第184話 クソみたいな現実に意地を張れ。魚なんて二度と食いたいと思うかよ。
巻き上がる砂塵。僕は、確信した。
ああ、やっぱりだ。僕のせいだったんだ。
砂浜に乗り上げて、自重で巨体を軋ませる海魔。こいつは……クラーケンは、僕を目掛けて突撃して来やがったのだ。
左手に宿る、魔物寄せの特異点。
僕と一緒にいたからこそ、ジルも、猟兵たちも、理不尽に巻き添えを喰らった。
そして、今……ジルも含めて、誰も動けなくなった。
(仲間の犠牲を天秤に掛けた、みんなも覚悟を決めてくれた。……今、それがなにもかも台無しにされた)
ぺっ、と僕は吐き捨てた。血と砂が混じる唾液を。
(ああ、知ってたさ。現実が、いつだって理想を嘲笑うってことを。これから、僕のせいでみんなが死ぬんだ)
僕の祖父も、父も。
歴代のヤバマーズ当主たちは、絶望の淵に立たされたはずだ。そして、血の囁きに耳を傾けたに違いない。
――絶望、それがどうした? さあ、状況を打破せよ。最後まで抗え。
聴こえた先祖たちは誰も諦めず、なにかを成し遂げようとしたんだ。
でも、末路はどうだった?
結局、無様に不名誉を刻み、死んでいっただけ。
きっと、僕のこの覚悟だって。
数分後には、塵となって風に消えるんだろう。
この感情は、無念は、僕らの過程は――誰にも伝わらない。
残るのは、結果だけ。後世の連中に“身の程知らずの、何も残せなかった間抜け野郎”って嗤われて終わる。
「現実ってのは……いつだって、気持ちも、足跡も、命すらも踏みにじるんだ。はあ、マジでクソだよ」
声は掠れ、喉が痛む。
見上げれば、数十の触手が空を覆い隠さんとばかりに、うねり広がる光景。
ひたり、ひたり。
散らばる同胞の肉塊を踏みつけ、魚人どもはじっとり這い寄ってくる。
でも、不思議だ。
身体の骨が傷んで、強打した内臓からは吐き気がこみ上げるのに。
僕は自然と、立ち上がろうとしてしまうんだ。
「ああ、そうだな。たとえ、現実がどれほどクソだろうと。責任は僕にこそあるんだ、僕が……ヤバマーズ領主として、立ち続ける限りは」
背後で、ジルの声が聞こえた。
「アスタ、先輩。うちも……戦えるっす。ドワーフの……意地を……ううっ!?」
立ち上がろうとして、ガシャリ。倒れ込む音。
振り返りたかった。大丈夫か、と声を掛けたかった。
でも、僕は振り向かない。
今、振り返ったら、心が折れてしまいそうだから。
(……僕らは、ここで全滅するんだ。だけど、このままじゃ終われないだろ)
誰かに頼まれたから、立ち上がるわけでもないんだ。
誰かに託されたから、剣を振るうわけでもない。
みんなの顔が浮かぶんだ。
泣きじゃくるリュスの顔も、何度も浮かんでくる。
そしたらさ、もう無理だろ? 認められるはずがない。
あんな顔させて、「はい、なにも出来ずに死にました」なんて。
だから見苦しく、みっともなく意地を張るんだ。
こんなクソみたいな現実、認められるもんかって。
「全部、全部ひっくり返してやる……ッ! 僕は、最期まで認めないからな」
僕は左手の甲、漆黒のウロコへと意識を集中した。
もう後先なんて考えない。腕がはじけ飛ぼうか、脳が焼き切れようが。
「おい、魚類ども。お前ら、一匹残らず三枚に下ろしてやる――覚悟は出来てるよな?」
これまで培ってきた、『異能』の応用。
自身のウロコから発せられる信号を、魔物にとって最も忌まわしく、かつ美味そうな刺激へと無理やり変換し放射する。
――異能、囮の広域拡散発動。
どろり、効果は絶大。
クラーケンはもちろん、魚人たちの濁った瞳が、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように僕へと固定。
――ドォォンッ!!
