第56話 男装執事の正論フルコンボ。僕の性癖フルボッコ。
まず、屋敷の匂いが変わった気がした。
「――そこ。左から三番目の窓枠、わずかに煤が残っています。やり直しですね」
「「「は、はいっ! 申し訳ございませんっ、マダム!」」」
廊下に響き渡る、毅然とした声。
村から通いで来ている女たちが、血相変えてキビキビと雑巾を走らせている。
今日のリュスも、いつもの法衣ではない。
なんと古い執事服をしつらえ直した、タイトな男装スタイル。
捲り上げた袖から覗く白い腕。手には羽ペンと帳簿。
公爵令嬢としては型破りすぎる。
だが、「わたくし、もう令嬢ではありませんので」と微笑む彼女には、どんな説得も無意味だった。
……恐ろしく頑固である。
「申し訳ありません、アスタ様。お見苦しいところを……」
「掃除の話? ……いやぁ、別にちょっとくらいなあ。そんなカリカリしなくても」
「いいえ。目の肥えた貴族や商人とは、そうした些細な弛みから、領主を値踏みするものです」
「そういうもんか……?」
「当然でしょう。埃だらけの屋敷を見て、誰が大金を預けようと思うでしょうか。清潔さは、信用の最低条件です」
「……仰る通りでございます」
祓魔女リュスが、家政女代行を自称してから、わずか数日。
かつては、「坊ちゃん、またそんな汚い格好してー」なんて、僕の頭をガシガシ撫で回していた肝っ玉母ちゃんたち。
それが今や、リュスが一瞥するだけで直立不動する。
(……ぐ、軍隊かよ。あの強情な母ちゃんたちが、なんて従順な姿に)
ネズミの運動場だった屋根裏は、根こそぎ掃討。
蜘蛛の巣がカーテン代わりだった大広間は、徹底的に磨き上げられていく。
「あー。リュス。その、あまり村の女衆をいじめないでやってくれよ?」
「いじめてなどおりません。彼女たちは、自身の労働に対し、正当な対価が支払われる真意を理解しただけです。――ね?」
リュスが氷細工のような微笑を向ければ、女たちは「へいっ! 頑張りますだ、マダム!」と勇ましく返事。いっそう掃除に励む。
「いや、僕にすらそんな態度とったことないだろう、お前たちッ!?」
あまりの変貌ぶりに、驚愕を禁じ得ない。
すると、リュスは窘めるように物申してきた。
「それから、アスタ様。甘やかしは、かえって彼女たちの誇りを傷つけます」
「……誇り、だって?」
「ええ。対価を受け取り、主人の生活を支える。それは立派な職責であり、格式ある立場です」
「こんなボロ屋敷に、格式なんて――」
「それをおやめなさい。主人の卑下は、家臣を貶めます」
「うぐっ……!?」
……正論。
あまりに真っ当すぎて、ぐうの音も出ない。
「互いの善意に甘んじ、なあなあの関係で済ませることこそ、人間の資質を腐らせる行為に他なりませんよ」
「……はい。そう、ですね」
「なれば、この屋敷を格式ある職場にすることこそ、主たる貴方様の仕事ではありませんか?」
「……不徳の致すところでした。反省します」
「ご理解いただけたようですね。ヤバマーズの人々は、どうにも労働の価値なるものを忘れていらっしゃるようですから」
正論コンボに、フルボッコにされた。
もはや再起不能。
リュスは満足げに頷くと、ふと顔を覗き込んでくる。
「わたくし、実は素直な男性が嫌いではありません。……ですが、その寝癖は直していただけますか? 男爵としての威厳が台無しです」
「あ、はい。……今すぐ直してきます」
「――お待ちを」
スッと、リュスが急接近。
細くてしなやかな指先が、襟元に触れてくる
「アスタ様。本来ならば、御着替えや御髪を整えるのも、仕える者の務め。……わたくしの裁量が至らず、申し訳ありません」
至近距離で、暗渠の瞳が捕らえて離さないっ!?
ドギマギと鼓動が跳ね上がる。
(待て。至近距離、男装美女執事っ!? 破壊力がデカすぎないか!? これ以上、僕の新たな性癖を開拓するのは勘弁してくれ……!)
