第62話 貴族の嗜みは、疑心暗鬼。残飯で築くは、奇妙な友情。(前半)
再会の喜びが、潮が引くように遠ざかる。
入れ替わりに、ざわざわする不快さが、胸に広がった。
「――アスタ」
振り返る暇もなかった。
耳元に、オノレの低い囁きが滑り込む。
「一応、脳細胞の片隅に入れておきたまえ。この二人がスパイである可能性も、ゼロではないということをね」
「……オノレ、お前。何を言って――」
ジルもヘイホーも、大学の友人。
馬鹿げた雑談に花を咲かせ、未来を語り合った仲だというのに。
「可能性の話さ。王都は今、黒銀結晶の噂で持ち切り。そんな時期に駆け付けた、特異技術を持つ専門家。いかにも無害そうな男。……深読みするのが、貴族の嗜みじゃないかね」
視線の先では、ジルが能天気に「お代わりっす!」とカップを差し出し、ヘイホーが捨てられた子犬のように僕を待っている。
こんな光景のどこに、そんな陰謀が潜んでいるというのか。
「ジルは、あのマクスウェル卿の養子だぞ。ヘイホーだって――」
「僕の見立てでは、ジルは二割。ヘイホーは……五分五分といったところかな」
オノレは、唇の端をわずかに吊り上げた。
「マクスウェル子爵家が、王室や軍部と密接なのは公然の事実。ヘイホーにしても、生活に困窮しているなら、誰かに小遣いを握らされていても不思議じゃない。もしくは……故郷の家族を人質に取られていたら?」
「…………人質」
「かくいう俺も、ラプラス伯爵家の利益を背負っている。この場の全員が、どこからの息も掛かってないと思うのは……あまりに純真が過ぎるよ」
なにも言い返せなかった。
長年、信じていたオコトギにさえ、ピンハネされていたと知ったばかりの僕には。
「あえて、君の親友として言わせてもらうよ、アスタ」
オノレが僅かに顔を離す。
その瞳は、コーヒーよりも深く昏く。
「君は一度でも身内だと定義してしまうと――鑑定眼が壊滅的に甘くなる」
何の感情も映していなかった。
***
早速、ヘイホーと別室で面談をしてみたが。
知った内容は、いかにも彼らしい情けないものだった。
「はー、ヘイホー。要するに、境遇に心が折れて逃げこんできたわけか?」
「言い方がひどすぎますよぉっ!?」
「言葉を変えたって、事実は変わらないだろ」
「それは……そうですけど」
ヘイホーは、ガックリと項垂れた。
「家族にも、申し訳が立たず。行き先もなかったところに、アスタ様からの手紙が届いたんです。まさに藁にもすがる思いでした」
「自分で出してなんだが、すごいタイミングだな」
「……これでもボク。地元じゃ神童と呼ばれて、村の期待を一身に背負ってたんですけどね」
実際、平民が王立大学に入学するというのは、並大抵の苦労ではない。
高価な学術書を、買う金などあるはずもなく。
本を借りては、昼夜問わず、一字一字書き写す日々。
貴重な男手が、労働力となることを投げ捨てた状態で、家族はなけなしの生活費を削って投資。
村の有力者までもが、期待の重圧を掛けて来る。
そんな苦行の果てに、難解な試験を突破――ようやく大学入学があるのだ。
「下手に手ぶらで帰ったら……間違いなく、村八分ですよぉ」
「お前のところも、そんな感じかよ」
学位脱落なんぞ、よくある話。
貴族の子弟なら「まあ、コネづくりの遊学だし?」で済むかもしれん。(僕は取る気だったけどな)
だが、平民にとっては死活問題。
平民にとっての学位とは、夢の階級昇格チャンスだ。それを不意にしたとなれば――まあ、以下略。
(とはいえ、行き先見つけたら中退して、ちゃちゃっと就職する平民もいるんだけどな。……結局、こいつの要領が悪いだけではある)
いくら勉強が出来ても、世渡りのステータスが死んでいたら人生詰む。
「ボクは、頑張ってたつもりなんです。毎日のように、教授に雑用を頼まれ。学生たちにまで、召使い扱い。食事は、皆様に給仕をして回り、ようやく、誰もいなくなった食堂で、冷え切った残り物を咀嚼する……」
