第57話 淑女をやめた女。神に喧嘩売る男。
不毛の地ヤバマーズに突如として降臨した、美しくも苛烈な家政の女神。
もはや、誰かに依存するだけの壊れた人形ではなく――。
爪を大地に突き立ててでも、居場所から離れまいとする。
そんな躍動と執念を、リュスに感じていた。
(どう考えても、この超絶ハイスペック令嬢を切り捨てたのは、人生最大の不覚だろうよ。……なぁ、王太子殿下?)
あとは、せめて。
彼女の深い心の傷が、わずかでも……一ミリでも塞がってくれれば。
どこか祈りにも似た、そんな想いを込めて。
まじまじと、影ある美貌を眺めていると――。
ふいに、リュスもまた。何を思ったか。
吸い込まれるような暗渠の瞳で、じっと見つめ返してきた。
視線が、熱を帯びて絡み合う。
暗闇に呑み込まれそうな錯覚に陥り……ゾクリ、鳥肌が立った。
「な、なんだよ……。どうした、リュス」
「…………」
たまらず、聞いてしまう。
返事はない。
すると、リュスは手元の書類を、トントンと整えてから。
いきなり、懐へと飛び込んでくる。
さらりと流れるような動作で――むぎゅ。
「うひゃっ!? なっ、ななな……っ」
「失礼します、アスタ様。……少々、作業が立て込み。心が、ひどく乾いてしまったのです」
「……それはお疲れ様、だな」
挨拶代わりとなってしまった、抱擁。
伝わる、柔らかな重み。
掃除が行き届くようになった清潔な部屋で、その体温だけが、妙に生々しい。
「……リュス。誰かに見られるぞ。その、マズいんじゃないか?」
「なにが、マズいのですか?」
「そりゃあ、あれだ。貴女の淑女としての、体面であるとか……」
「構いません。わたくしは、もう――淑女であろうとは思っておりませんから」
「――っ!!」
「ええ、露ほども」
それは、自分を傷物だと蔑んでいるからなのか。
僕は、泣きたい気分になった。
公爵令嬢リュシエンヌが、守ってきた正義。気高い誇り。潔癖さ。
それを、今の彼女自身が「いらない」と切り捨ててしまうのが……たまらなく悲しかった。
どうか、かつての栄光や輝きを、諦めないで欲しかった。
「――そんな風に言うなよ」
「別に、わたくし。自暴自棄になっているわけでは、ありませんよ」
「そうではなかったとしても、だ。僕は……」
「……でしたら。わたくしを安らかにするための、戯言だと。そう、割り切ってくださいまし」
そんな簡単に割り切れる感情なら。
僕は、とっくに貴女を忘れていただろう。
それでも、僕は降参するように息を吐く。
リュスを突き放すことなど、けっして出来ないのだから。
「……アスタ様」
「なんだ」
「また、わたくしに……魔物肉をご馳走してくださいますか」
あまりに風変わりな要望だった。
そりゃあ、食べたいと言われれば……いくらでも用意するが。
「なぜ、そんなことを望む?」
「アスタ様が、わたくしのために手を尽くし、初めて用意してくださったものですから。……何度でも、あの味をいただきたいのです」
――なんて、殺し文句。
あの時は……魔物しかいない、この領地での苦渋の策だった。
そんな出来事さえも、リュスは精一杯の贈り物として、大切に抱きしめてくれている。
「魔物肉で喜ぶ乙女なんて、世界中探しても……きっと、君くらいだぞ。普通はもっと、花とか宝石とかさ?」
「わたくしの命のためにと、面倒な手間をかけてくださる御方がいる。それが……これほど幸福なことだとは知らなかったのです。ですから、どうか――」
「わかった、わかったから!」
さらに、ぎゅっと腕に力がこもった。
「……あんなもんでいいなら、いくらでも作るけどさ」
「嬉しい」
気のせいだろうか。
向けられる感情が、以前よりもどろりと甘く……より身動きが取れなくなるほど、重たくなっている気がした。
いや、でも。これは今だけのはずだ。
(早く元気になってくれたらいいよな……そうしたら、いつか)
祓魔女リュスは……かつての公爵令嬢リュシエンヌに戻ってくれるのだろうか。
そんな穏やかながらも、どこか歪な時間の裏で。
次なる戦場が、着実に近づいて来ている。
それは、剣を振るう戦いでなく。
投資家という、欲深い狐たちとの、金を巡る化かし合い。
(リュスも、ロダンも、ゲロハルトも、領民たちも。みんながここまで必死に動いてくれているんだ。……ここで僕が結果を出せないなんて、万に一つも許されない――っ!)
