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エ口同人誌みたいな恋がしたい  作者: 眼鏡っ娘至上主義クラブ
23/23

番外編 津村

過去編

 その夜は、黒色の絵の具を一心不乱にぶち撒けたかのように暗かった。分厚い船ような雲に覆われて、空から降る光はなく、人類が生み出した叡智の結晶である電気なんて物はその土手沿いを照らしてはいなかった。

 藤村は一人歩いていた。夜の中をただ惨めなちっぽけな気持ちで。

 逍遥は藤村にとっての慰めであり淫逸であった。彼は泣きたい気持ちになりながら、落涙さえも奢侈を尽くしているような嫌味な気分で薄く笑っていた。

 暗い土手を通り抜けるとあの嫌ったらしいLEDの街灯が現れた。その光線は目の奥に突き刺さるようだった。

 大きな橋だった。大型のトラックが走り抜けると橋そのものが唸っているようだった。自転車のベルが後ろから響き藤村は端の方へ体を寄せ、塗装が剥がれかけた欄干に身体を預けた。

 真っ黒な、吸い込まれそうな川を見下ろした。

 辺り一体が明るくなり、その川の中に美しく小さい控えめな満月が現れた。藤村はハッとして空を見上げた。満月はぬめらんとそこにあるだけだった。それが彼にはどれだけ嬉しかっただろうか。もう一度水面の中の月を見た。

 ベートーヴェンもこんな気持ちで月光を描いたんだろうなぁ。しみじみ想い、溢れた涙を人差し指で水面の月へと弾き飛ばした。

 彼はもう、大丈夫だった……。







 チャイムが鳴り授業が終わった。机に突っ伏していた藤村は席から立ち上がり廊下へと出た。


「おい藤村、授業くらいちゃんと起きて受けろよ」楓は笑いながら気安く肩を組んだ。


「俺はいいんだよ」ぶっきらぼうに言い放った。どうせ高校なんか行かないしな。そこまで言うと楓が五月蝿いので口には出さなかった。


「ま、確かにな。藤村が本気を出せばテストで点を取るくらいは簡単だろうし」爽やかに笑っていた。


「なんだ、嫌味か? 俺のこの前の順位知ってるだろ」


「本気だって。な、嶋咲もそう思うだろ?」


 丁度隣の教室から出てきた嶋咲と安部に向かって話しかけた。


「あっ、えっ、う、うん。私もそう思うよ」いきなり話しかられて驚いた嶋咲は取り敢えず同意をしてみせた。


 とは言え、嶋咲は授業が終わって直ぐに教室を出ると、高い確率で二人が他愛もない話をしているのを知っていた。あわよくば藤村と話をしようと思って、親友の安部の手を引いて急いで廊下へ出ていた。

 そんな女子は多く、彼らの周りには気を伺ったグループがいくつか屯ろしているのが日常だった。ただ、嶋咲だけが異端であり、彼女を除く他の乙女の視線は楓へと注がれていた。


