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繋がる記憶

 アヤメが着替えてリビングに下りると、ソファーで妃奈子と雪久がテレビを見ている。

「おはよう、真田さん。気分はどう?」

 有栖川が、朝食をテーブルにならべながら、たずねてくる。

「大丈夫です」

「学校、行くのね」

「はい」

「じゃ、しっかり朝ごはんたべましょう。それから、具合が悪くなったら、早退してくること」

「はい」

 有栖川は、にっこりとほほ笑んで、妃奈子と雪久も呼んだ。

「お味噌汁に、卵焼き。すげぇうまそう」

 雪久はうれしそうに食卓を覗き込む。

「あれ?三人分。俺のないの?」

「違いますよ。お嬢の分がないだけです。昨日、遅かったようですから、まだ寝ているんじゃないかしら」

「あ、じゃあ俺、起こしてこよう。あいつの部屋どこ?」

「夜見なら、あたしの部屋で寝てるけど…」

 アヤメが戸惑うように二階の一番奥の部屋とつぶやく。雪久はにやりと笑って階段を駆け上がって行った。そして、しばらくしてがしゃんという音がした。

 アヤメと妃奈子は驚いて二階を見上げたが、有栖川が苦笑を漏らしたので、そちらを見る。

「お嬢は寝ていても、不穏な気配を感じると条件反射で手じかなものを投げる癖があるのです。たぶん、音からすると九鬼君には大した被害はないと思いますが……」

 しばらくして雪久がおでこをさすりながら、戻ってきた。手には壊れた目覚まし時計がある。

「びっくりした。ヒミのやつ、こんなもの投げやがって……これって真田さんのだよね?」

 アヤメは複雑な表情でうんとうなずいた。

「大事なもの?」

「違うよ。ないと不便だけど……生活部にいけば、支給してもらえるから。それより、九鬼君。おでこ大丈夫?」

「へーき。へーき。こっちの方が重傷」

 目覚ましをテーブルに置いて、雪久は笑った。有栖川が雪久の額を見て少し冷やしておきましょうと笑う。

「さあ、ご飯がさめないうちにどうぞ。急がないと遅刻しますよ」

 三人ははいと返事して、朝食を食べた。


 結局、夜見は起きてくることなく、三人は学校へと向かった。

「九鬼君、さっきから何ニヤニヤしてるの?」

 雪久が携帯を見ながらにやついているので、妃奈子がどうしたのとたずねる。

「戦利品。ヒミも人の子だなって思ってさぁ」

 雪久は妃奈子とアヤメに携帯の画面を見せる。そこには、口元を緩く開き、枕を片手で抱え込んでぐっすりと眠る夜見の姿があった。

「いや~ん。可愛い!姫ったら、こんな顔して寝てるのね」

 妃奈子は心底うれしそうに言う。アヤメの方は少し困った顔で雪久をみた。

「勝手に寝顔とったりして、怒られない?」

「ばれなきゃ大丈夫だよ。とりあえず、二人とも携帯だして」

 言われて二人は携帯を鞄から取り出す。

「じゃ、赤外線でアドレス交換しようぜ。いいよな?」

 雪久はアヤメに許可を取るように言った。満面の笑顔で携帯を差し出した妃奈子に許可を得る必要はないと察したからだ。アヤメはうんとうなずいて遠慮がちに携帯を差し出す。三人はアドレスを交換し、雪久は夜見の寝顔をメールで二人に送った。

「はい、これで二人も共犯な」

「なるほどね。九鬼君は私たちを共犯にして、姫の鉄拳制裁を回避しようって思ってるわけね」

「さすが、先輩。わかってんじゃん」

 アヤメは二人のやり取りを聞きながら、思わず笑った。

「「あ、笑った」」

 二人が同時にそういったので、アヤメは戸惑う。

「あの、あたし……」

「何もいわなくていいのよ。アヤメちゃん。くだらないことで自然に笑えたんだから、それでいいのよ」

 妃奈子は優しく微笑み、雪久はそうそうとうなずく。


(無理に笑わなくていいぞ……)


 ふっとアヤメの脳裏を誰かの声がよぎった。懐かしいけれど、園長先生の声じゃないくて少年の声。アヤメがなんとなく首をかしげると、どうしたと雪久と妃奈子がたずねる。アヤメはなんでもないよと答えたけれど、声の主が気になった。気にはなったけれど、思い出せないまま、学校にたどり着く。


(あ、視線が……)


 雪久と妃奈子に挟まれるようにして歩いていたアヤメは、たくさんの視線がこちらに向けられていることに気が付く。あまりにも二人が自然に側にいてくれていたから、忘れていたけれど。妃奈子はみんなのあこがれるアイドル的存在であり、雪久はこの学園を運営している九鬼財閥の御曹司。


(夜見は九鬼君のストーカーなんて噂されてたんだっけ?)