でも、いつだって現実は非情だ。
ヤバマーズ再生の切り札――黒銀結晶。
その真価を世に知らしめるための、パフォーマンス準備は。
実は、未だ難航していたのだった。
***
薄暗い解体小屋は、仮初めの研究室だ。
ここで行われる実験こそが、僕らの未来――詰み切った領地の運命を決める。
「結論から言おう。――兵器としてのデモンストレーションは、最悪だ」
断言したのは、青い前髪をいじる、オノレ・ド・ラプラス。
手元にあるのは、鈍い光を放つ黒銀結晶。
この石コロに、資源としての市民権を認めさせる必要があるのだが――。
「いいかい、アスタ。商人たちは、いつだって現物主義だ。次に来るとき、彼らは必ず『証拠を見せろ』と要求するだろう。そして――」
「……商人は、魔導の専門家じゃない。小難しい理屈より、わかりやすい成果を好む」
「察しが良くて助かるよ」
必要なのは、素人でも気分が上がる。そんなド派手なパフォーマンス。
だが、その『形』が問題だった。
破壊力ある兵器か? 利便性がある道具か? それとも、効率的な燃料か?
「しかし。焔王家や聖王教会を刺激するのは、眠るドラゴンの尾を踏み抜くようなものだ。あまりに無謀がすぎる」
「お前が……ラプラス伯爵家が背後にいても、か?」
「それでも、だよ。今のヤバマーズは、政治的な後ろ盾があまりに脆弱すぎるんだ」
「でも、お前が綿毛の魔人を討伐した重要アイテムとして、もう王都に情報を流したんだろ。なら――」
「あくまで『聖王教会の精鋭を伴った、奇跡的な英雄譚』の添え物として、だよ。もしこれが『辺境貴族が独占する未知の超兵器』だと思われてごらん? 来週には、笑顔の徴収官ではなく、抜き身の剣を携えた軍隊が挨拶に来るだろうね」
「うわぁぁ……」
「疑うなら、試すかい?」
「最悪な度胸試しを、提案してくるんじゃねえよっ!?」
なんて、シビアなバランスだ。
王家の不興を買えば、製造権は強引に剥奪される。
僕は生涯、飼い殺しにされかねない。
最悪、ヤバマーズ滅亡というチェックメイトまであり得る。
リュスを守ることも……彼女の隣に居続けることも、出来なくなる。
「なら、平和的に――それこそ、生活を豊かにするように見せかけろってことか」
「そういうこと。既存の魔力資源……例えば、魔晶石の範疇を一歩もはみ出さないフリをしながら、利便性だけで既存の市場を圧倒するんだ」
「魔晶石か。ありゃあ、一部の特権階級にしか扱えない高価な宝石だろ。素人が触れれば魔素に曝露して最悪変異するし、加工にも錬金術師の高度な技術が要る」
「対して、この黒銀結晶は、驚くほど無害で安定しているね。まず、そこを最大の武器にするんだ」
理屈は簡単だが、実現は難解だった。
言っていることはわかるのだ。
だが、オノレが平然と言っているのは、本質的に――。
「でも、それって。魔力資源を……適性がない一般人にまで、扱える玩具にしろって言ってるようなものじゃねえか?」
「その通り! 話が早くて助かるよ、我が親友!」
「いや。それは……無茶だろ」
オノレが求めているのは、一部の天才や異能者による現象ではない。
魔導の資質に依存しない、万人にとっての普遍的な価値。
「無茶を通して、道理にしなよ。アスタ。君が選んだのは、そういう道だ」
「……本当に、そこまでやらなきゃダメか?」
「リュシエンヌが欲しいなら、ね。そも、魔導の本懐とは、世界の法則を解明し、コントロールしようとする傲慢な意志にある。今更、尻尾を巻いて逃げ出すのかい?」
わかりやすい挑発だった。
けれど、今の僕には、そんな安っぽい煽りに乗るくらいのヤケクソさが必要だ。
大口を叩けば、後には引けなくなる。
それこそがヤバマーズ流だ!
「――いいさ、やってやるよ。必要なら、神様にだって喧嘩を売ってやるっ!」
「あはは! 相変わらず、惚れ惚れするようなバカだね、君は」
すると、オノレは心底愉快そうに、感嘆を漏らしたのだった。