「おい、困ってんじゃん」藤村は楓を肘で小突いた。


「いや、藤村が真面目に勉強すれば、テストなんか簡単だよなって」


「うん、それはそう。私もうかうかしてられないかも」


「だよなぁ」


 二人は顔を合わせて頷いていた。

 藤村は二人が一緒になって自分を馬鹿にしているのだと思って疑わなかった。


「委員長は上から二番目だろ? 俺は下から二番目だよ。俺の下には日本語が覚束ないソヘラしかいなんだぜ」日本語を勉強中の外国人のクラスメイトの名前を上げた。


「ううん、私だけじゃなくて学年一位を死守し続けてる津島さんだって危ういよ」目を見開いて言った。


「俺を揶揄うのもいい加減にしてくれよ。俺が津島さんに敵うわけないだろ。あの文武両道、才色兼備の津村さんだぜ」


「凄いよね頭もあんなにいいし、女バスでも次期キャプテンって言われてるし、原宿に行った時なんてモデルとアイドルと女優のスカウト全部受けたらしいよ」


「すげえな、ブルーアイズアルティメットドラゴンじゃん」


「え、ブルーなんて?」


「ああ、ごめん。俺たちの間では役満じゃなくてブルーアイズアルティメットドラゴンって呼んでるんだよ。麻雀やんねえから」


「よくわからないけど、長くて不便じゃない?」


「でも凄いよな。そんなチヤホヤされてたら勉強なんて馬鹿らしくなってやらそうだけど、俺ならぜってええやらねもん」


「今だってチヤホヤされてないけどやってないじゃん」嶋咲の隣にいた安部が呟いた。


「なあ、あまりきついこと言わないでよ」情けない声だった。


四人はゲラゲラ笑っていた。


「でも津島って学年主任の上田と寝てテスト問題を事前に横流ししてもらってるんでしょ」心底人を馬鹿にしたような話し方で割り込んできたのは杉村という女だった。


 彼女は性格は最悪だが見た目こそ麗しく、学校のカーストの上位に君臨していた。今も女王様気分で手下の様に二人のクラスメイトを左右に侍らせていた。

 女の世界で生きる嶋咲は関わってもなんの意味もないどころか、身を滅ぼしかねないことを知っていたので気配を殺し身を引いて後ろへと下がった。これが彼女の処世であった。

 あの賢い嶋咲が危険視する女よりも、陰口を言われる津島の方が余程頭が良く、身も心も麗しかった。彼女もカーストの上位に存在するが、ただ、何より性悪の杉村は政治と人身掌握に長けていた。そのせいで誰も彼女に逆らうことはできなかった。そして杉村の憎悪は津島に向けられていた。目の上のたんこぶだったのか、楓からの評価を貶めてやろういう魂胆があった。


 嶋咲は後ろに下がって藤村たちを見た。彼らがいる曲がる角の反対側の影には、津島が黙って立っていた。彼女は悲しそうな顔をして唇を硬く結んでいた。

 嶋咲は申し訳なく思った。自分が津島の名前を出してしまったせいで、津島とそれに敵愾心を持つ者を同時に集めてしまったのだと。


「お前、下品だよ」周りがただ顔を顰めるだけの中、平気で言い放つのは藤村だった。藤村はカーストなどには囚われなかった。「お前だって嫌だろ。自分が努力したことにそんな根拠のないデマで泥を塗られるのは」


 楓の顔がパアッと明るくなった。見よ! こいつが俺の親友だ! そう喧伝しながら抱えて学校中を走り回りたい気分だった。


「は? なに、あんたあんなぶりっ子のことが好きなわけ?」


「なんでそうなるのかなぁ。一回も喋ったことないのにな」心底呆れて呟いた。


「男ってなんでああいうぶりっ子に騙されて肩を持とうとするのかな。性格最悪で周りのこと見下しまくってるのに。本当馬鹿だよね」


「いや、俺はこの前補習で視聴覚室にいた時、津島さんが鼻血出した後輩の女の子を自分が汚れることも厭わずに介抱して、保健室に連れて行ってるところを見たけどね。女バスの後輩の子なのかな、津島さんなんて自分の体操服が血だらけになってるのにその子を支えて歩いててさ。俺はナイチンゲールの生まれ変わりなんじゃないかと思ったね」


「見た目がいいからってそうやっていい面だけ見てチヤホヤするの良くないと思うよ。結局見た目なんだよね」鼻で笑い冷たい目線を流した。


「だからさ、そうやって津島さんの優しさを無碍にするのは良くないよ」


「だから、自分が可愛いことを理解してて、そういう一面だけを見てもらえることを理解してるから、見せびらかす様にイイコトをするの。そしてあんたは見た目の良さにまんまと騙されてるってわけ」