 あまり、学内の噂話にさとくないアヤメでも、それはそこかしこで聞いたことのある話だった。そう思うと、なんだか急に自分がこうして二人の間にいることが場違いな気がしてきた。

 不意に妃奈子がアヤメの手を握った。

「誰に何を言われても気にしなくていいの。私がアヤメちゃんと一緒にいたいだけなんだからね」

 まるで、なんでもないことだと微笑む妃奈子にアヤメは小さく微笑み返す。握られた手はやさしくて暖かく、不思議なほど安心感をくれた。

 昇降口で妃奈子と別れ、雪久がアヤメを教室まで送ると言ってくれたけれど、アヤメはさすがにそれは断った。雪久も食い下がるようなまねはせず、無理すんなよと笑ってくれた。

 アヤメは教室の前で足が竦む感じがした。やはり、扉を開けるのに躊躇ちゅうちょする自分がいる。佐久間がいたらと思うと背中がぞわりとした。


(でも……ここで負けたくない!)


 アヤメはおもいっきって扉を開けた。ざわめいていた教室が一瞬で沈黙し、視線がいっせいに彼女をとらえた。アヤメは反射的に後ずさりそうになりながら、必死でこらえた。そこへ、心配そうに駆け寄ってくる礼子の姿があった。

「アヤメちゃん!おはよう」

 礼子は満面の笑みで声をかける。それを合図にしたように、教室にはいつもの喧騒が戻った。

「心配したのよ。急におやすみするんだもの。連絡もとれなかったし。どうしたの?」

 アヤメはうんちょっとねと曖昧に答えて、自分の席につく。

「礼子ちゃん……あのね……」

 聞きたい。佐久間に自分の素性を話したのかと。それほど、彼と仲が良かったのかと。けれど、アヤメの唇は重く、それ以上開かない。そこへ遠慮がちに何人かの生徒が声をかけてきた。礼子は一瞬、嫌な表情を浮かべ、すぐに消した。

「今朝、小鳥遊先輩といっしょだったよね」

「九鬼君もいたけど……」

 どうやって仲良くなったのっといっせいに声を上げた。アヤメは戸惑う。その経緯は、話せない。

「えっと…あたしの隣の部屋に比良坂さんがいて…それで…」

 アヤメは曖昧に答える。それを聞いた生徒たちは、何かを納得したようなしていないような複雑な表情を見せる。

「あの人、謎だよね」

と誰かが言った。そうよねと何人かがうなずく。

「謎って?」

「だってねぇ……ストーカーなんでしょ?九鬼君の」

「そうよね。なのに、小鳥遊先輩と仲良くて……A組の子にきいたけど、普段全然目立たない子だっていうし…」

 アヤメは夜見がただの一般生でないことを知っている。彼女の詳しい事情は知らないけれど、警備隊司令官の柚木やカウンセラーの有栖川の態度は夜見に対して、まるで主を敬う従者のようだった。

 アヤメはどう説明していいかわからないけれど、ストーカーという夜見の不名誉な噂は否定したかった。

「あのね。比良坂さんは、九鬼君や小鳥遊先輩とは友達なんだよ。ストーカーとかそういうのじゃないから。えっと……だから、変な噂信じないでね」

 そう言われて、生徒たちはちょっと気まずそうにうんとうなずいた。そのタイミングでチャイムがなり、アヤメは礼子からも他の生徒からも解放された。



 結局、アヤメは一限目を終えて早退した。礼子は心配していることを態度にも言葉にも明瞭に表した。けれど、アヤメには今までのように心から彼女を信じることができない気持ちがあった。そして、疑いたくない、信じたいという気持ちも同じくらいあって、混乱と葛藤で息苦しくなった。


 もやもやした気持ちを抱えたまま、アヤメはうつむき加減で管理棟の近くを通り過ぎる。しばらくして、具合がわるいんですかと男の人の声がした。振り向くと精悍な顔立ちの警備員が立っていた。

