第50話 女主人は愛人の響き、拗らせ十九歳には毒すぎる!?
祓魔女リュスから、とうとう指摘されてしまった。
かつての、遠くから眺めるしかなかった、憧れの貴婦人から。
――そして、僕はそれを恥じたのだ。
どんよりとしたヤバマーズの朝。
質素という形容すらおこがましい、そんな朝食を口にしていた時のこと。
「……アスタ様。わたくし、ひとつ素朴な疑問がございます」
「なんだ、改まって。あ、もしかしてスープが口に合わなかったか?」
「いえ、お味は大変……その、素材を活かした野性味溢れるものでして……」
「無理に、言葉を選ばなくていいぞ。……正直、僕も不味いと思ってる」
皿の上の、土っぽいジャガイモ。具材が迷子になった薄いスープ。
飲み物も、高価な茶葉の香りは一切しない野草茶だ。
どれも、公爵令嬢が食べるものじゃないもんな。
美食家のオノレなんて、一度も、同じテーブルを囲もうとしないほどだ。
「ですから、食事の件ではなく……」
リュスは、まごまごと視線を泳がせる。
けれど、「不味くない」とは決して言わない。やっぱり、公爵令嬢の舌には耐え難い代物だったらしい。
「お傍に置いていただけること、心より感謝しております。ですが、その――」
「いいから、言いたいことがあるなら言えよ」
僕は、顎でしゃくって促した。
すると、リュスは意を決し、暗渠の瞳を向けてきた。
「この男爵邸において……日常の家政をこなす、常駐の使用人は……まさか、一人もいないのですか?」
口に運びかけていたティーカップは、ピタリと静止。
「……まあ、厳密に言えばゼロ……ではない、かな。たぶん」
僕は窓の外、灰色に濁った景色へと目を逸らした。
領主としての、なけなしの虚勢である。
「一応言っておくが、うちはこれでも由緒正しき男爵家だぞ? 幽霊屋敷じゃあるまいし、誰かしらはいるさ」
「そうですね、存じ上げております。では、参考までに実情をお教えくださいますか?」
「実情、ね。……ええと、まず、執事のゲロハルトが、いるだろう」
「そうですね。あの方は、一人で十人分ほど立ち働いておいでです。……で、他には?」
逃げ道を塞ぐような、リュスの問い。
額から、嫌な汗が伝う。
当然、屋敷の維持管理を、腰痛持ちの老執事がたった一人で賄えるはずもない……けども!
「他には、だな。……ほら。掃除や洗濯は、村の女たちが交代で来ているし、料理番だって夕刻には来る。だから、生活に支障はない」
「……」
無言! リュスの無言が痛いっ!
僕は野草茶を一口啜り、気まずい沈黙を強引に飲み込む。
「あー……。そうだ。靴磨きや食器の手入れは、教会の孤児たちが、手伝ってくれているぞ。それと庭とか、大工仕事はだな――」
「アスタ様。わたくしが伺ったのは常駐、つまり住み込みの使用人の数なのですが?」
逃がしてくれない。男のプライドを尊重し、適当に誤魔化される……そんな慈悲は、リュスにないようだった。
僕は観念し、空になったカップをテーブルに置く。
「いないよ。今は、ゲロハルト以外に一人もな」
「……そうですか」
「僕が領主を継ぐ前には、ほぼ全員が、通いだったんだ。狭い村だからな、みんな所帯を持つなりして……」
――嘘だ。領主として、彼らを養いきれなくなったのだ。
先代、先々代への恩義はある。だが、これ以上タダ働きはできない。
そんな葛藤の末、使用人らは辞めるのではなく、必要な時だけ助けに来るという体裁をとった。
『村で所帯を持つので、住み込みは辞めますね。でも、恩があるから手伝いには来ます』
ヤバマーズ男爵家の面子を潰さない、彼らなりの言い訳。
「だから……みんな自分の畑を耕しながら、空いた時間だけ、顔を出してくれるんだ。屋敷にも、名簿上では籍が残っているし……その」
「はい。ですから、その名簿を見たから、お声掛けしているのです」
最初からバレていた。
「ああ、そうか。……ゲロハルトだけは『死んでも離れん』と泣きついてきたから、特例で残したけど……とにかく、そういうことなんだ」
話せば話すほど、どんどん自分が惨さがこみ上げる。
貴族として……雇用すら守れなかった。なんと、恥ずかしいことだろう。
老執事ゲロハルトは、僕が生まれる前からこの家に仕えている。かつては、夫婦で屋敷を支えてくれていた。
今は、伴侶に先立たれ……残された身内は、僕だろうから。
「アスタ様、ご事情は察しました。しかし、これではお屋敷の防犯もガタガタではありませんか。……わたくしが来てからというもの、廊下で会うのは、ゲロハルトさんか、窓辺を横切る野良猫くらいなもの……」
「フン、失礼だな。ネズミもいれば、天井裏にたまにコウモリも迷い込むぞ」
「……そんなに、自慢げに言わないでくださいまし」
リュスは、困った子供を窘めるように言った。
「つまり、この屋敷の治安と清潔は、一人の老執事と、訪れる村人たちの善意……あるいは微々たる報酬によって、辛うじて維持されていると」
「……ああ、その通りだ」
ヤバマーズなんて大っ嫌いだ。こんなクソみたいな領地、いっそのこと皆に見捨てられてしまえばいい。そうすれば僕だって――なんて、思う。
でも、いくら領民たちが、ろくでなしばかりで、醜く、下品であったとしても……そこに『情』がないわけではないのだった。
「これまでは、それでもよかったのでしょう。しかし、これからは……投資家や商客がどんどん訪れるのでしょう? 案内役も、給仕も、警護すらも足りないなんて――」
リュスは言いかけてから……おもむろに立ち上がった。
そのまま、流れるような動作で、僕の背後に回り込むと――むぎゅ、と、もはや馴染みとなった感触とともに、その細い腕を回した。
「アスタ様は……でしゃばりな女は、お嫌いですか?」
「……急に、何の話だ」
「以前、殿方に……とても嫌われてしまったことがあって。アスタ様も、でしゃばるわたくしをお嫌いになりますか?」
きっと、王太子のことだろう。
二人が並んでいた、眩いばかりの思い出がよぎり。胸の奥がチリリとした。
「今、わたくしは、貴方様のやり方に異議を唱え、否定しようとしています。……やはり、お嫌いになるでしょうか」
「……なら、ない」
「本当に?」
「ああ。僕が間違っていることなんて……星の数ほどあるだろうからな」
するとリュスは、ほっと息を吐いた。耳を撫ぜる吐息。
さらに強く、回す腕に力を込めて来る。
「では、僭越ながら、でしゃばらせていただきます。……この屋敷には、女主人が必要です」
「ぶっ――!? ごほっ、げほっ!」
――愛人ぅっ!?
思い切り咽せた。心臓が跳ね上がり、急に熱が上がった。
「お、おい! 何を、急に……!」
「あ。いえ、より正確に、家政女代行と言った方がよろしかったですね。さすがに言い過ぎました」
「……ああ、そっちの意味か。紛らわしい」
「おや、アスタ様は何と勘違いなさったのですか?」
こんな勘違い、言えるわけないだろうが!
(ちょっと色っぽく、メトレスなんて言うから、絶対、俗な方の意味だと思ったぞ! 十九歳、男子には刺激が強すぎるって!?)
こてん。不思議そうに、小首をかしげるリュス。
この、あざといまでの無邪気さが、なんとも恨めしい。