「いや、いい事してたらあいついい奴だなって思って覚えてるだろ。見た目に関わらず」


「本当、男ってそういう嘘平気でつくよね。笑っちゃうんだけど」左右の手下に目配せをした頷かせた。


「佐々木はこの前給食の時に溢れたスープを誰にも言われずに拭いてくれてたし、吉田は職員室に用があるからってみんなのノートまとめて職員室に運んでたじゃん」杉村の手下の二人の名前だった。「杉村だって自分の友達が彼氏と別れたって落ち込んでた時にはすごい親身になって寄り添ってただろ。それなのになんで周りを攻撃するんだよ、少しでもその本来の優しさを周りに分けてやればいいだろ。そうしたら皆がお前を尊重して対等に扱ってくれるはずだよ」


 藤村は真正面から見据えて言った。三人は面食らって何も言えなくなっていた。陰から見ていた嶋咲は拍手でもしたい気分だった。


「いや、確かに三人とも可愛いから俺が良い一面を見てるってだけの可能性はあるのか、お前の理論なら。じゃあ、誰でもいいから名前言ってみろよ。俺が良いところ答えてやるから」食い気味に言った。


「良い奴はお前だよ」楓は嬉しそうに藤村の髪をわしゃわしゃと撫でた。


「やめろよ」楓の手を払った。「俺は真剣なんだよ。可愛いからって自分の努力がそれだけで否定されるなんて可哀想だろ。俺は外見に関わらずその人の精神を尊重するよ、そうすることが自身の精神を育てるための一番の近道だからね。だって肉体の檻から解き放たれてその精神が貧弱だったら、見た目が悪いことよりもよっぽど情けないだろ? 見た目は変えられないけど、精神はどこまでも変えられるんだぜ」熱く語った。


「でも、生まれ変わったら藤村になりたいって人はいないけど、津島になりたいって人はたくさんいるわけ。それだけ見た目によるメリットを享受してるんだよ」杉村はなんとか言葉を紡いだ。


「だからって人格を否定していい理由にはならないだろう。それにその理論ならこんな生まれでデメリットだらけなのに一生懸命生きてる俺がみんなから誉めそやされてないとおかしいだろ! あと、勝手にゼロにするな、もしかしたら俺の人生を送ってみたい物好きがいるかもしれないだろ!」お得意の自虐ネタ。ここまでくれば後はもう藤村のペースだった。


「俺は藤村になって見たいけどな。アシュケナージが弾くベートーヴェンのムーンライトソナタ? だっけ、あれ聞いて感動して泣いてただろ? 俺にはない感受性だなって思ってさ。もしかして俺とは全然違う曲が聞こえてるのかもしれないって」


「おい、やめろよ。俺が痛いやつみたいだろ」


「痛くねえけどな。まあでもあんま人の悪口なんて言うもんじゃないよ。聞いてる方もいい気はしなしい、藤村が言った様にせっかく可愛いのに自らその価値を下げるなんて勿体無いよ」輝かしい笑顔で言った。


 さっきまでの威勢は何処のに消えたのか、杉村は顔を真っ赤にして俯いた。もう彼女の中に言葉は無く、喜びだけが存在していた。


「おい、結局見た目じゃねーか」やれやれとでも言いたげな様子で、その美しい男のワンパンチKOを眺めていた。「そういや俺はションベンに行きたかったんだ、いい加減離してくれ」肩に組まれた手を外した。


「俺も行くよ」


 曲がり角に隠れていた津島は自分がいる先に便所があることを思い出し、急いで目の前にある社会科準備室へ駆け込んだ。

 二人の声が遠ざかると社会科準備室の扉がゆっくりと開いた。津島は恐る恐る周りを見渡し廊下に出て、嶋咲の横を通り抜け自分の席へ戻った。

 嶋咲は机に肘を立て手の平で顔を覆い尽くす津村の様子を静かに眺めていた。ようやく顔から手を離した津村の顔は赤く火照り、悩ましげな溜息を吐いた。

 嶋咲は自分のライバルが一人増えたことを確信した。


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