にガトーショコラ用のお菓子作りセットが完璧に用意されていた。
アストレアは国難に立ち向かう女王であり、決して暇をしているわけではない。
今日のチョコレートケーキ・リベンジ計画も、何とか捻出したスキマ時間を利用していたため、準備に余計な時間を使うわけにはいかなかった。
その辺りのことを正しく理解している王宮のシェフは、アストレアのために完璧なお膳立てをしてくれていた。
「それでは早速始めますね。まずはメレンゲ作りです」
アストレアは卵を3個割って、卵白だけをボールに入れると、ホイッパー(泡立て器)を手にカチャカチャと甲高い金属音を立てながら、やや不格好に泡立て始めた。
アストレアの動きを見て、リュージはすぐに不慣れを見抜く。
「メレンゲ作りは単純作業で力仕事だ。コツもいる。俺が代わろう」
リュージはそう言うと、アストレアの手からホイッパーを取ると、チャチャチャチャチャと軽快に泡立て始めた。
手首のスナップを絶妙に効かせながら、空気をたっぷりと含んだメレンゲをテキパキと作り上げてゆく。
「ふわわっ! これはまた、見るも鮮やかやな手際ですね。実に素早く正確です」
「卵白がまだ混ざっていない間は、強い力は必要ないんだ。手首のスナップを使って軽い力で混ぜるといい。こんな感じで」
リュージは手を動かすスピードを落として、ゆっくりと分かりやすく実演してみせる。
「ふむふむ、なるほど。手首のスナップがポイントなんですね。こうやってじっくり見るとよく分かります。それにしても上手なものです」
「姉さん直伝なんだ。姉さんは普段は優しかったんだが、算術とケーキ作りにはうるさくてさ」
「これは思い出がいっぱいに詰まった大切な技なのですね」
アストレアが少ししんみりとした口調になったのを聞いたリュージは──リュージには特にそんな意図はなかった──最後に高速でホイッパーを動かしてから、手を止めて、
「よし、できたぞ」
しんみりとした雰囲気を吹き飛ばすような明るい声と、にっこりと笑みを浮かべながら、メレンゲで綺麗なツノを立ててみせた。
「ふわわっ! 綺麗にツノが立っています! 料理の本にあったイラストとそっくりです!」
アストレアも、空気を明るく変えようというリュージの意図を察し、少し大袈裟な様子で驚いて見せる。
言わずともお互いに相手を思い合う。
深い相互理解に基づいた強い信頼関係がそこにはあった。
その後も、
「時間が経ってチョコの温度が下がっているな。これじゃ綺麗に生地に混ざらない。もう一度チョコを湯煎しよう」
「そうですか? そこまで冷えてはいないと思いますけど。温度ってそんなに大事なんでしょうか?」
「レシピ通りに作って失敗するのは、ほとんどの場合、温度が原因だ。初心者がおろそかにしがちな、一番ミスりやすいポイントだな」
「な、なんと! 勉強になります!!」
「チョコは焦がすと使い物にならなくなるから、温度管理はしっかりな。熱すぎず冷たすぎず。棒温度計とにらめっこだ」
「ここでも温度ですね! 1に温度、2に温度。3、4も温度で、5も温度です!」
「いい心意気だ」
などと、リュージはかつて姉のユリーシャから教えられた知識やテクニックを余すところなくアストレアに教えながら、仲睦まじく2人でチョコレートケーキを完成させた。