片足で、砂を蹴る。
最短距離。魚人の首が、ひとつ飛んだ。
「ギガァッ!?」
生臭い体液が、噴水のように吹き出す。
「僕はここだ! “魔人殺し”の首が欲しければ、奪いに来いッ!」
右手には使い慣れた狩猟刀、左手には『三日月の刃』。
ヒビ割れたウロコがギシギシ軋んで、とうとう耐え切れずに……二つに割れた。
いや、割れたのではない。蠢きながら、増殖し二枚のウロコへ形を変える。
人としての境界線が、崩れ始めている。魔物への変異が加速していた。
「でも、今さら止められないよなあッ!!」
そこで、朗々と響き渡る声。
「七代目よ、些かばかり力を貸してやろう。現世を生きる者の営みに、死者が干渉すべきではないと信ずるが――」
サキオンだ。
不敵な笑みを浮かべた幻影が、背後から僕と重なる。
実体のないはずの幻が、筋肉を、神経を、魔素の流れをハックする。
「死に瀕した若造に、ヤバマーズの神髄を教授する。誰も其れが道義に悖るとは謂わぬだろうよ」
身体が、勝手に動いた。
負傷しているはずの脚が、軽やかに動き出す。
僕が身に付けきれなかった、ヤバマーズ流双剣術。その殺しに特化した、変則的な武が再現される。
右手の刀で、放たれた槍の穂先を弾き飛ばし。
その勢いのまま、返す左手で上半身を両断。
――シュパァァァンッ!!
斬った感触すらない。
通常、鎧に等しい硬質の魚鱗を断つことは難しい。
だが、僕の異能の前では、魚鱗もその下の強靭な筋肉さえも、まとめてチーズを裂くように分断する。
「あは、ははは。身体が、軽い。これが、本物のヤバマーズ流かよ……!」
クラーケンが、その巨躯を震わせて怒り狂う。
自分の支配するはずの地で、ちっぽけな人間が踊るように同胞を屠っていくのが許せないのかもしれない。
だが、それでいい。それでこそ囮だ。
「僕は、最高の餌なんだろう? さあ、必死に喰らいついて来いよ!」
十数本の触手が四方八方、殺到する魚人の軍勢。
悪臭のする体液が、返り血となって視界を、服を、魂を塗り潰していく。
「逆に、僕は喰らい返してやるッ! ――『毒喰らい男爵』の名に懸けてッ!」
内臓の、吐き気を催すような死の香り。
口にも飛び込む、生臭さ。魔素特有の、ひどい苦味までする。
「なんだ、クラーケン! 陸の上だと、自慢のジェット推進も形無しじゃないか! なんで……なんでこんなところに上がってきちゃったんだよ、バカだなあ、お前も!」
斬って、斬って、斬りまくる。
一撃を貰えば、すぐさま倍の力で叩き返す。
思考はすでに停止し、左手のウロコが知らせる死の予兆に従い、刃を振るう。
だが――。
「ぐ、ああぁっ!?」
槍が掠めた、触手の衝撃に揺らめいた、網に足を取られた。
「はあ、はあ……、まだだ。まだ、終わらせない……」
振り返りざま、魚人を『三日月の刃』で縦に両断。
代償は、容赦なく僕を蝕む。
――ピキ、ピキピキ……ッ!!
左手の甲に、嫌な音が響く。
漆黒のウロコがさらに増殖した。
一枚、また一枚と、皮膚を突き破り、新たなウロコが芽吹いていく。
「腕が……熱い……もう、溶けそうだ……」
ウロコが壊れている状態での、異能酷使。
魔物の返り血を浴び続け、摂取したことによる拒絶反応。
それとも、なんらかの感染、ストレス、生存本能の暴走。変異の理由ならいくらでも考えられる。
とにかく、アスタというヒトの器が、別のナニカへ近づこうとしているのは確か。
それでも、僕は不敵に笑ってみせた。
「お前ら……見てるか。意外と……頑張ってる、だろ……? 僕は――」
動けるなら、なんだってよかった。
目の前に広がる絶望を、「なんとかなる」という大嘘で、一秒でも長く塗りつぶすために、僕は立っている。
「……でも、魚なんて、きっと二度と食いたいと思わない、な」
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