そんな僕の内心など知る由もなく。
「……それでは、また後ほど」
リュスは一言告げて、鮮やかに転身。
風のように仕事へ戻っていった。
思わず見惚れたまま、目が離せない僕。
「ヤバマーズ男爵。そこをどけ、邪魔だ」
「うおっ!? なんだ、ロダンか」
「……む、このあたりの床板、僅かに軋むな。要修理だ」
廊下の角から現れたのは、聖騎士ロダン。
相変わらずの教会の居候だが、互いに協力し合う約束に基づき、まずは警備体制の見直しを、ゲロハルトと対応してくれている。
でも、それ、大工仕事じゃね?
「お前、なんで釘打ってんだよ? ゲロハルトはどうした」
「老執事殿か。リュスに、『執事の靴が汚れているのは、家主の恥です』と、指摘されたらしくてな。泣きながら磨いてたぞ」
「……本当に、リュスは容赦ないな」
「で、見てみれば、この屋敷。野良猫やらコウモリやらが侵入している有様。警備体制を語る以前の問題であったからな」
そう言うと、ロダンは巨躯を折り曲げ、ガタつく隙間を塞ぎ。
で、その後ろに孤児たちが付いて回り、甲斐甲斐しく手伝う。
「おじちゃん、これ使う?」
「いや、その隣の長い釘だ。よく見ろ」
微笑ましいのか、殺伐としているのか。よくわからない光景だ。
しかも、子供らの服も、心なしか小綺麗になっているように見えるし。
まさか、これもリュスの手配かな?
「……にしても、ロダン。お前、本当にマメだよな」
「騎士たるもの、陣地の死角を放置するなど万死に値するからな」
「そこの話じゃねえよ。そこもだけどっ!」
「ところで男爵、先ほどからリュスを目で追っているようだが、職務を忘れてはおらんか?」
「なっ……! 追ってない! 全然、見てない!」
「声がデカいぞ、青二才め」
鼻を鳴らして去っていく、ロダン。
クソ、舐められているっ。
お前なんか、お馬さんおじちゃんのクセに!
(だが、本当にリュスはどうやったんだ? ヤバマーズの連中は、余所者には石を投げるほど閉鎖的だったのに)
というか、女たちも農作業やら、それぞれ家の仕事があったんじゃなかろうか。
気になったので、休憩中に聞いてみた。
「ええ。ですので、交代制勤務を導入しております。村人たちの生活実態を、正確に知る必要がありましたが」
「……そんな管理、簡単に出来るものか?」
「いえ、思いつくのは簡単ですが、調整には少々骨を折りました」
「そりゃあ……そうだろうな」
「ああ、それと給金ですが。現状は現金が少ないですから……石鹸の残りや、古着の端切れ、塩や一部の香辛料。そして、『まかない』の持ち帰り権利。これらを提示しまして――」
「待てっ!? もしかして、既に備蓄量も把握してるのか!?」
「いいえ、未だ把握作業の真っ最中ですね。ですが、女主人の基礎業務は、棚卸しにあります。急ぎ、屋敷にある食器、リネン、食糧の在庫を管理しなければ、盗難や浪費の芽を摘めませんから」
村人どもの「ちょっと拝借、てへぺろ♪」という悪習を、速攻で防止してやがる!?
めっちゃ、ありがちなんだよ。ガチ頭痛の種。
アイツら、マジでモラルとかないからさぁっ!?
「ですが、在庫状況は問題ないかと思いますよ。もうすぐ、マッケンジー商会が到着するのですよね?」
「うちのキャラバンのスケジュールまで、理解してんの!??」
なんと完璧主義で、容赦のない献身だろう。
フルーレス公爵家、元令嬢としての手腕は、間違いなく本物だ。
わかった。
なぜ、誰もが彼女に従うのか。
洗練された所作と、毅然とした態度。
理路整然とした、一切の迷いがない命令。
リュスには、自然と『この人に従えば、自分たちの生活も、この領地の格も良くなるだろう』と思わせる、支配者のオーラが備わっているのだ。
(これが、人の上に立つために磨き上げられた、純血の格か。……僕のような辺境貴族とは、まさに生まれが違う、というやつだ)
そして、改めて確信した。
こんなにも優秀な公爵令嬢を捨て、別の女を選んだという王太子を、生涯理解できそうにない。
快刀乱麻を断つ、手際よさ。
――僕は、この敗北感に心地よさすら感じているというのに。