「久我……さん……ですよね」

 アヤメは微笑もうとしたがうまく笑えない。久我ははいと頷き

「無理に笑わなくて大丈夫です。官舎まで送ります」

「いえ、一人で大丈夫ですから……」

「大丈夫な人はうつむいて歩きません」

 そういって、久我はアヤメの隣に立つ。口調は堅いが冷たい感じはしなかった。アヤメはそうですねと答えて歩き出す。久我はアヤメの歩調にあわせて隣を歩く。アヤメも久我も黙ったまま、柚木の官舎にたどり着いた。不思議と気まずい気がしなかったアヤメは、ふっと誰かを思い出す。


(昔もこんなことがあった気がする……)


 あれは誰だったんだろうかと思うけれど、なかなか思い出せなかった。久我は当たり前のように扉をあけた。アヤメはありがとうございますと答えて家に入った。久我は一礼して、扉を閉めると元来た道を帰って行った。

 リビングに入るとおかえりと声が返ってきた。アヤメはただいまと言おうとして声がでなかった。夜見は近づいてきて頭をなでる。

「がんばったな」

 一言そう言われて、アヤメは自分が泣いていることに気が付いた。アヤメは涙をぬぐうけれど、とめどなくあふれて止まってくれない。

 夜見はアヤメの手を引いて、ソファーに座らせ、隣に黙って腰を下ろす。アヤメは涙と一緒に、昔のことを思い出した。

 

 小学校に入ってしばらくして、捨て子だといじめを受けたのだ。アヤメはじっとそのいじめに耐えていた。『さなぎの家』に帰っても、いつもと変わらないふりをしていた。小さい子たちに学校がつらいところだと思ってほしくなかった。園長やスタッフに心配をかけたくなかった。

 ただ、上の子たちは薄々気が付いていたのだろう。そっといたわるように、学校の話題を出さないでいてくれた。そんなとき、彼が言ったのだ。無理に笑わなくていいと。


(そうだ。お兄ちゃんだ。樹お兄ちゃん……)


 園長の死をみとって電話をくれた斉藤樹。あのとき、電話口で涙ががまんできなかったのは、お兄ちゃんの声だったからだ。

 アヤメの涙はようやく止まった。そのタイミングで、有栖川がミルクティを運んできた。

「気分は落ち着きましたか?」

 やわらかく有栖川がたずねると、アヤメはちいさく頷き、顔洗ってきますと洗面所へ向かった。

「あの子は強いな」

 夜見が紅茶をすすりながら一言もらす。有栖川もそうですねと答えた。

「心の奥に大きな愛情があるのでしょう。彼女のような事情を抱えている子供たちは、どちらかと言えば愛情に飢えているものですが……彼女は、どんな小さな愛情もしっかりと受け止めてきたのかもしれません」

「だろうな。ま、それだけじゃない気がするけど」

「お嬢にはどう見えているんです?」

 秘密だと夜見はにやりと笑った。そうですかと有栖川も微笑む。

「じゃあ、後頼むな。ちょっと温室いってくる。なんかあったら、連絡くれ」

「わかりました。いってらっしゃい」

 夜見はうんとうなずいて出て行った。いれちがいで、アヤメが洗面所から戻ってきた。

「あの……夜見は?」

「温室にいきましたよ」

「温室?」

「ウシトラの温室です。お嬢はあの場所がお気に入りのようです」

 有栖川はくすくすと笑う。やさしい姉のように。アヤメは戸惑いながらも尋ねてみた。

「有栖川さんは、どうして夜見をお嬢ってよぶんですか?」

「ああ、それは。私が昔おせわになった古武術道場のお嬢さんだったからですよ」

「え?でも、夜見のお家って、確か大きな警備会社をやってるって……」

「ええ、お母様が経営されている会社ですね。お父様は宮内省のお役人ですよ。道場はおじい様がなさっていたんです。今はお弟子さんが後をついでいらっしゃいます」

 アヤメは何と言っていいかわからなかった。特殊な家庭環境だということはわかるけれど、それならどうして一般生なのだろう。

「詳しい事情はお嬢に直接聞いてください。彼女は聞かれたことにはちゃんと答える人ですから。それに私から話を聞くよりも、本人から聞いた方が先入観を持たなくていいと思います」

 アヤメは、はいと頷いた。有栖川はたぶん夜見を個人としてみてほしいのだと思った。家柄とか育ちだとか、そういうものを気にしないでほしいということなのだろう。

 アヤメは知っている。人の先入観というものが残酷なことを。だから、有栖川の言葉もすんなり心に落ちてきた。そして、夜見のことをもっと知りたいと思った。



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