うん。金のない平民は、みんなそうやって大学に籍を置くのだった。
だが、僕には流せない事情がある。
「あー。……で、その残り物をさらにこっそり持ち帰って、わけてもらうのが僕だったな。あの時は、ありがとうよ」
「そんなことしてる貴族、後にも先にもアスタ様くらいでしたよ! バレたら貴族の恥ですよ!」
「うるせえ! お前みたいな労働手段すら、貴族は禁じられてんだぞ! パトロンでもいりゃマシだが、コネなし辺境男爵家じゃ逆立ちしたって無理なんだよっ!」
「……自慢げに言わないでくださいよ」
貴族が働く手段はそう多くない。
なのに、王都の物価は、マジで貧乏貴族を殺しにかかってくるのだ。
だからこそ、僕もヘイホーに小さくない恩義を感じているわけで。
手紙を送ったのはこちらの方だし、もちろん力になってやりたいが――。
ヘイホーの愚痴は止まらない。
「というか、どうして普段の講義から、古エルフ語や古ドワーフ語で受けないといけないんですか!? 平民への嫌がらせですよ、あんなの!」
「そりゃお前……長命種の残した一次史料や、論文が読めないとお話にならないだろ(当然としか思ってない)」
「だからって、学術言語で日常会話まで強要することないじゃないですか! 論文執筆まで、古エルフ語指定ですよ!? その上、議論までやらされちゃついていけませんっ!」
「違う言語で、議論するのは外交官にだって必須なスキルだろうが。貴族社会はな、口喧嘩が上手い奴ほど、えらいんだぞ。口下手に人権などない(断言)」
「無理ですよぉ! 他言語で細かい機微なんてわからないし、もし貴族の皆様から不興を買ったりしたら、首が飛ぶじゃないですかぁっ……!」
「ビビんな。大学内なら、多少の舌戦で死ぬことはねーよ。大学特権ってやつだ」
本当に、度胸がない奴だ。思わず呆れる。
「法律上はそうでも、プライドを傷つけられたお貴族様が何をしてくるかわかりませんよね!?」
「はあ。僕は、相手の爵位が格上だろうが、一度も気にしたことがないっ!」
「アスタ様は、そうでしょうねっ!?」
「むしろ、議論の場なら、王太子すらボコボコにしていいからな。格上相手は、実にワクワクしたものだ(議論狂犬男爵)」
「そこは、さすがに誰でも空気は読みますよ!? 寸止めって知ってますぅっ?!」
「もちろん、知っている。議論で手抜きするマナー違反のことだろ?」
「うわあ、相変わらずどうかしてますね。それで宮廷官僚を、本当に目指してたんですか? 将来の雇用主のはずですよね……?」
うるさいやつだな。
他国が会談で、王族だの庶民だのって手を抜いてくれんのかよ。せっかくの大学なんだから全力を出せ。
(でも、まあ、不慣れな平民学生にとって、言語センスの欠如が足かせになるのはわかるんだよな。下級貴族ですら、多言語や論理に触れる機会は多いのに)
公用語の読み書きが出来る程度だと、学ぶスタートラインにすら立てないのだ。
その上、公開議論も試験の一環。
公衆の面前での、わずかな詰まりが、評価転落に直結する。
どんなに頭が良くても、言葉の反射神経が弱い奴が、負けだ。
……僕は、そこが楽しかったんだけどなー。
自分より頭が良くて、地位のある奴に勝てる。
マジで、ストレス解消。
「ただでさえ、勉強できる時間も限られているのが、平民苦学生なのにぃっ! そんな無理難題押し付けないでくださいよぉ……あんなもの、公開処刑ですぅ」
「えっと、まあ。……平民って大変だよな(どんな言語でも口喧嘩できるタイプ)」
しくしくと咽び泣くヘイホー。
これ、もはや悲惨を通り越して、エンターテインメントの域だな。
つくづく、面白すぎる男だよ。世渡り下手なところに共感できなくもないし。
だが、それだけに。
オノレの言う通りだ……こいつ、隙だらけ過ぎる。
誰に付け込まれていても、全くおかしくない。




