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鉄の国

人を殺めた為首を吊った。それだけなので必要以上にドラマティクにするのは気が引ける。

自死を図ったのも罪悪からではない。獄中に入るのをひどく嫌ったからだ。私は自由を愛する。獄舎の壁のシミを数える事と死を天秤に掛け、死があまりに軽い事に気付いてしまった。

殺めたのも人と呼ぶのも贅沢なクズであったから、私は私を悪い人間と思わない。よい人間とも思わないが。

本題は首を吊った後だ。私の自宅は2階建てで上の階は小さなフリースペースとなっている。私は2階にあるフリースペースの支柱に縄を縛り、その縄を私の首に掛けた。割に広い家を買った、ここも事故物件になってしまうのか、と感慨深く思い私は踊り場の柵を越え下に飛び降りた。最後にメキッと快音が響く。これにて東清志郎(あずま きよしろう)の生涯が終幕に覆われる筈であった。

いやしかし、おかしい。いやな匂いがした。いや臭いと表したほうが良いか。良い匂いなら匂い。臭ければ臭いである。そうと決まっている。そう、これは鉄と油の臭いだ。しかもどこで嗅いだものより強い。大和のエンジンルームさえ凌駕するだろうか。実際それを嗅いだことはないが、故にこれは嗅いだことのない程の異臭である。だが、この場合異臭などもはやどうでも良いのだ。臭いがするというのがどれだけの奇異か。

私は目を明けてみることにした。目が明けなければ死んだということだ。そして死んでも知覚と嗅覚はあるという発見をしたことになる。それならば嬉々として論文を書いてやるつもりだ。死後にも学会などというものがあるなら私と共にその論文を成仏させてやると良い。しかし明けてしまえばどうだ。

明かりがともった。私の魂はいかれてしまったのだろうか。自死に失敗したか。これは死ぬ前に脳が起こした壮大な夢か。様々考えが逡巡。後、目の前に居られる人間に気がつく。

耳がはっきりしてきた。透明な聴覚が濃霧となりやがて実態を帯び始めた。けたたましいスティームと金属のぶつかり合う軽快な敏音だ。そして目の前の人間、ひいては女性が何を言っているかも聴こえだした。「聴こえますか。転移者様。うん、やっと瞳孔がこちらを向きましたね。」

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